玉川豆知識 No.66
玉川学園創立の年に、小学生が富士登山
玉川学園創立から3カ月半しか経っていない7月21日に、小学生の富士登山を実施。子供たちに貴重な体験をさせたいという創立者の思いがそこにありました。
玉川学園小学部は、1929(昭和4)年の4月8日に創設されました。当時は中学部の校舎の一室を教室として使用。生徒が10名の単級編成でした。5月3日には玉川学園小学校の設置認可が東京府知事より正式に下り、その後児童の数も徐々に増えていきました。
その年の7月21日に、小学生の富士登山が実施されました。当時、小学生は総勢16名。そのうち、1年生2名を含む11名がこの登山に参加しました。その中には、後に理事長・学長・学園長、総長となる小原哲郎も含まれていました。引率は藤井部長をはじめ、塾の伊藤先生、谷口先生、指宿先生、福田先生、西村先生、保護者の佐藤さん。さらに中学生と塾生のサポーターを加えると総勢31名となりました。
一行は新宿から大月を経由して河口湖へ。河口湖畔で1泊したのち、吉田口ルートから登りました。5合目までは馬に乗っての登山。33頭の馬が連なって富士山を登って行きました。5合目からは、それぞれが金剛杖を持ち、自分の足で登山開始。小学生たちは、富士山の自然に触れるとともに、馬にも乗り、さまざまな体験をしました。学校が創設してからまだ3カ月半しか経っていないときに、このような行事を行ったのは、子供たちに都会ではできない貴重な体験をさせたいという、玉川学園創立者である小原國芳の思いがそこにあったからです。

登山の様子については、『學園日記』(第3號)に、中学生の登山の思い出として、次のように記載されています。
小學時代の讀本に雷様を下に聞くといふ文があつたがホントに足下に雲海が見える。・・・(略)・・・山巓の鳥居をくぐつた瞬間、今迄の我慢が一時に爆發して恐ろしく大きな聲で萬歳を連呼
また、『全人』No.805の「故きを温ねて(ふるきをたずねて)」に次のような記述があります。
現在ほどの装備や設備のない時代、小学生の富士登山は周到な準備や上級生のサポートがあったからこその快挙だった。上級生は小学生を慈しみ、小学生は上級生への信頼が増し、連帯感も生まれたのではないかと思われる。
「日本一の高峰に立つたといふうれしさと征服した喜びで自然と微笑せずには居られない」と中学生。困難なことへの挑戦は、後々の生活で大きな自信になったことだろう。
参考文献
小原國芳編集『學園日記』第3号 玉川學園出版部 1929年
白柳弘幸著『故きを温ねて』 (小原芳明監修『全人』No.805 玉川大学出版部 2016年 に所収)
玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史 写真編』 玉川学園 1980年