玉川豆知識 No.206
玉川大学では「音楽」の授業が必修
玉川大学では、8学部17学科の1年生全員が必修科目として「音楽Ⅰ」(春学期開講)と「音楽Ⅱ」(秋学期開講)を受講します。その集大成がベートーヴェン作曲「交響曲第9番ニ短調 作品125《合唱付》」の終楽章〈歓喜に寄せて〉(以下、「第九」)のドイツ語での合唱。そして1年生全員がパート別に分かれて合唱練習した成果を、毎年12月にパシフィコ横浜国立大ホールにおいて開催される玉川大学音楽祭で披露します。
1.玉川の音楽教育
「音楽」によって、玉川学園の精神的な基礎づくりを、というのが玉川学園創立者小原國芳の信念であり、期待でもありました。小原國芳著「私の音楽教育八十五年」(玉川大学出版部から1971年に刊行された迫新一郎著『私の音楽教育八十五年-創造性を高める-』のP.202~P.221に所収)には、小原の音楽教育に対する期待が次のような言葉で示されています。
音楽は、すさんだ心をなごやかにし、暗い気持ちを明るくし、悲しみをなぐさめ、疲れをいやし、希望を与えてくれます。この音楽の持つ不思議な力を教育でも十分に利用したいのです。
(略)
音楽こそは、人と人の心を結ぶきずなとなるものと考えます。教育が、人と人との触れ合いの中にあることを考える時、立派な音楽なくしてマコトの教育はあり得ないとさえ考えます。どうぞ、世界に誇り得る教育が、文化が、民族が、出来上がる日のためにも、音楽の楽しみを、今日、今から大事にしていただくよう祈ります。
玉川学園では「歌に始まり歌に終わる」と言われているように、日々の生活の中に豊かな音楽が息づいています。大学においても全学部で「音楽」の授業を必修とし、大学音楽祭では1年生全員がステージにあがりベートーヴェンの「第九」を歌います。このように玉川では、折に触れ、さまざまな曲を歌うことによって、何気ない日常の場面を深く感じることの大切さを学び、喜びや感動を歌で表現しています。

2.大学1年生必修科目「音楽Ⅰ」、「音楽Ⅱ」
玉川学園では歌い継がれてきた合唱曲を集めた歌集『愛吟集』を学生、生徒、児童に持たせ、学園生活の中や音楽の授業で使用しています。『愛吟集』は、玉川の生活や伝統から生れた曲、それぞれの時代に国内外で歌われた名曲などが掲載され、過去から現在まで、玉川学園の児童、生徒、学生「必携」のものとして愛用されています。小学生から大学生までが使える歌集は世界でも珍しいのではないでしょうか。大学1年生必修科目「音楽Ⅰ」、「音楽Ⅱ」の授業ではこの『愛吟集』を教材として、音楽の表現方法から歴史に至るまで幅広く学びます。


本学ホームページの「ひと。ゆめ。まなび。(大学)」に掲載されている「玉川大学、コロナ禍での音楽教育への挑戦 (後編)」につぎのような記述があります。
もともと「音楽Ⅰ・Ⅱ」は、「全人音楽」という科目名で開講されており、「音楽表現の優劣を評価するのではなく、芸術と向き合う意義を追求する」という創立者小原國芳の考え方に基づく授業でした。


なお、「音楽Ⅱ」では、ベートーヴェンの「第九」をパート別に分かれてドイツ語で合唱。各パートでの練習がやがて一つになり、12月の大学音楽祭で披露となります。


3.授業での「第九」
小原國芳は「第九」について、1960年(昭和35)年7月3日開催の玉川学園音楽祭のプログラムで次のように述べています。
大学生は入学するとイキナリ、一人のこらず全国の高等学校から集った諸君を、どんな音楽の不得手でも、一ヶ月少々の練習でステージに立たせるという無茶に近い大胆な計画です。やってみると、とにかく皆が歌えるのです。しかも、譜も見ないで丸暗記なのです。一遍に歌ずきになります。
音楽は、人間教養の上から実に尊いものを与えてくれますことを、ただただ感謝しております。全人教育徹底のための大きな道の一つです。


本学ホームページの「ひと。ゆめ。まなび。(大学)」に掲載されている「玉川大学、コロナ禍での音楽教育への挑戦 (前編)」には「第九」についてつぎのように記されています。
大学1年生の「第九」は、歌詞を間違わず、正確な音程で歌うことを目的にしているわけではありません。純粋に音を楽しみ、仲間と声を合わせて合唱することに全力を傾けることで、芸術と向き合う意義を追求し、連帯感と感動を体験することを重視します。さらにその体験を通して、一人ひとりが大学生活、さらにその先の未来に向かう生きる力を得ることが玉川大学の音楽教育の大きな目標です。最初は「なぜ第九を?なぜドイツ語で?」と戸惑っていた1年生も、12月の音楽祭本番では大きな感動に包まれ、感動のあまり涙を見せる学生も少なくありません。


4.音楽の生活化
小原國芳は「音楽の生活化は玉川から」を提唱し、『音楽教育論』(『全人教育』第147号/玉川大学出版部/1961年に所収))の中で、音楽についてこうも語っています。
人生はリズムです。リズムなしの人生は耐えられないと思います。ここに、音楽の偉大な役目があります。
(略)
音楽は絶対に、われわれの生活に融け込んだものでありたいのです。
参考玉川学園と「第九」
毎年、大学音楽祭で演奏されているベートーヴェンの「第九」。大学1年生全員による合唱は、学生たちに感動を与えています。玉川学園として初めて「第九」に出演したのは、1936(昭和11)年5月28日、日比谷公会堂で開催された「オリンピック蹴球選手送別音楽会」においてのことでした。一部の生徒ではありましたが、この時、成城学園合唱団とともにステージに立ちました。指揮は貴志康一、演奏は新交響楽団(後の日本交響楽団、現在のNHK交響楽団)。

本格的に玉川学園の生徒が舞台に立ったのは、その翌年、1937(昭和12)年のこと。新交響楽団の指揮者として来日したローゼンシュトックのベートーヴェンチクルス最終日を飾る「第九交響曲」に、東京高等音楽学院(後の国立音楽学校、現在の国立音楽大学)とともに玉川学園が出演しました。この時のことについて、小原國芳が次のように語っています。
昭和12年、ローゼンシュトックさんや新響の方々の依頼で、ベートーヴェンの第九交響曲『合唱付』の舞台に立つことになりました。国立音楽学校さんが数十名、私たち玉川は中学生以上二、三百名全員が出させていただきました。
小原にとって生徒たちに「第九」を歌わせることは、「世界の名曲を歌えた喜び、舞台に立てた喜び」を持たせることであり、それ自身「大きな教育」でありました。翌1938(昭和13)年からは、毎年のように新交響楽団との演奏会は続き、恒例になっていきました。当時「第九」は5月か6月頃に演奏されていましたが、翌1938(昭和13)年の「第九」演奏は、12月26日、27日に築地の歌舞伎座で行われました。この演奏は大成功を収め、これがきっかけとなり、日本で「第九」が12月の恒例行事として行われるようになったとも言われています。

合唱、オーケストラ、指揮等を玉川学園の教員、学生・生徒、卒業生だけで行った第九交響曲の公演は、1962(昭和37)年12月16日のことでした。場所は文京公会堂。玉川大学のオーケストラが第4楽章を演奏し、教員である谷本智希が指揮を行い、独唱は学生と卒業生。合唱は、大学生と高等部生1,500名。奇しくも、12月16日はベートーヴェンの誕生日でした。


1967(昭和42)年12月の東京文化会館での玉川学園音楽祭は高等部3年生と大学生による「第九」の合唱でしたが、翌年より大学1年生のみの合唱となりました。

年/西暦 | 月 | 日 | 指揮者 | ソリスト ソプラノ、アルト、テノール、バス メゾソプラノ バリトン |
会場 |
---|---|---|---|---|---|
1960 | 7 | 3 | 近衛秀麿 | 伊藤京子、川崎静子、笹谷栄一郎、秋元雅一郎 | 文京公会堂 |
1961 | 11 | 23 | 近衛秀麿 | 伊藤京子、川崎静子、笹谷栄一郎、秋元雅一郎 | 東京厚生年金会館 |
1962 | 12 | 16 | 谷本智希 | 古賀三千代、斎藤久美子、中山和彦、呉竹英一 | 文京公会堂 |
1963 | 12 | 8 | 藤本晃 | 古賀三千代、斎藤久美子、中山和彦、菅吉信 | 文京公会堂 |
1964 | 12 | 3 | 小森宗太郎 | 古賀三千代、梅村郁子、中山和彦、菅吉信 | 東京文化会館 |
1965 | 12 | 11 12 |
藤本晃 | ①永田史子、上原明子、小川好計、加藤泰久 ②古賀三千代、梅村郁子、中山和彦、大滝正敏 |
東京文化会館 |
1966 | 12 | 10 | 谷本智希 | ①中田満子、上原明子、小川好計、宇都宮直 ②永田史子、梅村郁子、中山和彦、鏑木健彦 |
東京文化会館 |
1967 | 12 | 9 | 土居克行 | ①森みち江、保角延子、中山和彦、鏑木健彦 ②吉田浩子、赤堀和代、小川好計、塩見明洋 |
東京文化会館 |
1968 | 11 | 24 | 高森義文 | ①吉田浩子、赤堀和代、島袋亨、鏑木健彦 ②中田満子、伊集院せい子、中山和彦、塩見明洋 |
東京文化会館 |
1969 | 12 | 8 9 |
宮城勝久 | ①森みち江、伊集院せい子、近藤勝美、内海克実 ②畑野広美、伊集院せい子、近藤勝美、村上寛樹 【創立40周年記念音楽祭】
|
東京文化会館 |
藤本晃 | 坂上昌子、金森静子、中井進、津田孝雄 <夜の部で全楽章を演奏> |
||||
1970 | 11 | 28 | 石垣良彦 | ①畑野広美、本間にい子、近藤勝美、村上寛樹 ②山下清子、中沢延子、近藤勝美、佐藤真悟 ③吉田浩子、中沢延子、近藤勝美、宮寺勇 |
立正佼成会普門館 |
1971 | 12 | 4 | 安本高裕 | ①松田やよい、柳原三千枝、近藤勝美、村上寛樹 ②和泉和子、新野啓子、新田峯夫、佐藤真悟 |
立正佼成会普門館 |
1972 | 12 | 2 | 佐々木親綱 | ①田中照美、加藤祥子、伊藤豊、佐藤真悟 ②和泉和子、佐藤多恵子、新田峯夫、宮寺勇 |
立正佼成会普門館 |
9 | 藤本晃 | 坂上昌子、金森静子、江口正之、移川澄也 <全楽章を演奏> |
東京文化会館 | ||
1973 | 12 | 5 | 中井進 | ①田中照美、加藤祥子、斎藤正、村上寛樹 ②伊藤依子、小野寺由美子、嶋田澄夫、宮寺勇 |
立正佼成会普門館 |
1974 | 12 | 7 | 江口正之 | ①伊藤依子、小野寺由美子、山本九里雄、石橋一秀 ②森真理子、古橋宣子、真下政久、北山聡 |
立正佼成会普門館 |
1975 | 12 | 6 | 高森義文 | ①森真理子、小野寺由美子、山本九里雄、安藤俊典 ②笹本理恵子、伊藤啓子、斎藤正、藤江真琴 |
立正佼成会普門館 |
1976 | 12 | 4 | 岡野哲也 | ①笹本理恵子、伊藤啓子、田中豊平、藤江真琴 ②吉村温子、水田温子、三森敏、鎌野昌博 |
立正佼成会普門館 |
1977 | 12 | 3 | 寺田秀彦 | ①石垣恵、志道良子、赤松記和男、鎌野昌博 ②吉村温子、水田温子、三森敏、藤江真琴 |
立正佼成会普門館 |
1978 | 11 | 21 | 石垣良彦 | 坂上昌子、井上美沙子、中井進、岡田有弘 | 立正佼成会普門館 |
1979 | 12 | 1 | 宮城勝久 | 荒川美代子、鬼頭礼子、中井進、西義一 | 立正佼成会普門館 |
1980 | 12 | 5 | 藤本晃 | 高坂典子、永井信子、江口正之、村上寛樹 【創立50周年記念音楽祭】 |
立正佼成会普門館 |
1981 | 12 | 4 | 朝日育也 | 吉村温子、井上美沙子、中井進、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1982 | 12 | 3 | 高浪晋一 | 大倉由紀枝、妻鳥純子、中井進、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1983 | 12 | 1 | 田中旭 | 吉村温子、妻鳥純子、江口正之、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1984 | 12 | 1 | 高森義文 | 吉村温子、妻鳥純子、中井進、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1985 | 11 | 30 | 宮城勝久 | 本宮寛子、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1986 | 12 | 2 | 朝日育也 | 大倉由紀枝、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1987 | 12 | 2 | 江口正之 | 大倉由紀枝、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1988 | 11 | 30 | 高浪晋一 | 吉村温子、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 <昭和天皇重篤のため学内で開催> |
玉川学園大体育館 |
1989 | 11 | 29 | 田中旭 | 吉村温子、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 【創立60周年記念音楽祭】 |
日本武道館 |
1990 | 12 | 6 | 高森義文 | 大倉由紀枝、妻鳥純子、中井進、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1991 | 12 | 11 | 宮城勝久 | 吉村温子、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1992 | 12 | 11 | 朝日育也 | 大倉由紀枝、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1993 | 12 | 11 | 江口正之 | 吉村温子、妻鳥純子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1994 | 12 | 10 | 田中旭 | 吉村温子、井上美沙子、藤原章雄、島村武男 | 立正佼成会普門館 |
1995 | 12 | 9 | 梅沢一彦 | 吉村温子、井上美沙子、市川和彦、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1996 | 12 | 14 | 高森義文 | 吉村温子、妻鳥純子、藤原章雄、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1997 | 12 | 13 | 藤澤眞理 | 吉村温子、妻鳥純子、藤原章雄、村上寛樹 | 立正佼成会普門館 |
1998 | 12 | 12 | 宮城勝久 | 清野美也子、桑原裕美、市川和彦、近藤均 | 立正佼成会普門館 |
1999 | 12 | 11 | 江口正之 | 星野志保、桑原裕美、富澤祥行、大塚博章 【創立70周年記念音楽祭】 |
立正佼成会普門館 |
2000 | 12 | 9 | 木下則文 | 星野志保、桑原裕美、若林高広、柿沼伸美 | 立正佼成会普門館 |
2001 | 12 | 15 | 田中旭 | 清野美也子、山本奈保子、梅沢一彦、藤澤眞理 | 立正佼成会普門館 |
2002 | 12 | 14 | 高森義文 | 宮嶋明香、中村裕美、梅沢一彦、藤澤眞理 | 立正佼成会普門館 |
2003 | 12 | 13 | 宮城勝久 | 星野志保、山崎知子、市川和彦、立花敏弘 | 立正佼成会普門館 |
2004 | 12 | 18 | ①千葉佑 ②木下則文 |
①宮嶋明香、山本奈保子、富澤祥行、柿沼伸美 ②清野美也子、中村裕美、若林高広、柿沼伸美 |
立正佼成会普門館 |
2005 | 12 | 17 | ①藤澤眞理 ②千葉佑 |
①星野志保、中村裕美、富澤祥行、大塚博章 ②清野美也子、中村裕美、若林高広、大塚博章 |
立正佼成会普門館 |
2006 | 12 | 16 | ①梅沢一彦 ②江口正之 ③梅沢一彦 |
①宮嶋明香、山本奈保子、平田孝二、立花敏弘 ②青木律、山中理沙、中田哲彦、磯野裕之 ③宮嶋明香、山本奈保子、平田孝二、立花敏弘 |
立正佼成会普門館 |
2007 | 12 | 15 | ①江口正之 ②千葉佑 ③江口正之 |
①宮嶋明香、山中理沙、若林高広、磯野裕之 ②星野志保、中村裕美、富澤祥行、金子宏 ③宮嶋明香、山中理沙、若林高広、磯野裕之 |
立正佼成会普門館 |
2008 | 12 | 13 | ①藤澤眞理 ②木下則文 ③千葉佑 |
①佐藤恵利、中村裕美、富澤祥行、金子宏 ②宮嶋明香、山中理沙、中田哲彦、磯野裕之 ③佐藤恵利、中村裕美、富澤祥行、金子宏 |
立正佼成会普門館 |
2009 | 12 | 12 | ①木下則文 ②馬場眞二 ③藤澤眞理 |
①星野志保、中村裕美、富澤祥行、柿沼伸美 ②宮嶋明香、山中理沙、中田哲彦、磯野裕之 ③星野志保、中村裕美、富澤祥行、柿沼伸美 |
立正佼成会普門館 |
2010 | 12 | 11 | ①馬場眞二 ②小佐野圭 ③木下則文 |
①松原有奈、西けい子、平田孝二、立花敏弘 ②佐藤恵利、中村裕美、與儀巧、佐藤勝司 ③松原有奈、西けい子、平田孝二、立花敏弘 |
立正佼成会普門館 |
2011 | 12 | 17 | ①小佐野圭 ②藤澤眞理 ③馬場眞二 |
①佐藤恵利、中村裕美、富澤祥行、柿沼伸美 ②宮嶋明香、山中理沙、奥田順也、佐藤勝司 ③佐藤恵利、中村裕美、富澤祥行、柿沼伸美 |
立正佼成会普門館 |
2012 | 12 | 18 | ①藤澤眞理 ②朝日公哉 ③小佐野圭 |
①坂口喜江、飯島由利江、芦田瑞樹、柿沼伸美 ②池田ひろみ、山中理沙、中田哲彦、三ツ本晴彦 ③宮嶋明香、中村裕美、富澤祥行、大塚博章 |
パシフィコ横浜 国立大ホール |
2013 | 12 | 20 | ①馬場眞二 ②朝日公哉 |
①齊藤智子、加形裕子、芦田瑞樹、大塚博章 ②星野志保、飯島由利江、富澤祥行、大塚博章 |
パシフィコ横浜 国立大ホール |
2014 | 12 | 20 | 小佐野圭 | ①齊藤智子、加形裕子、芦田瑞樹、岸本大 ②宮嶋明香、飯島由利江、富澤祥行、大塚博章 |
パシフィコ横浜 国立大ホール |
2015 | 12 | 19 | 朝日公哉 | ①齊藤智子、加形裕子、富澤祥行、岸本大 ②宮嶋明香、飯島由利江、陣内俊生、大塚博章 |
パシフィコ横浜 国立大ホール |
2016 | 12 | 20 | 馬場眞二 | ①齊藤智子、加形裕子、奥田順也、金子宏 ②宮嶋明香、飯島由利江、陣内俊生、大塚博章 |
パシフィコ横浜 国立大ホール |
2017 | 12 | 19 | ①野本由紀夫 ②小佐野圭 |
①齊藤智子、加形裕子、富澤祥行、金子宏 ②宮嶋明香、飯島由利江、長裕二、馬場眞二 |
パシフィコ横浜 国立大ホール |
2018 | 12 | 18 | 野本由紀夫 | ①齊藤智子、加形裕子、富澤祥行、金子宏 ②佐藤恵利、中村裕美、長裕二、馬場眞二 |
パシフィコ横浜 国立大ホール |
2019 | 11 | 28 | 今村 能 | 齊藤智子、加形裕子、芦田瑞樹、金子宏 【玉川学園創立90周年記念式典「玉川の集い」】 |
横浜アリーナ |
2020 | 新型コロナウイルス感染症拡大のため中止 | ||||
2021 | 新型コロナウイルス感染症拡大のため中止 | ||||
2022 | 12 | 20 | ①野本由紀夫 ②小佐野圭 ③小佐野圭 |
①宮嶋明香、加形裕子、中村祐哉、金子宏 ②佐藤恵利、中村裕美、富澤祥行、立花敏弘 ③佐藤恵利、中村裕美、富澤祥行、立花敏弘 <新型コロナウイルス感染症拡大で学内開催> |
玉川大学体育館 |
2023 | 12 | 19 | 野本由紀夫 | ①佐藤恵利、加形裕子、中村祐哉、金子宏 ②宮嶋明香、中村裕美、長裕二、馬場眞二 |
パシフィコ横浜 国立大ホール |
- 1977(昭和52)年まではソリストに学生も加わっていた。


関連リンク
参考文献
- 小原國芳著「音楽教育論」(『全人教育』第147号 玉川大学出版部 1961年 に所収)
- 小原國芳著「私の音楽教育八十五年」(迫新一郎著『私の音楽教育八十五年-創造性を高める-』玉川大学出版部 1971年 に所収)
- 小原國芳著「第九に想う」(『玉川学園音楽祭プログラム』 玉川学園 1960年 に所収)
- 小原國芳監修『全人教育』 玉川学園出版部
第132号(1960年)、第235号(1969年) - 小原芳明監修『ZENJIN』 玉川大学出版部
第673号(2004年) - 小原芳明監修『全人』 玉川大学出版部
第703号(2007年)、第751号、第756(2011年)、第780号(2014年)、
第800号(2015年)、第824号(2018年) - 南日本新聞社編『教育とわが生涯 小原國芳』 玉川大学出版部 1977年
- 藤井百合著「小原國芳と音楽教育―玉川学園の第九と共に歩んだ道(Ⅰ)―」(『論叢』10号 玉川学園女子短期大学 1986年 に所収)
- 藤井百合著『小原國芳と音楽教育―玉川学園の第九と共に歩んだ道(Ⅱ)―』(『論叢』11号 玉川学園女子短期大学 1987年 に所収)
- 石橋哲成著「玉川学園における『第九』演奏の歴史」(『新教育運動の展開、小原國芳の全人教育思想、そして玉川学園の教育』 玉川大学学術研究所 2013年 に所収)
- 鈴木淑弘著『第九と日本人』 春秋社 1998年
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年