1975年に来園したデンマーク・オレロップ体操チーム
1975(昭和50)年にデンマーク・オレロップ体操チームを招聘。一行は全国を公演旅行。本学では、体育祭に参加し、大体育館で体操演技の発表を行った。一行は公演のほか、皇居遥拝、首相官邸訪問、帝国ホテルでの記者会見、文部大臣主催歓迎レセプションや小原國芳招聘委員会会長主催の歓送レセプションに参加、さらにNHKテレビ「スタジオ102」およびフジテレビ「小川宏ショー」に出演。オレロップ体操チームの44年ぶりの来日は、日本の体育教育の啓蒙に大きな役割を果した。
1.デンマーク国王よりダンネベルク勲章(コマンダーズ・クロス)が小原國芳に
1975(昭和50)年2月12日、永年にわたる教育文化交流の貢献により、玉川学園において、小原國芳に、デンマーク国王からのダンネベルク勲章(コマンダーズ・クロス)が贈られた。授与式典は当初デンマーク大使館で行われる予定であったが、ティゲ ダルゴー駐日デンマーク大使の配慮により玉川学園で開催。それにより式典に児童、生徒、父母、教職員が多数参加することが可能となった。またこの時に、オレロップ国民高等体操学校(現・オレロップ体操アカデミー)のアーネ M.モルテンセン校長に玉川大学名誉教授の称号を贈った。この式典参列のために、モルテンセン校長と理事長のニールセン夫妻がデンマークより来日。その日の夜には、帝国ホテルにおいてダンネベルク勲章叙勲祝賀会が、ティゲ ダルゴー駐日デンマーク大使、モルテンセン校長、永井文部大臣、坂田前文部大臣など内外の来賓を迎えて開催された。
1927(昭和2)年12月5日、「現在、世界の体育・体操家の中で一番偉いのは誰なのか?」と尋ねた小原國芳に対し、世界の体育を調査・研究してきた三橋喜久雄は即座に「それはデンマークのニルス・ブック氏です」と答え、オレロップ国民高等体操学校で行われていたデンマーク体操の魅力を熱く語った。それがきっかけとなり、玉川学園を創立した後、小原は、1931(昭和6)年にデンマーク・オレロップ国民高等体操学校の創始者で、デンマーク体操(基本体操)の考案者でもあるニルス・ブックをはじめとするデンマーク体操団一行26名を日本で初めて招聘した。デンマーク体操を教育の場に取り入れ、また、「オレロップ国民高等体操学校東洋分校」として協定を締結。その後、小原は体育教師を派遣留学させるなどデンマーク体操を通して日本とデンマークの文化交流を推進。その努力が認められて、ダンネベルク勲章の受章となった。
2.招聘委員会の発足
1974(昭和49)年12月にデンマーク・オレロップ体操チーム招聘委員会が発足。委員会の会長が小原國芳玉川学園総長、招聘委員長が小原哲郎玉川大学学長、実行委員長が橋本道玉川大学教授であった。委員も東海大学松前重義総長、日本体育大学清水正一学長、京都教育大学小江慶雄学長、大阪府教育委員会中畔肇教育長、熊本県本渡市横山寛人市長、鹿児島県体育協会金丸三郎会長、デンマーク協会黄田多喜夫会長など錚々たるメンバーであった。招聘委員会は、日程の決定、会場や宿泊場所の確保、食事の内容や手配、移動・器具輸送手段、広報や案内、プログラム制作など種々の業務を行い、最大の課題であった招聘基金は、募金活動で乗り切ることができた。
3.デンマーク・オレロップ体操チームが来日、皇居遥拝
デンマーク・オレロップ体操チームは、1975(昭和50)年10月3日の午前10時に小雨が降る中、東京国際空港(羽田空港)に到着。小原國芳がニルス・ブックをはじめとするデンマーク体操団を日本で初めて招聘してから44年経ってのことであった。一行はアーネ M.モルテンセン校長を団長として、グナー B.ハンセン、マリエ・マイナート・モルテンセン、インガー・バイルスコー・ニールセン、カレン・ビロショイといった教師団とデモンストレーター30名(女性14名、男性16名)。最初の訪問地は皇居。霧雨が降る中、一行は、44年前にニルス・ブックを団長としたオレロップ体操チームが行ったのと同様に、デンマーク国旗を掲げて皇居前を行進。そして「君が代」を斉唱した。
4.首相官邸訪問、帝国ホテルでの記者会見
オレロップ体操チームは首相官邸を訪問。三木首相はデンマーク体操が体操国日本を築く基礎となったこと、日本国民の健康づくりに貢献してきたことを感謝され、一行一人ひとりと握手を交わされた。
デンマーク体操とは、青少年の身体の基礎的改造、矯正、発育促進を目的として考案された民衆体操のこと。人間の呼吸に合わせたリズミカルな動きを取り入れた躍動感あふれる体操で、筋力の強化だけでなく柔軟性や巧緻性(機敏性)も向上させるのが特徴。デンマーク体操はさまざまに形を変えながら全国津々浦々に普及。日本国民の健康づくりに貢献してきたといえるであろう。
その後帝国ホテルにおいて、NHKをはじめとするテレビ関係5社、新聞社や共同通信など24社が集う合同記者会見が行われた。モルテンセン団長のスピーチにつづき、男性、女性の演技の一部が披露された。
5.オレロップ国民高等体操学校本校・東洋分校交歓夕食会、文部大臣主催歓迎レセプション
オレロップ国民高等体操学校本校・東洋分校交歓夕食会を京王プラザホテルで開催。44階の部屋から見下ろす雨で霞む東京の夜景を見ながらの歓迎会となった。小原國芳招聘委員会会長の挨拶、歓談や歌の交流。楽しい第一夜を過ごした一行は、1964(昭和39)年東京オリンピックの選手村として使用された代々木ユースセンターの宿舎へ移動。初めての日本での夜を過ごした。
来日2日目の4日の午後5時からホテルニューオータニの桐の間において永井文部大臣主催の歓迎レセプションが開催された。永井文部大臣の英語での挨拶の後、デンマーク大使、モルテンセン団長、小原國芳招聘委員会会長の挨拶がつづいた。参加者については、『全人教育』第316号(玉川大学出版部/1975年発行)の「身辺雑記」に以下のように記されている。
一行を中心に、デンマーク大使夫婦はじめ、大使館の幹部たち、デンマークへ留学していた諸君も約五十名。全国から。大北電信会社の社長も見えました。長崎上海間の海底電信の「大北電信会社」の社長です。
日本側のお客は寄附金募集で特に、お世話になった竹村理事はじめ、前防衛大臣の山中代議士、卒業生の大蔵政務次官の森代議士等々。
更に、今回、招待校の代表の先生方。特に、東海大学の松前学長代理、大阪の宮本学長はじめ、名古屋、大阪、福岡、熊本、鹿児島の代表者たち、ホントに、ありがとうございました。
来日3日目の5日は歓迎と休養を兼ねて一行を箱根へ。富士屋ホテルに宿泊。雨が激しく降っていたため、一行は観光をやめて、室内での遊戯や映画鑑賞、入浴をたのしみ、休養の一日となった。
6.オレロップ体操チーム来園
来日4日目の6日、オレロップ体操チーム一行は玉川学園に。午前10時30分に到着。まずは小学部を見学。グラウンドのスタンドにデンマークと日本の国旗を掲げてのお出迎え。美術、理科、国語、音楽などの授業を参観。つぎの中学部では中学部生の労作で造られた野外スタンドでブラスバンドの演奏などを聞き、美術教室でヴァイオリン製作を見学。小原國芳総長室での昼食後、大体育館でデモンストレーションの練習を行った。
7.NHKテレビ「スタジオ102」およびフジテレビ「小川宏ショー」に出演、日本橋三越で初公演
来日2日目の4日の朝、NHKへ。オレロップ体操チーム一行は放送局内のいくつかの部屋や屋上、庭に分かれて部分発表や総合発表を行った。それを放送局側で撮影し、放送用に一つにまとめていく。この模様は、7時35分からの朝の人気番組「スタジオ102」で放送。8時13分から12分間の放映。モルテンセンや小原國芳の話、放送局が一つにまとめたオレロップ体操チーム一行の発表の様子がテレビ画面に映し出された。
さらにオレロップ体操チームの来日の模様は、朝9時から10時30分まで放送のフジテレビの「小川宏ショー」でも8日に取り上げられた。収録は新宿にあったフジテレビのスタジオ。女子のリズム体操と手具体操、男子の基本体操などの演技と、合間でのモルテンセンと小原哲郎の説明が約15分間放映された。北は北海道文化放送から、南は沖縄テレビまで全国27局ネットでの放送であった。また新聞や雑誌も、一行のデンマーク体操の公演および講習会の様子を伝えた。
4日に行われた日本橋三越本店の屋上野外音楽劇場での初公演について、中山和彦著「デンマーク・オレロップ体操チーム来日公演を終えて」(『全人教育』第316号に所収)につぎのような記述がある。
体育の日にちなむ行事が各地で計画されていたが、先がけて日本橋三越は遠来のオレロップ体操チームを紹介したのである。
屋上ステージは折りからミス東京発表会で賑いをみせていた。この観客がそのまま体操チーム演技発表会に移動し、開演時間には観客で会場は一杯になった。
ステージ一杯に繰りひろげられた男子・女子のデモンストレーションは本邦初演。均斉のとれた堂々たる体躯、躍動する身体に圧倒された観衆は、マリエ・モルテンセン教師の「皆さんも一緒に身体を動かしてみませんか」という誘いに応え、広場は体操教室に変る。
8.体育祭参加、大体育館で体操演技発表
6日に玉川学園キャンパスの大体育館で練習を行ったオレロップ体操チーム一行は、東京をはじめ京都、大阪、北九州、熊本、鹿児島、名古屋、岐阜などで30数回にわたる公演を実施。東京公演は玉川学園のほか、日本体育大学、東京農業大学、学習院大学、日本女子大学、東海大学、自由学園、さらに一般公演として代々木第二体育館にて行われた。
玉川学園での公演は12日。オレロップ体操チーム一行が大グラウンドで行われた玉川学園体育祭に参加。開会式直前から小雨が降り始めたが、予定通り体育祭は開催。デンマーク大使ご夫妻やモルテンセン校長が来賓席で見守る中、デンマークと日本の国旗を先頭に、児童、生徒、学生が列をつくって入場。行進の最後にオレロップ体操チームがデンマーク国旗を掲げて登場。整列後、デンマークの国民歌の合唱とデンマーク国旗の掲揚、君が代の合唱と日の丸の掲揚。つづいて小原哲郎学園長とモルテンセン校長の挨拶。プログラムは主要なマスゲームのみ行った。
会場を大体育館に移動して、オレロップ体操チームの体操演技発表会が行われた。体操演技の発表は11時30分からと14時20分からの2回。1回目は園児、児童、中学部の生徒、父母、卒業生、教職員が見学。2回目の見学者は、高等部の生徒、大学生、短大生、来賓、父母、教職員、一般の方々。体操演技発表会終了後、学内の朔風館食堂において、小原哲郎学園長はじめ体育関係者など約70名が参加しての夕食懇談会を開催した。
9.招聘委員会会長主催の歓送レセプション
29日、文部省の大臣室にて、日本政府からの勲三等瑞宝章が永井文部大臣よりモルテンセン校長に手渡された。デンマーク体操を通しての30年にわたる体操教育の実践、ならびにデンマークと日本の文化交流の功績による叙勲であった。夕方、招聘委員会会長である小原國芳主催で、オレロップ体操チーム一行の歓送レセプションが開催された。場所はホテルニューオータニの鳳凰の間。デンマーク大使をはじめ多くの来賓の方々が出席。
また会の最後に招聘委員会会長である小原國芳より、オレロップ国民高等体操学校に対して西陣織の掛軸が贈呈された。さらに招聘委員会委員長である小原哲郎からモルテンセン校長に、記念品として悲母観音の掛軸を贈呈。そして名残を惜しみながら、歓送レセプションは閉会となった。
全日程を終えたオレロップ体操チーム一行は帰国の途に。中山和彦著「デンマーク・オレロップ体操チーム来日公演を終えて」(『全人教育』第316号に所収)は、最後につぎのような文章で結ばれている。
四十四年目の再度来日は、日本の体育教育の啓蒙に大きな役割を果した。二十九日間の滞在中に、公演・講習会合せて三十回。
観客、受講生は実に十万人を超え、更にテレビ十六局、雑誌四誌、新聞七十紙に及ぶ報道活動からみても裏付けることが出来る。
各地で受けた歓迎ぶりは一行にとって驚異でもあったという。その中で彼等は冷静に日本を学ぶ努力を怠らなかった。
今回の来日にあたって、モルテンセン団長は、「ニルス・ブックの遺言である“デンマーク体操の本質を正しく伝承する唯一の国”日本を訪ねることは永年の念願であった。世界の体操の指導国である日本に体操を教えに行くのではなく、私の国の若い人達に日本で、日本を学ばせるために行くのです」と語ったという。
デンマーク・オレロップ体操チーム在日日程 (『デンマーク・オレロップ体操チーム招聘報告書』より抜粋)
10月
日(曜日) | 時間 | スケジュール |
---|---|---|
3日(金) | 9時5分 | <羽田着> ・皇居遥拝 |
15時~ | ・三木首相表敬訪問 ・記者会見 |
|
18時~20時 | ・オレロップ国民高等体操学校本校・分校交歓夕食会(京王プラザホテル) | |
4日(土) | 7時35分~8時15分 | ・NHKテレビ「スタジオ102」に出演 |
14時~14時45分 | ・三越日本橋本店屋上の野外音楽劇場にて一般公演および一般講習会(約300名参加) | |
17時~19時 | ・永井文部大臣主催の歓迎レセプション(ホテルニューオータニ) | |
5日(日) | ・箱根観光(箱根富士屋ホテルに宿泊) | |
6日(月) | ・トレーニング | |
7日(火) | 13時30分~15時30分 | ・東京農業大学にて公演 |
8日(水) | 9時~10時30分 | ・ブジテレビ「小川宏ショー」に出演 |
14時30分~16時30分 | ・日本体育大学にて公演および講習会 | |
9日(木) | 10時~12時 | ・学習院中等科・高等科にて公演 |
13時30分~15時30分 | ・日本女子大学および附属豊明小学校にて公演 | |
10日(金) | 10時~16時30分 | ・自由学園にて公演 |
18時30分~21時30分 | ・デンマーク大使主催の歓迎レセプション(デンマーク大使公邸) | |
11日(土) | ・自由行動 | |
12日(日) | 11時30分~13時30分 14時20分~16時30分 |
・玉川学園、玉川大学にて公演 |
13日(月) | 13時~14時05分 14時20分~16時40分 |
・東海大学にて講習会 ・東海大学にて公演 |
14日(火) | 13時30分~16時15分 18時~20時15分 |
・東京公演のためのトレーニング ・東京公演(国立競技場第2体育館) 2,703名が参加 |
15日(水) | <東京から京都へ移動> | |
14時~16時 16時30分~18時 18時30分~20時30分 |
・京都大会講習会(京都府立体育館) ・京都大会公演 ・関西デンマーク協会懇親会 |
|
16日(木) | ・京都観光 ・宇治市長・京都府知事表敬訪問 |
|
19時~21時 | ・関西デンマーク体操研究会会員との懇親会 | |
17日(金) | ・松下電器見学 | |
14時~16時 | ・大阪北河内大会公演(松下電器体育館) | |
18日(土) | 10時~12時 | ・大阪中央大会講習会(大阪市中央体育館) |
・近畿高等学校保健体育研究会会員との懇談会 | ||
14時30分~16時40分 | ・大阪中央大会公演(大阪市中央体育館) | |
19日(日) | 10時~12時 13時~15時 |
・大阪レクリエーション協会主催講習会(大阪ガス体育館) ・大阪レクリエーション協会主催公演 |
・大阪城見学 | ||
18時~20時 | ・関西デンマーク協会夕食会 | |
20日(月) | ・菊人形見学(ひらかたパーク) | |
12時10分~13時30分 14時~15時 |
・大阪府立東豊中高等学校にて公演 | |
・大阪府立東豊中高等学校歓送レセプション | ||
<大阪から北九州へ移動> | ||
・九州女子大学歓迎レセプション | ||
21日(火) | ・皿倉山見学 | |
12時30分~14時30分 15時~17時 |
・九州女子大学にて公演 ・九州女子大学にて講習会 |
|
<北九州から熊本へ移動> | ||
・九州東海大学歓迎夕食会 | ||
22日(水) | 9時~11時 | ・九州東海大学にて公演(熊本市体育館) |
・水前寺成趣園、熊本城見学 | ||
<熊本から鹿児島へ移動> | ||
・鹿児島県知事歓迎夕食会(城山観光ホテル) | ||
23日(木) | ・鹿児島県知事表敬訪問 | |
10時~12時 | ・鹿児島講習会(鹿児島県体育館) | |
・昼食会 ・かごしま熱帯植物園見学 |
||
13時30分~15時30分 | ・鹿児島公演 | |
・桜島見学 | ||
24日(金) | <鹿児島から熊本へ移動> ・阿蘇山、稲刈、天草見学 |
|
・本渡市歓迎レセプション | ||
25日(土) | 10時~12時 14時~16時 |
・本渡市講習会(本渡市体育館) ・本渡市公演 ・本渡市歓送夕食会 |
・水族館見学 | ||
<熊本から名古屋へ移動>(寝台特急) | ||
26日(日) | ・熱田神宮見学 | |
・名古屋商科大学歓迎夕食会 | ||
27日(月) | 9時~10時30分 | ・名古屋商科大学附属高等学校にて公演 |
13時~15時 | ・名古屋商科大学にて公演 | |
・東白川村セミナハウス歓迎レセプション | ||
28日(火) | 9時30分~11時30分 | ・東白川村公演(東白川村体育館) |
<岐阜から東京へ移動> | ||
29日(水) | ・文部省の大臣室にて、日本政府からの勲三等瑞宝章が永井文部大臣よりモルテンセン校長に手渡された | |
・自由行動 | ||
・小原國芳招聘委員会会長主催の歓送レセプション(ホテルニューオータニ) | ||
30日(木) | ・自由行動 | |
31日(金) | 11時40分 | <羽田発> |
参考文献
- デンマーク・オレロップ体操チーム招聘委員会・玉川大学体育研究所編『デンマーク・オレロップ体操チーム招聘報告書』 デンマーク・オレロップ体操チーム招聘委員会・玉川大学体育研究所 1976年
- 小原國芳監修『全人教育』第316号 玉川大学出版部 1975年
- 小原國芳「デンマーク体操に学ぶもの」(『全人教育』第316号 玉川大学出版部 1975年 に所収)
- 中山和彦「デンマーク・オレロップ体操チーム 来日公演を終えて」(『全人教育』第316号 玉川大学出版部 1975年 に所収)
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年