玉川学園カナダナナイモ校地の歴史 ① ナナイモ校地の開設
ナナイモ校地は、環境教育、野外教育、異文化教育などの国際理解教育の拠点として、玉川大学・玉川学園の学生・生徒の学修の場となっている。また、地元ナナイモを中心としたカナダ国内の教育機関などとの交流でも校地を使用。さらに、現地教育機関などの研修や会議等の場として施設の貸出しも行い、地域社会にも貢献している。そのナナイモ校地は、1976(昭和51)年9月に開設された。
1.カナダ法人玉川学園の設立
玉川学園では創立以来、「地球は我らの故郷である」という信念の下に、国際教育を教育理念の一つとして実践してきた。1975(昭和50)年には、玉川学園が数年後に創立50周年を迎えることもあり、国際教育推進の第一歩として、カナダ・ブリティシュコロンビア州に教育施設(農場、研究施設等)を拡充すべく現地との交渉を進めた。交渉にあたって玉川学園は、殊に玉川大学の教育研究とカナダ現地の自然・社会・経済等の諸環境からみて、実験農場を基盤として国際教育の推進を図ることが実際的であると考え、相当規模の土地(農場)取得を希望。さらにカナダ国籍によるものでなければ土地取得は不可能ということから、1975(昭和50)年11月27日に現地法人として「カナダ法人玉川学園」を設立した。
そして、1976(昭和51)年に、森や湖に囲まれた自然豊かなナナイモの地に、「カナダと日本の心と心の間の絆を作りたい」という思いを込めて土地を購入。そこは、ホールデン湖の東端を含むなだらかな南斜面の牧草地で、面積は約10万坪(約32万平方メートル)。西に1,500メートル級の山々を臨み、まわりは杉の森に囲まれた自然環境であった。北アメリカ大陸に約32万平方メートルという広大な土地を購入した私立大学は、玉川大学が日本で初めてであろう。そのことが現地のテレビ、ラジオ、新聞等でも取り上げられ反響を巻き起こした。
土地購入にあたっては、自然環境が学生や生徒たちの研修の場にふさわしいということを第一に考えた。また協力や支援が得られる社会環境も重視。そしてそれらを満たした希望の規模にあった土地を購入することができた。山や森、湖に囲まれた自然豊かな場所で、空気や水に関する公害もなく、夏は北海道と気温がほぼ同じで、冬は東京の気温とあまり変わらず過ごしやすい。農学部の研究にも適している。またナナイモ市やマラスピナ大学の全面的な協力も得られる。特にマラスピナ大学とはすでに交流があり、1976(昭和51)年には協定を締結した。
2.バンクーバー島第二の町であるナナイモ
日本から約7,500km離れたカナダ太平洋岸にあるブリティッシュコロンビア州バンクーバー島。ブリティッシュコロンビア州最大の都市であるバンクーバーとジョージア海峡をはさんで向かい合う。島といっても面積は四国の1.7倍もあり、緯度は樺太と同緯度であるが、太平洋に面しているため暖流の影響もあり、年間を通じて比較的温暖な気候である。そのバンクーバー島の南東に位置する港町がナナイモ。ナナイモは、ブリティッシュコロンビア州の州都であるビクトリアに次ぐバンクーバー島第二の町である。ナナイモ市は、人口9万9863人(2021年)の自然に囲まれた落ち着いた町で、ジョージア海峡に沿って南北に広がる細長い町である。観光地でもあるビクトリアから北へ約110キロの場所で、バンクーバーの対岸に位置しており、バンクーバーからナナイモまでフェリーを利用して約2時間ほど。ナナイモとは先住民の言葉で「人と人が出会う場所」である。
3.ナナイモ校地の開設
1976(昭和51)年9月1日午前11時30分にナナイモ校地の開設披露式が開始された。式典の場所はナナイモ校地内の戸外。式には小原哲郎学長をはじめ、前田浩一常務理事、岡田一次農学部長、浜田正秀、石田襄両教授、佐藤一彦秘書室長およびロングビーチ短期留学中の学生・生徒79名が参加。現地側からは、カナダ政府上院議員のレイ・パロウルト氏、ブリティッシュコロンビア州農林大臣兼経済企画庁長官のダン・フィリップス氏、ナナイモ市長のフランク・ネイ氏、カナダ太平洋艦隊長官A・コリアー氏、ブリティッシュコロンビア大学評議員会会長のビル・アームストロング氏、ブリティッシュコロンビア大学の設立者である名誉総長のノーマン・マッケンジー氏、ビクトリア大学学長のハワード・ベッチ氏、サイモンフレーザ大学創設者のゴードン・シュラム氏、マラスピナ大学学長のカール・オップガード氏、現地顧問弁護士トーマス・スプラッグス氏をはじめバンクーバー日本総領事やマラスピナ大学教職員、士官候補生を養成する学校の校長、地元住民らが参列。披露式は250名以上の参加者で盛大に行われた。記念銅板には「玉川大学農場」とあった。
つづいてマラスピナ大学に場所を移してレセプションが行われた。マラスピナ大学の料理科の学生たちが腕によりをかけて作った料理、ホテルマネージメント科の学生たちの作ったテーブルのデコレーションとサービスなど、学生や教員たちの温かい素晴らしいおもてなしであった。レセプションの中で玉川の中学部生、高等部生は花笠音頭を披露。大学生は代表が「サクラ、サクラ」を踊った。小原学長はここでの挨拶の中で、「今日から太平洋はだんだん小さくなるでしょう」とカナダと日本の友好関係が緊密になることを語った。そして午後3時、中学部生、高等部生のハレルヤコーラスと、玉川っ子全員が歌う校歌で、式典の一切を完了した。
こうして小原学長の「学園の学生、生徒たちをカナダの大自然の中で教育してやりたい。公害のない、空気も水も澄んだ自然環境にふれながら、永遠を想い、労作に汗を流し、勉学にいそしむことの出来るような地を見つけたい」という思いがここに実現した。
関連サイト
参考文献
- 小原哲郎監修『全人教育』第328号 玉川大学出版部 1976年
- 農学部60周年記念誌『教職員と学生たち~昨日・今日・明日~』 玉川大学農学部 2013年
- 前田浩一「カナダ玉川学園にかける夢」(『全人教育』第328号 玉川大学出版部 1976年 に所収)
- 原忠男「カナダに見る夢」(『全人教育』第322号 玉川大学出版部 1976年 に所収)
- 原忠男「カナダ玉川学園披露式」(『全人教育』第328号 玉川大学出版部 1976年 に所収)
- 白柳弘幸「故きを温ねて(40)この青空教室を通じて、カナダと日本の間に心と心を繋ぐ絆を作りたいと思います。」(『全人』第674号 玉川大学出版部 2004年 に所収)
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年