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玉川学園教育研究会

2019.07.17

「他がやらぬから、やることに意味がある」と小原國芳は主張し、教育研究会を開催する。そして、新時代の日本の教育は玉川から生れるのだという強い信念を研究会の名称とした。

1.新生日本教育研究会が誕生

1945(昭和20)年8月、終戦を迎えた日本国民は敗戦の影響で先の見えない日々を過ごしていたが、玉川学園創立者小原國芳はいち早く教育立国を唱えて新生日本の進む道を示した。そして、國芳は、第1回の新生日本教育研究会を、終戦の年である1945(昭和20)年の12月1日に玉川学園礼拝堂で開催した。その時のことが、『全人』第665号(玉川大学出版部発行)の「故(ふる)きを温(たず)ねて」に次のように記されている。

軍国主義の時代に終止符を打ち、新しい時代の教育を模索している教師たちに向かって小原國芳は、「国家の再建は教育から」と叫びをあげた。「日本國民に訴ふ」から始まる『敎育立國論』(玉川學園出版部)は、研究会講演で獅(し)子(し)吼(く)した原稿から起こしたものである。そして、新時代の日本の教育は玉川から生れるのだという強い信念を研究会の名称とした。
教職員から、自信がつくまで研究会開催は延期してほしいと申し入れ。それに対して、「人に見せられぬブザマな教育か」「他がやらぬから、やることに意味がある」と開催を強行。劣悪な交通事情の中、1,312名が全国から食料持参で玉川の丘に参集。講演会場は立錐の余地もないほどであった。翌年は一年間に7回もの研究会が行われ、「教育の玉川」の名が一躍全国に広まった。

2.第2回新生日本教育研究会

第2回新生日本教育研究会は、1946(昭和21)年5月2日、3日、4日の3日間、玉川学園礼拝堂で開催された。武者小路実篤の「日本の行くへ」や小原國芳の「新日本教育の具体案」などの講演後、研究発表。続いて、本学教員の発表及び公開授業。そして音楽、体操、舞踊練習。ラジオ体操はラジオ舞踊に変わっていた。最後に玉川の夕べとして、音楽演奏、劇、舞踊等が披露された。

第2回新生日本教育研究会

3.第30回教育研究会と体操研究会・講習会

第30回教育研究会の中で行われていた音楽・舞踊・体操のうち、体操については体操研究会として独立した内容を持っていた。戦後、体操の分野のみを一本化して最初に行ったのがこの時であった。そのため、戦後の体操研究会・講習会は、この時を第1回として、以後継続的に実施することとなった。

4.玉川学園創立30周年記念教育研究会

玉川学園創立30周年記念教育研究会が1959(昭和34)年6月13日より3日間、全国から約550名の参会者を迎えて開催された。この年の開催で教育研究会は63回を数える。第1日目は、午前10時からの小原哲郎の挨拶でスタート。続いて、玉川大学講師でもある鯵坂二夫京都大学教授の「小原教育論」と題する講演。昼の時間は岡田中学部長による玉川学園の教育のスライドでの説明が行われ、その後鯵坂二夫教授の話が続いた。午後3時より伏見猛弥玉川大学教授の「新教育と子供の再発見」と題する講演。

第63回教育研究会

第2日目は、小学部・中学部の朝会からスタートし学習参観。午前11時より体育館において、小学部生から大学生までの体操発表。午後1時より小学部会は講堂、中学部会は音楽堂にて研究発表。第3日目は、午前9時より小原國芳学園長による「玉川教育三十年」と題する講演。午後1時より小学部生、中学部生、大学生による合奏、合唱、舞踊、学校劇の発表。「さよならの歌」とともに、3日間の日程を終了した。

5.その後の教育研究会

1959(昭和34)年の玉川学園創立30周年から1979(昭和54)年の玉川学園創立50周年までの20年間に教育研究会に参会した人数は、約18,000名にも及ぶ。なお、1960(昭和35)年までは小学部と中学部が中心となって教育研究会を運営していたが、翌年からは高等部も全面的に参加することとなった。その年より、教育研究会の開催日程が3日間から2日間に変更となり、11月中旬の金曜日と土曜日の開催が基本となった。

1964(昭和39)年の第73回教育研究会において、小原國芳学園長の「全人教育論」と題する講演を聞いた会員の一人が講演後に話をされた内容が、『全人教育』第184号(玉川大学出版部発行)に次のように掲載されている。

十時二十分から小原先生が「全人教育論」と題して五十年の思索と体験を通しての講演。講演の後で会員の一人が「私は昭和二十三年以来一度も欠かさずこの教育研究会に出席していますが、先生のお話をお聞きするだけで命の洗濯になります。特に今回のお話は肝に応えました」と喜んでくれる。

小原國芳学園長の講演を聞く参会者
分科会
学習参観

1967(昭和42)年の第76回教育研究会は、全国各地から1,400名を超える先生方が参会。玉川教育の全貌を紹介する映画の上映、続いての開会式と小原國芳学園長による講演「二十一世紀の教育」は体育館で行われ、教育研究会がスタートした。

小学部の朝会参観
「21世紀の教育は如何にあるべきか」を
講演する小原國芳学園長

1970(昭和45)年の第78回教育研究会は、新しく完成した映画「玉川学園の教育―1970年版―」が上映された。小原國芳学園長の講演の題目は「個性尊重の教育」。

参会者の希望に応えて著書に
サインする小原國芳学園長
中学部の朝会で生徒に会員の方々を
紹介する小原國芳学園長
「個性尊重の教育」について講演する小原國芳学園長
高等部の分科会での質疑応答
体操講習会での実技

1972(昭和47)年の第80回教育研究会の小学部の全校集会の場で、第1回小原賞の授賞式が行われた。小原賞は、日本の教育功労者に対してその功績を讃えるために玉川学園が独自に設けた賞である。

第1回小原賞授与式
小学部の朝会を参観

1973(昭和48)年の第81回教育研究会以降は、毎年約1,500名の参会者があった。人数が多くなったことから、1973(昭和48)年の教育研究会より、小学部と中学部・高等部が日程をずらして開催することになった。なお、この年の参会者は1,645名であった。

第2回小原賞授与式
小原國芳の講演
高等部生の研究発表
中学部の朝会
中学部生が作った小さな劇の発表
小学部にて児童制作のパイプオルガンを見学

1974(昭和49)年の第82回教育研究会は、「ひとりひとりを伸ばす教育」をテーマに11月27日から30日まで開催された。11月27日・28日が中・高部会、29日・30日が小学部会。

小原國芳総長の講演
小学部音楽教室にて学習参観
小学部美術教室にて分科会
中学部オーケストラ部員による自由研究の発表
中学部の理科分科会
中学部のOHPを使用した英語の学習参観

1975(昭和50)年の第83回教育研究会は、中・高部会が11月14日・15日、小学部会が11月21日・22日に開催され、あわせて1,865名が参加した。なお、この年より、小・中・高の部会ごとにテーマを設定するようになった。テーマは、小学部会が「ひとりひとりを伸ばす教育」、中学部会が「個性尊重の教育」、高等部会が「学習の個別化とその効率化」であった。

礼拝堂での小学部研究会で話をする小原國芳総長
小学部分科会
小学部音楽教室にて学習参観
岡田陽高等部長の講演
中学部美術教室にて自由研究参観
高等部生の研究発表

1976(昭和51)年の第84回教育研究会は、中・高部会が11月12日・13日、小学部会が11月19日・20日に開催された。

小学部会で「教師論」を説く小原國芳総長
小学部の学習参観
高等部の学習参観における担任との質疑応答
高等部生徒の英語劇(ミュージカル)発表の見学

1977(昭和52)年の第85回教育研究会では、小原國芳総長の講演の中で、指揮法の実習も行われた。また、小原國芳総長の小学部における最後の授業も実施された。

小原國芳総長の講演の中で指揮法の実習
小学部の学習参観

1981(昭和56)年の第88回教育研究会は、11月20日、21日の両日に開催された。一昨年度から、内容の一層の充実を求めて隔年開催となり、初めての教育研究会であった。大体育館での小学部・中学部・高等部合同の全体会で、映画「玉川学園五十年」が上映されて、研究会がスタートした。

大体育館にて小学部児童の発表
中学部社会科教室にて授業参観
分科会での研究討議
高等部での授業参観

1985(昭和60)年の教育研究会で90回目を迎えた。この年の研究会は、幼稚部・小学部が11月20日・21日、中学部・高等部が11月27日・28日の2日間の開催であった。テーマは、幼稚部が「一人ひとりをたくましく育てる」、小学部が「一人ひとりを伸ばす教育」、中学部が「一人ひとりを鍛える教育」、高等部が「個性ゆたかな全人教育を目指した自由研究」。

中学部公開授業
中学部講堂にて濵田常務理事、
島田文学部長などの講演を聞く参会者

参考文献

  • 小原國芳編輯『教育研究問題 全人』第16巻第4號 玉川教育研究所 1946年
  • 小原國芳編集『全人』第120号 玉川大学出版部 1959年
  • 小原國芳編集『全人教育』 玉川大学出版部
         第161号(1963年)、第184号(1964年)、第221号(1968年)、
         第257号(1971年)、第269号(1972年)、第281号(1973年)、
         第293号(1974年)、第305号(1975年)、第306号(1975年)、
         第317号(1976年)、第331号(1977年)、第346号(1978年)
  • 小原哲郎監修『全人教育』 玉川大学出版部
         第349号(1978年)、第376号(1980年)、第402号(1982年)、
         第450号(1985年)、第451号(1986年)
  • 白柳弘幸「故きを温ねて」(『全人』第665号 玉川大学出版部 2003年 に所収)
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年

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