収穫祭
農学部収穫祭は、キャンパス内の農場で、収穫物を豚汁にして食べたのが始まりと言われている。1952(昭和27)年頃のことである。そして、2017年開催の収穫祭で第65回目を迎えた。収穫祭は、豊かな稔りを祝う祭典であるとともに、農学部での日頃の研究成果の発表の場として位置づけられている。
1.収穫祭の始まり
1949(昭和24)年、新制大学令による玉川大学の設置が認可され、文学部と農学部が開設された。そして、1952(昭和27)年に第1回の卒業生を世に送り出した。その頃、一年の収穫を喜び、感謝する、学生の祭典として収穫祭が誕生した。収穫祭は、キャンパス内の農場で、収穫物を豚汁にして食べたのが始まりと言われている。やがて収穫祭は第22回あたりから学部行事となり、日頃の研究成果の発表の場ともなっていった。

2.収穫祭の内容
収穫祭の内容は、大きく3つの部門に分けられる。展示、祭事、生産物の販売の3つである。展示は、研究室や研究領域、農場による研究成果発表。祭事は農場太鼓、神輿、アトラクション、模擬店など。生産物の販売は、農場で収穫した野菜や花卉の販売、生産加工室によるハチミツ、ジャム、アイスクリームなどの販売である。


例えば、1992(平成4)年11月14日と15日の両日に行われた第40回収穫祭の内容は次のとおりであった。11月14日、小原哲郎学長、小原芳明副学長、来賓、農学部教員、農学部学生が農学部第1校舎(当時)前に一堂に会し、収穫祭開会式を開催。農場太鼓が玉川の丘に響く中で開会が宣言された。鶴間熊野神社の池田宮司の祝詞奏上と奉納の儀に続いて、学長、農学部長、学生実行委員長、農場太鼓の代表が玉串を奉奠して、豊かな稔りに感謝を捧げた。そして、学長、農学部長、学生実行委員長の挨拶ののち、餅つきが行われた。展示は、研究室の研究成果発表のほか、農場展、第40回開催を記念しての特別展が実施された。神輿は学生たちの熱意によって造られたもので、重さは推定600キログラム、60人以上の学生によって威勢よく担がれた。この年、初めて神輿が松陰橋を渡った。そして、2日間にわたって繰り広げられた収穫祭は、後夜祭の花火をもって終了となった。


1997(平成9)年より、「収穫祭」は11月下旬に「玉川の秋」として「コスモス祭」と合同で開催することとなった。さらに、文学部、工学部、女子短期大学の学部展が加わり、文字通り全学あげての大学祭となり、現在まで継続されている。
3.写真で見る収穫祭
①会場入り口




②開会式








③展示










④生産物の販売と模擬店








⑤アトラクション




⑥農場太鼓






⑦神輿








⑧後夜祭

関連サイト
参考文献
- 玉川大学農学部編『玉川大学農学部 教職員と学生たち~昨日・今日・明日~』(玉川大学農学部60周年記念誌)
- 小原哲郎監修『全人教育』第498号 玉川大学出版部 1989年
- 小原哲郎監修『全人教育』第534号 玉川大学出版部 1992年