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小原信

2025.02.13

生涯を教育に捧げた玉川学園創立者である小原國芳。そして、常にその傍らにいたのが夫人の小原信であった。國芳にとって信はまさに一番の支援者であり、理解者だったといえる。國芳が「おやじ」と呼ばれて生徒から慕われたのと同様に、信もまた「おばさま」と呼ばれていた。その存在は、まさに学園の母であった。

小原信は1895(明治28)年3月10日、山口県で生まれた。父である高井太はキリスト教の牧師。三男三女の長女として、清貧のうちにも信仰あつき幸せな家庭に育つ。1913(大正2)年に私立の光城女学院(後の梅光女学院)を卒業後1年間、私立明星幼稚園に助手として奉職。1914(大正3)年4月に東京の私立女子学院高等部に入学。卒業した後、1917(大正6)年4月に平壌の私立崇義女学校で教員の職に就く。その後、1918(大正7)年に広島の私立山中高等女学校へと移る。指導する教科は英語であった。そしてこの広島で、信は國芳と出会うことになる。

小原信1931
(昭和6)年
明星幼稚園助手時代
1913(大正2)年

当時の國芳は母校である広島高等師範学校(現在の広島大学)の付属小学校理事(教頭)であった。当時の広島高等師範学校は日本の学校教育における「西の総本山」とも呼ばれ、東京高等師範学校(現在の筑波大学)と並び称される存在であった。クリスチャンである國芳は仕事に忙殺されつつも、月に一度は教会での説教を行っていた。その教会に信は通っていた。出会いから程なくして國芳は信に求婚。そして1920(大正9)年の1月に、山口県徳山市の高井家にて2人はささやかな結婚式を挙げ、西大久保に新居を構えた。こうして國芳と共に真の教育実践と私学経営に献身するという、信の生涯の第一歩が踏み出されたのである。

婚約時代、宮島にて、坐っているのが國芳と信
1919(大正8)年

1921(大正10)年8月、哲郎誕生。1925(大正14)年2月に長女百合子、1928(昭和3)年1月に次女純子が誕生した。

國芳と哲郎と
1923(大正12)年
國芳が聖書を学び洗礼の恵みにあずかった
ランシング先生を成城に迎えて
1925(大正14)年

國芳と信は幾多の苦労を乗り越え、1929(昭和4)年に玉川学園を創立する。信は学園発展のために奔走する國芳を支えつつ、自身も女子塾の塾監として主に女子生徒の指導にあたった。また学園の理事長や玉川大学長事務取扱など、学園の成長と歩みを共にして数々の要職を任されることになる。

1930(昭和5)年家族と

また、学園の草創期には國芳が全国各地へ赴いて行った講演旅行にもついていった。時には生徒数十名を、また時には2人の間に生まれた3人の子供たちを従えての旅だった。1930(昭和5)年の冬からは、6か月にわたる欧米各地での公演にも帯同。信の語学力は國芳にとっても大きな力となった。着物姿の信はどの会場でも人気を博したという。さらに第二次世界大戦直前に國芳が行った海外での講演旅行では、最終地のハワイに信が駆けつけ、共に州内の学校での講演を行ったこともあった。「結婚以来多くの苦労を信にはかけたが、この二度の旅行がせめてもの楽しみだっただろう」と、後に國芳は述懐している。

ベルリンで成城・玉川会
1931(昭和6)年
デンマーク・オレロップ国民高等体操学校前で
デンマーク体操考案者のニルス・ブック氏と
1931(昭和6)年
世界のスキー普及に偉大な足跡を残したオーストリアのハンネス・シュナイダー氏の家の前で
1931(昭和6)年
欧州での教育行脚の案内をしてくれた海外における玉川教育のよき理解者スイスのチンメルマン博士と
1931(昭和6)年
ピラミッドの前で
1931(昭和6)年
國芳と民間使節として訪米、ホノルルにて
1938(昭和13)年

信は、國芳と共に理想の教育の実現に取り組むとともに、玉川大学出版部の前身のイデア書院の設立、成城学園の発展、玉川学園の創設など國芳の大事業を支え続けた。

近代オーストリア・スキーの父クルッケンハウザー夫妻と
1963(昭和38)年
母の日に(小学部グラウンド)
1965(昭和40)年
大体育館玄関前にて
1966(昭和41)年
陽だまりで國芳の髪をカット
1966(昭和41)年

信は、永年にわたる私学振興に寄与してきた功績により、1969(昭和44)年の秋に勲四等瑞宝章を授与される。まさにそれまでの努力が実を結んだ瞬間であった。

1969(昭和44)年
1969(昭和44)年
大学のコスモス祭を見学
1971(昭和46)年
年宮中園遊会(赤坂離宮)にて
1972(昭和47)年

また1974(昭和49)年、國芳の米寿を祝う会として催された同窓会記念礼拝で、信は講話を行った。その講話の中で、キリスト教信仰や玉川学園の宗教教育への思いを語っている。

もし幾年かたって世の中が変わって、この学校から聖書が追放されることがあったら、どうぞ皆様、戦って頂きたいと思います。それができなかったら、私はこの学校は潰れてしまっていいと思います。…(中略)…汚いものが残るよりも、きれいなものを残しておきたいと思います。

國芳の米寿を祝う会の同窓会記念礼拝で講話

また白柳弘幸著「故きを温ねて(54)ランシングと小原 信」(『全人』第825号/玉川大学出版部/2018年発行)につぎのように記されている。

高井信(のぶ)と結婚したことにより小原の信仰がさらに深められたのではないかと思う。信の父は長崎東山学院神学部に学んだ牧師であり、信は牧師の家庭に育った生粋のクリスチャンであった。夫婦で同じ信仰を持つことで精神的な絆で結ばれ、互いの気持ちを分かち合える。信と共通の信仰があったからこそ、玉川学園の宗教教育の根底にキリスト教を置くことができたのではないかと推測する。
1974年の同窓会総会で小原に代わって信が講話をした時「聖書のない学校になってしまったら、つぶれてしまってよい」という強いメッセージを残した。信仰の強さや、玉川学園の宗教教育への思いは小原以上であったかもしれない。

信は1976(昭和51)年の秋頃から体調を崩し、10月には入院することになる。それ以来入退院を繰り返し療養に努めた。枕元には英語の聖書と英和辞典を置いていた。

1977(昭和52)年に改築された
お客の間の縁側で
晩年のおばさま

1977(昭和52)年6月12日午後1時45分、信はついに帰らぬ人となった。学園による合同葬では理事であった津下統一郎氏が葬儀委員長を務め、文部大臣であった海部俊樹氏が弔辞を、前総理大臣であった三木武夫夫妻が献花を行うなど、学内外から多くの弔問者が訪れた。まさに多くの人に愛された人生を物語るものであった。

病院からの信のお帰りを迎える塾生
礼拝堂での密葬議

信の葬儀は以下のように行われた。
 13日 前夜式<礼拝堂にて>
 14日 密葬儀<礼拝堂にて>
 25日 玉川学園葬<大体育館にて>
      9:00~13:00 追悼礼拝(4回に分けて実施)
    14:00~15:00 本葬儀
    15:00~16:00 告別式

小原信玉川学園葬
追悼礼拝で花を霊前に捧げる小学部生

玉川学園の創立から50年近くにわたり、その発展に尽くしてきた信。國芳はその死に際して追悼号である『全人敎育』第339号の巻頭言「きっと お前は 天国だよ」(玉川出版部/1977年発行)で、つぎのように語っている。

三年前の世界新教育会議で、外国人たちは玉川を「奇蹟だ」「すてきだ」と口々に褒めて下さったが、少なくとも半ばはお前の内助の功だったのだ。

その國芳も、愛する夫人を亡くした半年後の12月13日に召天された。信の逝去から50年近くが経とうとしているが、時が過ぎても小原信は変わらず「玉川学園の母」である。

参考うるわしの白百合

NHKテレビ朝ドラ『エール』の2020(令和2)年10月16日分放送で、玉川大学卒業生である薬師丸ひろ子さん自身が提案して無伴奏で歌った「うるわしの白百合」は、小原信が生前に愛唱していた讃美歌。キリスト教では白百合は復活の象徴とされているそうである。

参考文献

  • 小原信「フシギな學校」(『全人敎育』第17卷4・5月號 玉川出版部 1947年 に所収)
  • 小原信「いろいろの思い」(『全人敎育』第18卷1月號 玉川出版部 1948年 に所収)
  • 小原國芳「きっと お前は 天国だよ」(『全人敎育』第339号の巻頭言 玉川出版部 1977年 に所収)
  • 小原國芳著『教育一路』 玉川大学出版部 1980年
  • 小原國芳監修『全人教育』故小原信先生追悼号 玉川大学出版部
     第339号、第340号(1977年)
  • 小原哲郎監修『全人敎育』第353号 玉川大学出版部 1978年
  • 小原芳明監修『全人』第670号 玉川大学出版部 2004年
  • 石橋哲成著『小原國芳と全人教育 第一部 全人教育提唱前の修業時代』 2021年
  • 白柳弘幸「故きを温ねて(54)ランシングと小原 信」(『全人』第825号 玉川大学出版部 2018年 に所収)
  • 山際幸子「新教育の開拓者 小原 信」(『全人敎育』第364号 玉川大学出版部 1979年 に所収)
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園編『写真集 小原國芳 信』 玉川大学出版部 1978年

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