大体育館
1965(昭和40)年4月20日に大体育館が完成。体育の授業のほか、大学およびK-12の入学式や卒業式といった式典などで使用。大体育館ができた当時は、地下に食堂があった。大グラウンドの上にあった初代体育館は、大体育館完成後、小体育館と呼ばれるようになった。
1.大体育館の誕生
大グラウンドを見下ろすように建てられた初代体育館は、玉川学園創立の翌々年である1931年(昭和6)年の大グラウンド竣功時に完成したもの。まだ全校生徒や教職員の数が300名弱の時のものであった。しかし、全校生徒や教職員の数は、1962(昭和37)年には3,000名を超えるに至った。そのようなこともあり、新たな体育館の建設は、当時学長、学園長であった小原國芳の長年の懸案事項であった。
そして新たな体育館が完成したのが、1965(昭和40)年4月20日のこと。初代体育館と区別するために「大体育館」という名称となり、あわせて初代体育館は「小体育館」と呼ばれるようになった。大体育館の広さは延べ4,000m2(1,300坪)、収容人数は約5,000名。地下1階、地上2階建て。ロビーを入って扉を開けると球技場、奥側にステージ。球技場は、バレーボールコート3面、またはバスケットボールコート2面がとれる。2階はスタンド席。地下には当初、食堂があった。食堂がなくなって以降、多目的体育場と指導室、管理室が配置されている。多目的体育場は柔道場としての利用のほか、式典での荷物預かりや学生への教科書配本などでも使用された。
大体育館の完成について、『全人』第693号の「故きを温ねて」に次のように記されている。
「長年の懸案」(『全人教育』第180号)だった大体育館の地鎮祭を昭和39年6月に挙行。式典の途中、新潟地震の激しい揺れが起こった・・・
(略)
10カ月後の昭和40年4月20日、完成した大体育館で初めての大学入学式が行われ、文・農・工・女子短大の新入学生約1,000名が一堂に会した。
現在(2006年)、大体育館では、平日は午前7時の小学部バスケット部朝練から、大学生のクラブが午後8時半に終わるまで、フル回転状態。正月三が日を除き、年間を通して抜群の稼働率になっている。
地鎮祭については、『全人教育』第180号の「身辺雑記」にも次のような記述がある。
長年の懸案だった大体育館延べ1,300坪。女子短大のために1,200坪。運動場も2倍半に拡張します。
神主さんの儀式は何となく建築にはふさわしい。工事が無事であれ、堅牢であれと祈る。
途中、とても大きな地震。しかも、余震が長い。新生の工学部が気になる。「どうですか」と隣席の技師長蛭田博士に聴けば
「これ位では大丈夫ですよ」
『全人』第190号の「身辺雑記」で、大学入学式で大体育館に入った時の感想を小原國芳は次のように述べている。
はいってみると、全く堂々の陣容。苦しい借金ではあるが、やはり、こしらえてよかったと、みんなで喜び合うことです。
1965(昭和40)年11月3日、玉川大学第一次建設完成内祝の会が大体育館で開催されている。工学部の創設、芸術学科と農芸化学科の増設、女子短期大学の新設、大体育館の竣功などを祝っての会である。
2.さまざまな活動で使用されている大体育館
大体育館はさまざまな行事等で使用された。体育の授業のほか、大学および高等部、中学部、小学部の入学式や卒業式、通大スクーリングの開講式といった式典、大学のクリスマス礼拝、玉川学園教育研究会、玉川学園造形教育研究会、玉川学園体操講習会、大学のクラブ活動、全学教職員の集い、通大祭など。玉川学園創立者小原國芳と信夫人の玉川学園葬も大体育館で行われた。大学文化祭でも、運動クラブの試合をはじめ、前夜祭や音楽イベントでも使用。本学の卒業生で「およげ!たいやきくん」(シングル盤レコード売り上げ枚数No.1の曲)が大ヒットしていた子門真人さんをはじめ、渡辺美里さんなどもこの大体育館で歌われた。デンマーク・オレロップ体操チームの演技も行われている。2013年(平成25)年にはロボカップジャパンオープンの会場の一つにもなった。
3.玉川学園創立50周年記念事業として総合体育施設である記念体育館が完成
大体育館に加えて1983(昭和58)年に記念体育館が完成。記念体育館は、記念グラウンドの南側に位置し、地続きで2階の正面入口に入れるようになっている。4階建ての体育館の正面玄関を入ると南側の丘まで見通せる広々としたホールがあり、その広さと明るさはスポーツの殿堂にふさわしい雰囲気を感じさせる。正面入口の右側には公式コートとしてバレーボールコートが4面、またはバスケットボールが3面取れる約1,800平方メートルの球技場がある。球技場の反対側には研究室と男子用、女子用の更衣室、トイレが完備されている。
3階に昇ると左側にデンマーク体操の本山にふさわしい専用の体操場がある。体操場のほかに実習室と玉川アスレチック・デパートメント(TAD)の事務室が設けられている。4階には演習室が設置されている。1階に降りると剣道の専用道場(國芳殿)と柔道の専用道場(玉魂舎)がある。その他、トレーニングルームと男子用、女子用の更衣室、トイレが備えられている。1階には外から入るための玄関があるが、その前は多目的に使えるピロティがあって、アスファルト敷の屋内運動場となっている。
4.新体育館の建設構想
大体育館が完成してから57年が経過。現在、2029年の玉川学園創立100周年に向けて、次世代を見据えた新たなキャンパス構想が進められている。その中で大体育館に代わる新たな体育館の建設が検討されている。具体的には2027年3月の利用開始を目指した新たな複合体育施設「Sports Center SANITAS(SCS)」の建設で、体育館や屋内プール、ウェルネスデザインラボ、オレロップ専用室、講義室などを完備する計画である。
5.写真で見る大体育館
参考文献
小原國芳監修『全人教育』 玉川大学出版部
第180号(1964年)、第190号・第191号(1965年)
小原芳明監修『全人教育』第858号 玉川大学出版部 2021年
白柳弘幸「故きを温ねて(59)」(『全人』第693号 玉川大学出版部 2006年 に所収)
玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年