No.46 玉川のおやじ
玉川学園創立者小原國芳を知る人は、國芳のことを「おやじ」あるいは「おやじさん」と親しみを込めて呼んでいます。
1.「おやじ」あるいは「おやじさん」と呼ばれはじめたのは
小原國芳が「おやじ」あるいは「おやじさん」と呼ばれはじめたのは玉川学園開校当時からでした。1929(昭和4)年の開校当時に塾生だった諸星洪氏の著書『玉川のおやじ 弟子の見たる小原先生』(玉川大学出版部発行)には次のように記されています。
開校時まもなくの頃から「おやじ」と呼ばれ、自らもいつの間にか自身を「おやじ」と称するようになった。
國芳は1977(昭和52)年に亡くなるまで、生徒や学生、教職員にとってとても身近な存在でした。校内を歩き生徒や学生たちに声をかけ、時間があると幼稚部から大学の教室までを回り講義をはじめてしまいます。次の講義の時間もおかまいなしに話し続ける。学生たちも時間を忘れて聞き入ってしまい、次の講義が休講になってしまったこともしばしばあったようです。そんな教育に一身の情熱を注いだ「おやじさん」の薫陶を受けた生徒や学生、教職員は、今も親しみを込めて「おやじさん」と呼び、その姿を語り伝えています。




2.愛称で呼び合うことの多い玉川学園
國芳のことを「おやじ」あるいは「おやじさん」と呼んでいたように、小原信夫人のことは「おばさん」あるいは「おばさま」と呼んでいました。また、学園内では親しく愛称で呼び合うことが多く、いろいろな愛称が誕生しました。『今、蘇る全人教育 小原國芳』(教育新聞社発行)には、次のような記述があります。
音楽の岡本敏明教授は「ビンちゃん」。学校劇の岡田陽教授は「オカちゃん」。高等部の岩渕教諭は「ブチさん」その他「前ちゃん」「ガンさん」「デンカ」等々、名前にちゃん付も多かった。
これは、「おやじ」を中心に、お互いいのちの通った仲間が働く学園であるということである。


3.「おやじ」そのもの
熱く語り、激しく怒り、やさしく諭し、大いに涙するそのお人柄。大きな頼りがいのあるお姿は「おやじ」そのもの。それは、國芳が書いた書籍や残された映像などで現在でも感じることができます。


参考文献
- 諸星洪著『玉川のおやじ 弟子の見たる小原先生』 玉川大学出版部 1974年
- 山﨑亮太郎著『今、蘇る全人教育 小原國芳』 教育新聞社 2001年
- 『玉川学園の教育活動』 玉川学園 2008年