玉川豆知識 No.104
写真で見る玉川学園⑥ 労作
玉川学園創立者である小原國芳は、常々、「額に汗を流し、労しむことは万人の喜びであり、誇りであり、義務である」と考え、労作教育を重視してきました。國芳は「作」は作業の作ではなくて、創作の作であり、「自ら考え、自ら体験し、自ら試み、創り、行うことによってこそ、真の知育、徳育が成就する」と考えました。國芳が目指したのは、「労作によって知行合一の強固なる意志と実践力を持った人間形成」でした。
小原國芳は労作について、『玉川教育』(1963年版)のなかで次のように語っています。
自ら植え、作り、工夫し、縫い、染め、張り、繕い、洗い、掃き……かくてこそ真の美育も達成されると思います。……ハンマーをふり、牛を飼い、土を運び、薪を割り、肥料をかつぎ、鋤をふるい、自らなせる新鮮なる野菜を食してこそ強壮なる健康も得られます。
さらに以下のようにも述べています。
多種多様の労作教育は必然生きたる経済教育でもあり、職業教育ともなります。労作教育は実に、聖育、知育、徳育、美育、生産教育、健康教育の総合全一なのです。








本学では、創立間もないころ、児童・生徒・学生や教職員が一丸となって、道を造り、校舎を建て、木を植えるなど、環境を整備してきた歴史があります。また、労作は時代とともにさまざまに変化してきました。例えば、昭和初期には、女子高等部生(専門部)による『女性日本』の編集、中学生によるパイプオルガンの組み立てや修理、養蚕、養鶏、園芸、女学部生(高等女学校に相当)の生徒による機織りや玉シャツ作りなどが行われました。また、塾生を中心に生活当番としての新聞や郵便、牛乳の配達なども行われました。




また國芳は、「百聞は一見に如かず、百見は一労作に如かず」と繰り返し語っており、「真の知育は注入や棒暗記、試験勉強や単なる説明などの方法では得られるものではない。苦しみ、作り、体験し、試み、考え、行うことによってこそ得られる」と労作の重要性を強調しました。そして、本に頼るのではなく、畑を耕したり、動物を飼育したり、バイオリンを作ったりといった「自発的な活動や創造的な仕事」を学びのなかに積極的に取り込んでいきました。

現在でも、「労作」の時間が設けられており、教科学習のなかにも労作の要素が取り入れられています。自由研究も、「労作」活動の一環といえるでしょう。「ロボット製作」や「ソーラーバイシクルの研究」「バイオリン製作」などは、生産的な作業を通じ、学問を深め、研究を発展させる意味を持っています。
かつてはさまざまな労作がキャンパス内で行われていました。写真で振り返ってみましょう。
1.土木








2.建築






















3.植林







4.農作物づくり






















5.園芸





6.飼育



















7.印刷・出版















8.技術













9.生活


















参考文献
- 玉川学園編『学園日記 労作教育研究』第50号 玉川学園出版部 1933年
- 玉川学園小学部『労作教育の実際』 玉川学園出版部 1935年
- 玉川学園編『玉川教育―1963年版』 玉川大学出版部 1963年
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年