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玉川豆知識 No.179

約50年もの間、玉川の丘で玉川の音楽を見守り続けているベートーヴェン像

1973(昭和48)年7月5日、大学の文学部芸術学科音楽専攻生による「交響曲第9番ニ短調 作品125(合唱付)」終楽章<歓喜に寄せて>(以下、「第九」)の歌声が響く中、聖山において、青銅に鋳造された「ベートーヴェン像」の除幕式が行われました。そのベートーヴェン像は現在、University Concert Hall 2016の正面広場に移設されていますが、約50年もの間、玉川の丘で玉川の音楽を見守り続けています。

1967(昭和42)年に東京で開催された「ベートーヴェン生誕200年祭記念展示会」に、玉川学園創立者小原國芳が訪れました。この展示会には東西ドイツをはじめ数か国から多数の資料が出品、その中にウィーン・ハイリゲンシュタット公園のベートーヴェン像を日本国内で複製したものがありました。その像を見た小原は玉川の丘にも是非欲しいと望み、その小原の熱意が展示会の代表者に伝わって、その像を本学園で譲り受けることになります。

ベートーヴェン像は、小原國芳の胸像のある聖山の一角に設置されることとなり、野外でも耐えられるような処置が施されました。そして1973(昭和48)年7月5日、聖山において、青銅に鋳造された「ベートーヴェン像」の除幕式が行われました。除幕式では、大学の文学部芸術学科音楽専攻生たちが『第九』を合唱。

「ベートーヴェン像」の除幕式
除幕式での音楽専攻生による『第九』の合唱

それ以来、「ベートーヴェン像」は小原國芳の胸像とともに聖山に立ち、奏楽堂や器楽演習室、大学4号館(音楽研究室)で学ぶ学生たちを励まし続け、本学の音楽教育を見守ってくれていました。

2016(平成28)年9月、講堂・視聴覚センター・器楽教室がUniversity Concert Hall 2016に新しく生まれ変わり、このエリアに音楽教育機能が集約。これを機に、ベートーヴェン像はUniversity Concert Hall 2016の正面広場に移設されました。

ドイツの作曲家であるルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827年)は、「楽聖」とも呼ばれ、難聴(40歳頃には全聾となった)に苦しみながらも、交響曲『第5番ハ短調(運命)』、『第6番ヘ長調(田園)』、『第3番変ホ長調(英雄)』、『第9番ニ短調(合唱)』、合唱曲『荘厳ミサ曲』、ピアノ・ソナタ『第14番嬰ハ短調(月光)』などの後世に残る名曲を数多く作曲しました。

なお、本学では大学1年生全員がベートーヴェンの「交響曲第9番ニ短調 作品125(合唱付)」終楽章<歓喜に寄せて>(「第九」)を、毎年12月の大学音楽祭で合唱、演奏しています。

大学音楽祭での「第九」

関連サイト

参考文献

  • 小原國芳監修『全人教育』第288号 玉川大学出版部 1973年
  • 小原國芳編『ベートーヴェンを慕いて』 玉川大学出版部 1970年
  • 属啓成「ベートーヴェンの生誕二〇〇年におもう」(『全人教育』)第256号 玉川大学出版部 1970年 に所収)
  • 武川寛海「大音楽家たちとその逸話・3 ベートーヴェン(上)」(『全人教育』)第256号 玉川大学出版部 1970年 に所収)
  • 武川寛海「大音楽家たちとその逸話・3 ベートーヴェン(下)」(『全人教育』)第257号 玉川大学出版部 1971年 に所収)
  • 白柳弘幸「年末に響く歓喜の歌声「第九と玉川学園」」(『全人』第756号「玉川の丘めぐり⑰」 玉川大学出版部 2011年 に所収)
  • 『玉川学園の教育活動 玉川大学の教育活動 玉川大学大学院の研究活動』(2007~2008)玉川学園 2007年

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