玉川ラグビー
1929(昭和4)年の玉川学園開校と時を同じくして玉川ラグビーが誕生。それから、90年の月日が経過した。玉川学園のラグビーフットボール部は小学部、中学部、高等部、大学のそれぞれに存在。また、毎年、小中高大のラグビー部員、卒業生、保護者が一堂に会し、玉川の丘でラグビー祭を開催している。
1.玉川ラグビーの歴史
ラグビーワールドカップが日本で開催される今年、玉川ラグビーは創部90周年を迎えた。1929(昭和4)年の玉川学園開校と時を同じくして誕生した玉川ラグビー。玉川学園旧制中学でラグビーが始動し、玉川ラグビーの歴史がスタートした。そして、1949(昭和24)年に大学ラグビー部、1958(昭和33)年に高等部ラグビー部、1981(昭和56)年に中学部ラグビー部、1998(平成10)年に小学部ラグビー部がそれぞれ創部された。
年度 | 年譜 | |
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西暦 | 和暦 | |
1929年 | 昭和 4年 |
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1949年 | 昭和24年 |
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1950年 | 昭和25年 |
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1953年 | 昭和28年 |
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1958年 | 昭和33年 |
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1963年 | 昭和38年 |
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1973年 | 昭和48年 |
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1974年 | 昭和49年 |
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1981年 | 昭和56年 |
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1987年 | 昭和62年 |
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1988年 | 昭和63年 |
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1989年 | 平成元年 |
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1991年 | 平成 3年 |
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1992年 | 平成 4年 |
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1994年 | 平成 6年 |
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1996年 | 平成 8年 |
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1997年 | 平成 9年 |
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1998年 | 平成10年 |
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2000年 | 平成12年 |
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2002年 | 平成14年 |
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2003年 | 平成15年 |
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2004年 | 平成16年 |
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2005年 | 平成17年 |
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2007年 | 平成19年 |
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2008年 | 平成20年 |
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2009年 | 平成21年 |
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2010年 | 平成22年 |
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2012年 | 平成24年 |
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2013年 | 平成25年 |
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2014年 | 平成26年 |
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2015年 | 平成27年 |
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2016年 | 平成28年 |
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2017年 | 平成29年 |
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2018年 | 平成30年 |
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2019年 | 令和元年 |
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また、1950(昭和25)年代、体育祭の昼休みに現役部員対OBのラグビーの試合を行うことが恒例であった。
2.大学ラグビーフットボール部の創部
体育教師の橋本道や農学部1回生の藤井龍二、さらに旧制中学OBも加わり、ラグビー部の創設へと動き始めた。そして、チームを編成、「丘陵クラブ」をチーム名とした。丘陵とは小高い丘のことであり、玉川学園を意味している。当初、大学生だけでのチーム編成は不可能であったため、旧制中学OBや高等部生も加わって試合に臨んでいた。「丘陵クラブ」の最初の試合相手は、青山学院OBチーム。やがて「大学ラグビー部」を結成しようという機運が高まり、1949(昭和 24)年、新制玉川大学の開設の年に、大学ラグビー部を創部。体育会第1号として部活動が認められた。さらにラグビー協会にも加盟。大学ラグビー部創部時の部長は小原哲郎、監督は橋本道、主将は藤井龍二、マネージャーは石田襄であった。
大学ラグビー部と言っても、当初、大学生は7名。1949(昭和 24)年は協会に加盟したものの公式戦には不参加。翌年は高等部生を加えたチーム編成を認めてもらい、ついに公式戦に出場。最初の対戦相手は学習院大学であった。試合は大敗であったが、公式戦で試合ができたことに部員たちは大満足。高等部生との混合チームでの参加は数年続いたが、やがて大学生のみでチーム編成ができるようになっていった。
3.高等部ラグビーフットボール部の創部
大学ラグビー部が、大学生のみで公式戦に臨むようになって間もない1957(昭和 32)年に、大学を卒業して中学部の教諭になったばかりの飯塚誠市が、中学部の3年生を集めてラグビー同好会を発足。そのメンバーが翌年、高等部に進学。そしてその年、1958(昭和 33)年に高等部ラグビー部を創設。部員は1年生だけであったが、なんとか15名を確保。ラグビー協会に加盟し、秋に東京農業大学付属高校と初めての公式戦を戦った。創部時の顧問は岡安信男、主将は神田晴正であった。
4.中学部ラグビーフットボール部の創部
中学部ラグビー部の創部は、1981(昭和 56)年。創部時の顧問はラグビー部OBの小平和彦、主将は羽鳥功二。ラグビーの指導は、当時、高等部ラグビー部顧問であった沢柳宏が担当。創部当初は、1・2年生でのチーム編成であったが、高等部ラグビー部との合同練習もたびたび実施されて力をつけていった。1985(昭和 60)年より石塚清章が顧問となり、1988(昭和 63)年にラグビー協会への加盟を実現、初の公式戦を経験した。
5.小学部ラグビーフットボール部の創部
1997(平成9)年に希望者を募り、小学部ラグビー教室を開催。クラブ活動ではなく、ラグビーをやりたい児童が集まっての課外活動であった。したがって練習は土曜日の午後。須田忠を中心として、当時、高等部ラグビー部顧問の小川泰由やOBの濱住勝などの協力のもと運営がなされていた。そして、翌1998(平成10)年に小学部ラグビー部が誕生。創部時の顧問は須田忠、主将は石塚紀章であった。
6.ラグビー祭
ラグビー祭は、小学部、中学部、高等部、大学のラグビー部員、卒業生、保護者が一堂に会し、玉川の丘でラグビーを通じて一緒に汗をかくという毎年の恒例行事。1994(平成 6)年に第1回が開催された。このイベントは、ラグビー部の卒業生が中心となり、現役各チームとも連携してプランニング。当初、ラグビー祭は、各チームが試合を組み、自分たちのプレーを先輩や後輩に見てもらうことや卒業生と交流する目的でスタート。今では先輩・後輩・卒業生が一緒になってラグビーを楽しむ企画となり発展的に継続している。
2019(令和元年)年は5月25日に、玉川ラグビー創部90周年記念としてラグビー祭を開催。当日は 9時より開会式。その後、タッチラグビー日本代表キャプテンであり、タッチラグビー界トップクラスのステップの持ち主である奈良秀明氏によるステップのクリニック。そして 11時よりタッチフット大会。12時10分の閉会式の後、例年通り玉川学園記念グラウンドにて、12時40分よりOB戦を実施した。
7.玉川学園丘陵クラブ機関誌「丘陵」
1963(昭和 38)年、玉川学園ラグビー部OB会の会報誌「丘陵」創刊。「丘陵」という名称は、玉川ラグビーOB会が伝統的に「丘陵クラブ」と呼称されたことに由来する。「丘陵」の発行はある時期より一時中断していたが、1987(昭和 62)年に復刊。過去の会報「丘陵」は名簿のみの1、2枚のわら半紙という時もあったりして、何号が発行されたか正確にわからないことから、復刊にあたっては小原國芳の生誕100年を記念して第100号とした。第100号は本文52ページといった立派な冊子となっている。以後も同様の体裁で会報「丘陵」は制作された。第1回のラグビー祭が開催された1994(平成 6)年に玉川大学・玉川学園ラグビーフットボール部OB会「玉川学園丘陵クラブ」が結成され、この年に会報誌「丘陵」第101号が発行された。第102号は1999(平成 11)年、第103号は2006(平成 18)年、第104号は2013(平成 25)年にそれぞれ発行されている。また、大学ラグビー部創部60周年や90周年記念誌なども制作された。
関連リンク
参考文献
- 『玉川ラグビー90周年記念』 玉川大学・玉川学園ラグビーフットボール部OB会 玉川学園丘陵クラブ 2019年
- 『玉川大学ラグビーフットボール部創部60周年記念』 玉川大学・玉川学園ラグビーフットボール部OB会 玉川学園丘陵クラブ 2010年
- 『丘陵』 玉川大学ラグビー部OB会
第100号(1987年)、第101号(1994年) - 『丘陵』 玉川学園丘陵クラブ(ラグビーフットボール部OB会)
第102号(1999年)、第103号(2006年) - 『丘陵』 玉川大学・玉川学園ラグビーフットボール部OB会 玉川学園丘陵クラブ
第104号(2013年) - 小原國芳監修『全人教育』第283号 玉川大学出版部 1973年
- 小原芳明監修『全人』 玉川大学出版部
第675号(2004年)、第688号(2005年)、第722号(2008年)、
第762号(2012年)、第798号(2015年)