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玉川大学は最後の旧制大学で、日本で59番目に認可された大学

2024.07.29

第90回帝国議会において学校教育法が可決成立する見込みとなったことから、大学令に基づく大学新設認可は1947(昭和22)年2月の玉川大学をもって終了。そのため玉川大学は旧制大学として、日本で最後に認可された大学となった。

1.旧制大学と学校教育法によって設置された新制大学

旧制大学とは、1947(昭和22)年4月1日に施行された学校教育法より前の学校制度において設置された大学をいう。ただし、旧制大学は法令上の用語ではなく、上述の学校教育法によって設置された新制大学と対比してそう呼ばれている。通常は「大学令によって成立した大学」並びに「大学令制定以前の学制及び帝国大学令によって成立した大学」を意味する。新制大学も同様で、「学校教育法によって設置された大学」が正しい表現である。

ちなみに日本で初めて設置された大学は東京大学である。1877(明治10)年、東京医学校と東京開成学校という専門学校が合併して大学へ昇格し誕生した。以後、旧制大学として設置された大学は、東京大学を含め59に及ぶ。そして、最後の59番目に設置された大学が玉川大学であった。

2.玉川大学の誕生

終戦を迎えた日本国民は敗戦の影響で先の見えない日々を過ごしていたが、小原國芳はいち早く教育立国を唱えて新生日本の進む道を示した。そして、「教育立国」の夢と「全人教育」の理想を語り、全国を教育行脚。1946(昭和21)年には、『教育立国論』を出版した。

「教育立国」の夢と「全人教育」の理想を語って日本全国を教育行脚

教育制度においても改革の実行には時間がかかっていた。けれども玉川学園は、早くも旺盛な活力をもって始動していた。このときの玉川学園は、幼稚園(1947(昭和22)年3月まで閉校)、初等部、中学校、女子高等学校、専門部(女子高等部を含む)、工業専門学校の各部により構成されていた。なかでも最高学部として戦後の混乱を乗り切るために、工業専門学校の学生たちは大きな力となっていた。

玉川工業専門学校は1945(昭和20)年7月1日に航空機科と電波兵器科の2科で出発したが、直ちに終戦となったので同年9月に学則変更が認められ、航空機科は機械科に、電波兵器科は電気科となった。当時この専門学校で教鞭を執っていた鈴木清主任教授は「今こそ全日本の教育に根本的な革命の行われるべき時です。そしてその革命ののろしをあげ、方向付けをなし、道しるべとなって文化立国の動力となるべき使命がこの玉川教育に課せられたのだと信じています」と述べているが、学生たちはまさにその先頭に立って活躍をしていた。

玉川工業専門学校の授業

しかしながら、総合学園として理想的な一貫教育をという見地からすれば、何としても最高学府たる大学の設置が求められていた。このことは、小原國芳をはじめ玉川学園の多年の悲願であり、また玉川教育を普遍化していくという使命にもつながることであった。そして1946(昭和21)年10月1日、財団法人玉川学園は、大学令による玉川大学設立を申請し、1947(昭和22)年2月24日に認可を受け、同年5月20日に開校式の運びとなった。

玉川大学予科入学式

前年に開会された帝国議会において学校教育法が可決成立する見込みとなったこともあり、旧制大学令に基づく大学認可は玉川大学で終了した。つまり当時の玉川大学は、日本における最後に認可された旧制大学であった。学部は文農学部で、文学科と農政学科の2学科からなり、大学予科と研究科も併置するという組織で成り立っていた。

新たな日本のかたちがようやく見えてきた終戦直後の時代であり、多くの物事に急激な変革が求められていた。教育においても、1946(昭和21)年12月30日、文部省がいわゆる「6・3制教育体制」を発表、翌1947(昭和22)年3月31日に教育基本法・学校教育法が公布されることとなる。これに伴い玉川大学も新制大学へと切り替えていくこととなった。そして、1949(昭和24)年、学校教育法による玉川大学が設置認可された。旧制玉川大学が文農学部の1学部のみの体制だったのに対し、新制玉川大学は文学部と農学部の2学部制をとった。設置された学科は文学部に教育学科と英米文学科、農学部に農学科であった。そして現在は8学部17学科体制で教育活動を行っている。

文学部教育学科校舎(1959年)
文学部英米文学科校舎(1959年)
農学部農学科校舎(1959年)
農学部農学科実験室(1950年)
玉川大学第1回卒業式(1952年)

旧制玉川大学が実際に教育活動を行ったのは短い期間であった。だがそこには、終戦を迎え「教育こそが未来の日本をつくるのだ」という、小原をはじめとした学園関係者の強い思いが表れていた。

参考文献

  • 小原國芳著『教育一路』 玉川大学出版部 1980年
  • 小原國芳「教育講演行脚・身辺雑記(1)」(小原國芳『小原國芳全集21』 玉川大学出版部 1966年 に所収)
  • 小原國芳編『全人』 玉川学園出版部
        第16巻第1号1月号・4月号(1946年)、第17卷3月号(1947年)
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年

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