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玉川豆知識 No.173

小田急線の終電から始発までの限られた時間に行われた新松陰橋建設工事

初代松陰橋が誕生してから約56年が経ち、老朽化が進んだことから、新松陰橋の建設が計画されました。小田急線をまたいでの建設であったため、工事は電車の終電から始発までという限られた時間内での実施。そのため、2年の歳月を費やすこととなりました。工事が完成に近づいたとき、二つの松陰橋が目の前に現れました。

1.初代松陰橋

玉川学園のキャンパスの中央を電車が走っています。キャンパスの中を鉄道が通っているのは、日本全国を見渡してもとても珍しいことです。そして、小田急線を挟んだ東と西の丘を繋ぐ橋として初代松陰橋が建設され、1929(昭和4)年11月14日に竣功、渡り初め式が行われました。

松陰橋の名前の由来は吉田松陰。玉川塾からスタートした玉川学園、その建学の精神を後世に伝えるために、私塾の生みの親でもある吉田松陰にちなんで命名されたと言われています。

初代松陰橋は乗用車が1台、通れるか通れないかぐらいの狭い道幅でした。実際には松陰橋の上を車が通ったことがあったようです。しかし、通常、車での通行は禁止でした。

2.新松陰橋

初代松陰橋は建設から約56年が経過し老朽化が進んだことから、新しい松陰橋を建設することとなりました。果たして小田急線をまたいで私道橋を建設することができるのか。まずは小田急電鉄と交渉。その結果、小田急電鉄の理解と協力があって許可が下り、工事に着手。しかし、電車を停めて工事をするわけにはいきません。工事は小田急線の終電から始発までの限られた時間内に実施することに。そのため、1986(昭和61)年4月より始まった工事は、翌々年の3月に漸く終了、2年の歳月を費やすこととなりました。工事が完成に近づいたとき、二つの松陰橋が目の前に現れました。

新松陰橋は、1988(昭和63)年4月8日に竣功し、渡り初め式が行われました。渡り初め式の日は、桜咲く4月であったにもかかわらず、前日に記録的な大雪が降り、道路には雪が積もっていました。雪かき労作により雪のなくなった新松陰橋の上で、テープカットや玉川太鼓の演奏が行われました。

新松陰橋は、大型車両がすれ違うことができ、歩道も両側に配置された大きな橋に生まれ変わりました。大型観光バスが10台、人間が約1,650人、同時に乗ってもびくともしない立派な一等道路橋です。

自然環境を壊さないようにとの配慮から45度で斜めに架けられました。それにより正門から続く道と当時の工学部校舎へと向かう道とが直線で結ばれました。橋の長さは62m、幅は14m、重量は1,600t。

渡り初め式の際にこんな笑い話がありました。渡り初め式の前に積もった雪の上に点々と足跡が。「大変です、先生より先に橋を渡った者がいます」。当時理事長・学長・学園長だった小原哲郎にそのような報告が入りました。なんとその者はキャンパス内に棲むタヌキでした。

参考文献

  • 小原哲郎監修『全人教育』第479号 玉川大学出版部 1988年
  • 小原芳明監修『全人』第800号 玉川大学出版部 2015年
  • 『玉川学園・玉川大学の教育活動』 玉川学園 2008年
  • 白柳弘幸著『故きを温ねて』(『ZENJIN』第641号 玉川大学出版部 2001年 に所収)
  • 白柳弘幸著『故きを温ねて』(『全人』第676号 玉川大学出版部 2004年 に所収)

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