玉川大学の学部・研究科の変遷
1947(昭和22)年に玉川大学が設置認可された。学部は文農学部。さらに1949(昭和24)年、学校教育法による新制大学として玉川大学が設置認可された。学部は文学部と農学部の2学部。その後1962(昭和37)年には工学部が設置され、それ以降39年間、3学部体制が続いた。現在は8学部となっている。大学院についても、28年間3研究科体制が続いたが、現在は6研究科を設置している。
1.玉川大学の誕生
「ゆめの学校」玉川学園を開校するために、小原國芳は財団法人「玉川学園」を設立。幼稚園、小学校、中学校の新設認可の請願書を作成し、教職員を集め、校舎および職員住宅兼塾舎を建築。1929(昭和4)年4月1日、玉川学園設立。4月8日には開校式を行う。幼稚園児8名、小学生10名、中学生80名、塾生13名、全員で生徒数は111名。教職員は18名であった。

1945(昭和20)年8月15日、終戦を迎え、日本は混迷の真っただ中にあった。そうした状況下にあっても、小原國芳は新たな一歩を踏み出そうとしていた。このときの玉川学園は、幼稚園(1947(昭和22)年3月まで閉校)、初等部、中学校、女子高等学校、専門部(女子高等部を含む)、工業専門学校の各部により構成されていた。なかでも最高学部として戦後の混乱を乗り切るために、工業専門学校の学生たちは大きな力となっていた。玉川工業専門学校は1945(昭和20)年7月1日に航空機科と電波兵器科の2科で出発したが、直ちに終戦となったので同年9月に学則変更が認められ、航空機科は機械科に、電波兵器科は電気科となった。

しかしながら、総合学園として理想的な一貫教育をという見地からすれば、何としても最高学府たる大学の設置が求められていた。そして1946(昭和21)年10月1日、財団法人玉川学園は、大学令による玉川大学設立を申請し、1947(昭和22)年2月24日に認可を受け、同年5月20日に開校式の運びとなった。学部は文農学部、学科は文学科と農政学科。なお、玉川大学は旧制大学令に基づく大学設置認可を受けた最後の大学であった。

1946(昭和21)年12月30日、文部省がいわゆる「6・3制教育体制」を発表、翌1947(昭和22)年3月31日に教育基本法・学校教育法が公布されることとなる。これに伴い玉川大学も新制大学へと切り替えていくこととなった。そして、1949(昭和24)年、学校教育法による玉川大学が設置認可された。旧制玉川大学が文農学部の1学部のみの体制だったのに対し、新制玉川大学は文学部と農学部の2学部制をとった。設置された学科は文学部に教育学科と英米文学科、農学部に農学科であった。新制玉川大学は旧制玉川大学や旧制玉川工業専門学校からの編入学も認められ、1949(昭和24)年4月8日に入学式を実施。そして第一回生の卒業式が1952(昭和27)年3月10日に行われた。

2.通信教育部の設置
1945(昭和20)年以降は戦後の混乱期にあって、日本中で教員が不足していた。とりわけ深刻だったのが小学校。教員免許を持たない者を教壇に立たせなければならない場合も多くあった。教員免許を取得したいという希望を持っていても、大学に通う金銭的、時間的余裕のない若者が多かった時代である。そんな時代にあって、教育立国論を獅子吼(ししく)して全国各地を教育行脚し講演していた小原國芳は、教員の再教育の必要性を痛感し、旧制玉川大学や玉川工業専門学校の教授陣による「教育大学」を開設した。現職教員の研修制度である「教育大学」の開校は、わが国の教員養成史上、全く類例のない画期的な構想であった。

この玉川の教育展開とは別に、文部省は通信による教育をアメリカから移入し、制度化を検討していた。玉川でも通信教育の研究が進められ、1948(昭和23)年4月には「通信教育部」が設置されている。そして、教育大学の充実のため、各地分校での出張講義とともに、教科書にもとづく通信指導が行われるようになった。1950(昭和25)年3月14日、通信による教育が日本で初めて文部省により正式に認可された。認可されたのは、玉川をはじめ、慶應義塾、中央、日本、日本女子、法政の6大学の通信教育部。以後、玉川は小学校の教員免許が取得できる数少ない通信教育部を設置している大学として高く評価されている。
- 現在、通信教育部は、教育学部教育学科通信教育課程と称している。

3.3学部体制から8学部体制へ
1962(昭和37)年には工学部が設置された。設置された学科は機械工学科、電子工学科、経営工学科の3学科。それから39年間、文学部、農学部、工学部の3学部体制が続いた。学科においても、1972(昭和47)年に、文学部に外国語学科、工学部に情報通信工学科を開設して以来、4学部体制になるまでの29年間、新たな学科の設置は行われてこなかった。

しかし、21世紀を迎え、日本経済の急速な国際化や情報化により日本の企業を取り巻く環境が急激に変化し、高度な経営管理力と専門的知識、高い倫理観を兼ね備えた人材育成への社会的な要請が高まりを見せていた。このような社会的要請に対応するために、2001(平成13)年4月に経営学部を開設。本学において社会科学系の学部設置は初めてであった。学科は国際経営学科の1学科。

その後、翌2002(平成14)年に教育学部および芸術学部、2007(平成19)年にリベラルアーツ学部、2013(平成25)年に観光学部を開設した。現在は8学部体制で教育活動を行っている。
【学部・学科の変遷】
★印……学部の新設 無印……学科の新設、学科名称変更、組織変更
開設年 | 開設する学部・学科 | 学生募集を停止する学部・学科 (後に廃止) |
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1947 (昭和22) |
★文農学部(文学科、農政学科) | |
1949 (昭和24) |
★文学部(教育学科、英米文学科) ★農学部(農学科) |
文農学部 |
1950 (昭和25) |
★通信教育部文学部教育学科 | |
1962 (昭和37) |
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1964 (昭和39) |
<文学部> 芸術学科 <農学部> 農芸化学科 |
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1972 (昭和47) |
<文学部> 外国語学科 <工学部> 情報通信工学科 |
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2001 (平成13) |
★経営学部(国際経営学科) 【学科名称変更】
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2002 (平成14) |
★教育学部(教育学科)
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2003 (平成15) |
<文学部> リベラルアーツ学科 <教育学部> 乳幼児発達学科 |
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2004 (平成16) |
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2005 (平成17) |
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<農学部> 応用生物化学科 |
2006 (平成18) |
<文学部> 比較文化学科 <芸術学部> メディア・アーツ学科 |
<文学部> 国際言語文化学科 |
2007 (平成19) |
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<文学部> リベラルアーツ学科 |
2008 (平成20) |
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2013 (平成25) |
★観光学部(観光学科) | <経営学部> 観光経営学科 |
2014 (平成26) |
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2015 (平成27) |
<文学部> 英語教育学科 <工学部> エンジニアリングデザイン学科 |
<文学部> 比較文化学科 |
2017 (平成29) |
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2021 (令和3) |
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4.3研究科から6研究科へ
玉川大学に大学院が開設されたのは1967(昭和42)年。学部の授業を基盤に、より高度の技術者、研究者を育成することを目的として、工学研究科機械工学専攻、電子工学専攻(1995年に電子情報工学専攻に名称変更)が設置された。いずれも修士課程であった。さらにその5年後の1972(昭和47)年に電子工学専攻博士課程を開設。1980(昭和55)年には電子工学専攻博士課程(1983年3月31日付廃止)を学生募集停止し、生産開発工学専攻博士課程を開設した。これにより電子工学専攻修士課程だけでなく、機械工学専攻修士課程修了者の博士課程での研究の継続が可能となった。2007(平成19)年、生産開発工学専攻博士課程(2009年3月31日付廃止)を学生募集停止し、脳情報専攻博士課程およびシステム科学専攻博士課程を開設。

1971(昭和46)年、文学部教育学科卒業生の進学先として文学研究科教育学専攻修士課程を開設。翌年、文学部英米文学科の卒業生の進学先として英文学専攻修士課程を開設した。さらに次の年に、文学研究科に教育学専攻博士課程を開設。当時、小原國芳は、教育学専攻修士課程に現職教員の入学できる方策を講じて、多くの優秀な人材を教育界に送り出したいと考えていたが、国の制度がまだ整備されていなかった。2008(平成20)年、教職大学院制度の発足を受けて、玉川大学はその制度スタート時に教職大学院(教育学研究科教職専攻専門職学位課程)を開設した。2006(平成18)年、文学研究科教育学専攻修士課程(2007年3月31日付廃止)を学生募集停止し、教育学研究科教育学専攻修士課程を開設。同年、文学研究科に哲学専攻修士課程を開設した。文学研究科教育学専攻博士課程については2007(平成19)年より学生募集を停止し、2009(平成21)年3月31日付で廃止とした。

1977(昭和52)年には農学研究科資源生物学専攻修士課程を、1979(昭和54)年には農学研究科資源生物学専攻博士課程を開設。専攻は、農学部の農学科、農芸化学科の両学科の教育・研究内容を網羅した資源生物学専攻のみの1研究科に1専攻の構成となった。2005(平成17)年にはマネジメント研究科(修士課程)を開設した。2010(平成22)年には脳情報研究科(修士課程)を開設。2014(平成26)年には既設の脳情報研究科を改組して脳科学研究科を開設することとなった。脳科学研究科は心の科学専攻(修士課程)と脳科学専攻(博士課程)から構成されている。研究内容によって、心の科学専攻では、修士(工学)あるいは修士(学術)が、脳科学専攻では、博士(工学)あるいは博士(学術)の学位が取得できる。
【大学院研究科・専攻の変遷】
★印……研究科の新設 無印……専攻の新設、専攻名称変更
開設年 | 開設する研究科・専攻 | 学生募集を停止する研究科・専攻 (後に廃止) |
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1967 (昭和42) |
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1971 (昭和46) |
★文学研究科(教育学専攻)修士課程 | |
1972 (昭和47) |
<工学研究科> 電子工学専攻博士課程 <文学研究科> 英文学専攻修士課程 |
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1973 (昭和48) |
<文学研究科> 教育学専攻博士課程 | |
1977 (昭和52) |
★農学研究科(資源生物学専攻)修士課程 | |
1979 (昭和54) |
<農学研究科> 資源生物学専攻博士課程 | |
1995 (平成7) |
【専攻名称変更】
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1980 (昭和55) |
<工学研究科> 生産開発工学専攻博士課程 | <工学研究科> 電子工学専攻博士課程 |
2005 (平成17) |
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2006 (平成18) |
★教育学研究科(教育学専攻)修士課程 <文学研究科> 哲学専攻修士課程 |
<文学研究科> 教育学専攻修士課程 |
2007 (平成19) |
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<工学研究科>生産開発工学専攻博士課程 <文学研究科>教育学専攻博士課程 |
2008 (平成20) |
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2010 (平成22) |
★脳情報研究科(脳情報専攻)博士課程
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<工学研究科>脳情報専攻博士課程
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2014 (平成26) |
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脳情報研究科 |
参考文献
- 『玉川大学大学院設置認可書』 玉川大学 1967年
- 『玉川大学経営学部設置認可申請書』 玉川大学 1999年
- 『玉川大学教育学部・芸術学部設置認可申請書』 玉川大学 2001年
- 『教職大学院設置認可申請書』 玉川大学 2007年
- 『脳科学研究科設置届出書』 玉川大学 2013年
- 『リベラルアーツ学部設置届出書』 玉川大学 2006年
- 『観光学部設置届出書』 玉川大学 2012年
- 小原芳明監修『全人教育』 玉川大学出版部
第622号、第630号(2000年)、第631号(2001年) - 小原芳明監修『ZENJIN』 玉川大学出版部
第637号、第639号(2001年)、第643号(2002年) - 小原芳明監修『全人』 玉川大学出版部
第.672号、第.673号(2004年)、第698号(2006年)、第709号(2007年)、
第.737号(2010年)、第. 764号、第765号、第766号(2012年)、
第779.号、第783.号(2014年) - 玉川大学通信教育部編『玉川の丘-玉川大学通信教育部 部報』第1号 玉川大学通信教育部 1951年
- 玉川大学通信教育部編『玉川の丘-玉川大学通信教育部 部報』第5号 玉川大学通信教育部 1951年
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
- 玉川学園編『玉川教育: 玉川学園三十年』 玉川学園 1960年
- 玉川学園編『玉川学園創立80周年記念誌』 玉川学園 2010年
- 玉川学園編『玉川学園創立80周年記念誌』 玉川学園 2019年
- 日経BP企画編『玉川学園創立90周年記念誌―そして未来へ』 学校法人玉川学園 2010年
- 大学案内パンフレット(教職大学院、脳科学研究科、リベラルアーツ学部、観光学部)