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玉川豆知識 No.175

1,000日をかけて58人が登場するレリーフを制作

1994(平成6)年、当時の文学部第三校舎(現在のELF Study Hall 2015)のエントランスホールに、幅6.3m、高さ4.25mの「アテネの学校」のブロンズ製レリーフが飾られました。このレリーフは「アテナイの学堂」と呼ばれています。そして、2006(平成18)年には、当時の高学年校舎(現在のK-12中央校舎)のアトリウムに「アテネの学校」の陶板画が置かれました。

1.アテネの学校

1994(平成6)年4月12日にレリーフ「アテナイの学堂」のオープニングセレモニーが、当時の文学部第三校舎(現在のELF Study Hall 2015)のエントランスホールで行われました。レリーフ「アテナイの学堂」の原画は、イタリア・ルネッサンス期の画家ラファエロ(1483年~1520年)の代表作「アテネの学校」で、1508年から10年頃にローマのヴァチカーノ宮殿内の「署名の間」に描かれたフレスコ画。半円形のアーチの中に古代ローマ建築を思わせる建物と、プラトン、アリストテレス、ソクラテス、ピュタゴラス、ディオゲネス、エウクレイデス等、古代ギリシャの哲学者、科学者たち、そしてラファエロ自身など58人の人物が描かれています。「署名の間」の壁の四方には、神学、法学、哲学、詩学をあらわす壁画が描かれており、この「アテネの学校」は哲学を表した壁画の呼称で、そのほかに「パルナッスス山」「聖体の論議」などがあります。

ラファエロの「アテネの学校」
「アテナイの学堂」のオープニングセレモニー

利光功著「ラファエㇽロ作『アテネの学校』について」(『全人教育』第553号 1994年)にそのことが次のように記されています。

このレリーフの原画は、ローマのヴァチカーノ宮殿内の「署名の間」と呼ばれるかなり大きな天井の高い部屋の東壁面にある。この部屋の四壁面にラファエロは1508年の後半から1510年にかけてフレスコによりそれぞれ別な主題の壁画を描いたのであるが、もとより壁画のどこかにその画題が書かれているわけではなく、東壁面については17世紀末にさる人が『アテネの学校』と呼びだしてからそれが受け継がれてきたに過ぎない。画の中央に紀元前4世紀のアテネ(アテーナイ)の哲学者プラトンが描かれていて、プラトンがアテネの郊外アカデメイアに学校を創設したことはよく知られていたし、描かれた人物が先生と生徒を思わせるポーズをとっているので、適切な題名として普及したのである。

2.レリーフ「アテナイの学堂」の制作

1994(平成6)年、当時の文学部第三校舎(現在のELF Study Hall 2015)のエントランスホールに設置されたレリーフ「アテナイの学堂」は、ラファエロの作品「アテネの学校」を約1割強縮尺して精密に再現しています。

レリーフ「アテナイの学堂」

このレリーフの制作についての話の始まりは1991(平成3)年に遡ります。当時学長であった小原哲郎が発案し、芸術学科の岡登邦美、菊池哲、土屋俊典、柿﨑博孝、教育学科の石川秀香といった先生方が計画・調査・制作し、すべての作業が完了するまでに約3年の歳月を要しました。実際の作業は、学生が帰った午後7時頃から夜中の3時にかけて行われました。その大変だった作業の様子が、前述の利光功著「ラファエㇽロ作『アテネの学校』について」で次のように語られています。

絵画平面を浮き彫りへと立体化する困難な作業に当たったのは、芸術学科の金属工芸を専門とする岡登邦美、土屋俊典、柿﨑博孝それに油絵の菊池哲を中心にする諸先生であり、金工実習室において準備段階から完成まで2年3カ月を費やして制作された。全体の石膏雄型を二十枚に分割してブロンズ鋳造し、組み立てたものであり、総重量は約2.3トンにもなるという。ともあれ大変な労作であったことが偲ばれるのである。

具体的な作業は次のとおりです。まず、ラファエロ作の「アテネの学校」の写真をもとに、原画を制作。その際、貼り合わせたケント紙の大きさは畳20枚分になり、原図のアーチを描くために3.5mのコンパスを作らなければなりませんでした。この作品は登場人物が多いため、最初から最後までの作業を一つひとつ細密に行わなければ、それぞれの人物が不自然な形になってしまいます。とても根気のいる作業で、集中力と技術を要するものとなりました。そして、鋳造作業に関わる重量的限界から、全体を20分割(最大1枚:115㎝×105㎝)に制作。これは、人物の顔をなるべく切らないようにするためでした。

レリーフ「アテナイの学堂」の完成予想図

原画を描く作業の次は粘土原型制作です。粘土の盛りつけにあたっては、その重量に耐え、変形しないように、鋼材を溶接してステージのような土台を作り、いよいよ粘土の盛りつけ。一番の遠景は頭上にある空、近景は手前の床端。実際の空間に置き換えれば、奥行きは100mぐらい。でもレリーフではその奥行きを6㎝の厚みの中で表現しなければなりません。この後、石膏型をつくり、それを原形としてCO₂プロセス法で鋳造しました。

大型の平面鋳造作品では、溶解金属の流し込みが問題です。はじめは型が開いてしまって上手くいきません。最大8mmの誤差が生じてしまいました。何回も試行錯誤を重ねました。1,000℃前後の温度で、150㎏の溶解金属を2つに分けて流し込みます。その後、金ブラシで丹念に磨き、仕上げは黒鉛をかけて着色。最後に表面のゆがみを修正して、20枚のレリーフを組み立てました。

幅6.3m、高さ4.25mの「アテネの学校」のブロンズ製レリーフの完成です。それから12年の月日が流れ、2006(平成18)年に、当時の高学年校舎(現在のK-12中央校舎)のアトリウムに「アテネの学校」の実物大の陶板画が設置されました。

高学年校舎(現在のK-12中央校舎)のアトリウム
「アテネの学校」の陶板画

『全人』第727号の「玉川の丘、再発見!『真理の探究者』」で、高学年校舎のアトリウムに設置された「アテネの学校」について語られていますが、その中に次のような記述があります。

創立者の小原國芳は「私は一面、一生學究者でありたい。眞理探求者でありたい。一日の半分は讀書と思索に耽りたい」(『敎育の根本問題としての哲學』)と哲学への思いを述べた。「アテネの学校」に描かれたプラトンら哲学者たちは真理の探究者であった。その象徴ともいえる「アテネの学校」の複製画を置く大学は、世界に少なくない。

レリーフ「アテナイの学堂」

関連サイト

参考文献

  • 利光功「ラファエㇽロ作『アテネの学校』について」(小原哲郎監修『全人教育』第553号 玉川大学出版部 1994年 に所収)
  • 小原哲郎監修『全人教育』第552号 玉川大学出版部 1994年
  • 小原芳明監修『全人』第698号 玉川大学出版部 2006年
  • 白柳弘幸「玉川の丘、再発見!『真理の探究者』」(小原芳明監修『全人』第727号玉川大学出版部 2009年 に所収)
  • 『玉川学園の教育 玉川大学の教育』 玉川学園 2004年

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