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玉川豆知識 No.86

本学キャンパス以外の場所で黄色いコスモスが最初に咲いたのは東宮御所

今では日本全国で見ることができる黄色いコスモス。その黄色いコスモスが玉川キャンパスでしか見ることができなかった当時、この苗を皇太子殿下・妃殿下に献上。やがて東宮御所でも黄色いコスモスが美しい花を咲かせました。

1.黄色いコスモスの誕生

黄色いコスモスは、玉川大学農学部の育種学研究室が30年以上の歳月をかけて世界で初めて開発したもので、「イエローガーデン」という名称で1987年(昭和62年)に品種登録。その後、種苗会社を通して市販されることになりました。

コスモスはメキシコ原産ですが、漢字では「秋桜」と書き、秋を代表する花として日本人に親しまれています。今ではさまざまな色のコスモスの花を目にするようになりましたが、イエローガーデンが開発される以前は、コスモスの花の色は真紅、ピンク、白などに限られていました。

1957年(昭和32年)、玉川大学農学部育種学研究室の佐俣淑彦教授が紅系のコスモスの中に、突然変異で黄色く発色した株を発見しました。その株をもとに20年以上にわたって交配実験を繰り返し行い、より黄色味を帯びた株の選抜に取り組み、1980年(昭和55年)頃から鮮やかな黄色い花の定着に成功しました。しかし、佐俣教授は完成を目前にして、1984年(昭和59年)に逝去されました。その後の研究を同研究室の稲津厚生教授が引き継ぎました。そして、さらに育種操作を行い、ついに学校法人玉川学園として、1987年(昭和62年)に種苗法に基づいて世界初の黄色いコスモス「イエローガーデン」として登録がなされました。故佐俣教授を中心とした育種学研究室の仲間が、30年に及ぶ実験研究の結果、世界で最初に生み出したものです。

その後、さらにはっきりとした黄色のコスモスが開発され、「イエローキャンパス」という品種名で多くの人の目を楽しませています。「イエローキャンパス」は、咲き始めのときは白っぽく見えますが、気温がだんだん下がるにつれて黄色味が増すという特徴を持っています。ディープレッドキャンパス、クリムソンキャンパス、オレンジキャンパスを加えてキャンパスシリーズとして市販されました。

2.黄色いコスモスを献上するために東宮御所へ

1987年(昭和62)年7月29日、玉川大学で誕生したコスモスの新品種である黄色いコスモス「イエローガーデン」の苗を皇太子殿下・妃殿下に献上するため、大学院農学研究科の学生2名を含む5名で東宮御所を訪問。黄色いコスモスの献上のきっかけは、同年1月31日に遡ります。その日は本学の鹿児島久志農場(現在の南さつまキャンパス)で収穫されたポンカンを皇太子殿下・妃殿下に献上した日です。その際に、本学のキャンパス以外にはない黄色いコスモスの話になり、両殿下とも関心を示されました。それがきっかけとなり、黄色いコスモスの献上が実現したのです。『全人教育』No.473(玉川大学出版部発行)によれば、玉川キャンパス以外の場所において黄色いコスモスが咲くのは、東宮御所が最初の地とのことです。

黄色いコスモスの苗を東宮御所へ献上したときの様子を、訪問した農学研究科の2名の学生が、『全人教育』No.471(玉川大学出版部発行)に記しています。一部を抜粋して紹介します。

清水慈史(農学研究科修士課程1年)

献上の当日は、かつて学習院で浩宮様の先生をされていた本学園女子短期大学・小澤富夫教授、農学部の稲津厚生助教授および学生代表の中森さんと私、それに秘書室の吉川さんが参内しました。コスモスの定植場所では、浩宮様が私たちをお迎え下さいました。花壇用地は、すでに定植するばかりに準備されており、御所の係の方の協力も得て、持参した百株余りの苗の定植作業はスムーズに進みました。宮様が強い陽射しのもとで、終始作業を見守っていて下さったことが、私には大変印象深く、感激しました。
その後、黄色コスモスを定植した花壇の前の芝生で、昼食のおもてなしに預かりながら、しばしバイオテクノロジーや登山について宮様とお話ししました。

中森紀世(農学研究科修士課程2年)

宮様は花色遺伝子の作用に関心を持たれたご様子で、私たちが御所に植えた黄色コスモスの株にできる種から育つ植物も、同じような黄色の花を咲かせるだろうかと、即座にお尋ねになりました。それについては、御所内や御所近隣に他の花色のコスモスがなく、コスモスを訪れる昆虫が他花色の株の花粉を運んで来なければ、黄色コスモス同士の交配が自然に行われ、次代も黄色の花が咲くでしょうとお答えしました。
(略)
今、玉川大学の工学部校舎前には、東宮御所へ献上した黄色コスモスの兄妹で、同時期に育てたコスモスが植えてあります。このコスモスが花を咲かせる頃には、きっと御所でも黄色コスモスが美しい花を咲かせ、両殿下や浩宮様たちご兄妹にご覧いただけることでしょう。

翌年の1月31日に天皇陛下をはじめ各皇族の方々のもとに、ポンカンを献上するために本学の代表者数名が、皇居を訪問しました。ポンカン献上は今回で10回目となりますが、そのときの様子が、『全人教育』No.477(玉川大学出版部発行)に記されています。一部を抜粋して紹介します。

岡優子(農学部農学科3年)

東京とは思えないほどの広大な美しい庭園を臨む皇居をお訪ねした後、東宮御所へ向かい、後から到着された女子短大の小澤富夫先生と共に御所内の応接間に通された時には、あまりの光栄に胸が熱くなりました。しかし皇太子殿下、美智子妃殿下そして浩宮様の優しいお言葉や温かいお人柄により、いつの間にか話が弾んで緊張も和らぎました。特に、去る七月末に御所内の花壇に植栽した黄色いコスモスが、大変美しい花を咲かせました、とおっしゃられた時は、本当に嬉しく思いました。

3.黄色いコスモスの種が「イエローガーデン」として販売され、日本全国へ

「イエローガーデン」の品種登録が決まると、すぐに黄色いコスモスは大評判となりました。テレビや新聞でも報道されました。1987年(昭和62)年10月21日午後6時からのテレビ番組「スーパータイム」(フジテレビ)で、玉川大学農学部が育種栽培に成功した黄色いコスモスが紹介されました。また、読売新聞や朝日新聞などの新聞でも、「30年間の育種実る」「花咲いたぞ!30年間の研究」との見出しをつけて大きく報道されました。

翌年の1988年(昭和63)年11月18日にはNHKテレビが満開となった黄色いコスモスを映像で紹介。また産経新聞は11月22日付の夕刊一面に、「町田市の玉川大学農学部が30年間にわたって研究をつづけ、黄色いコスモスを誕生させ、世界で初めて商品化に成功した」とカラー写真入りで「イエローガーデン」のことを掲載しました。このように当時たくさんのマスコミからも注目されました。そのような状況の中、こんな話も伝えられています。読売新聞町田支局の記者が取材に来園された際、種を持ち帰って長野県松本市で蒔いたところ、一面の黄色いコスモス畑ができたそうです。さらに北海道釧路在住の父兄からは「釧路のコスモス街道に玉川の黄色いコスモスが咲きました」との便りが届きました。

黄色いコスモスは、今では日本全国で見ることができます。東京では、国営の昭和記念公園の黄色いコスモスが有名です。黄色いコスモスが評判になるや昭和記念公園に40,000株が植えられました。現在は、イエローキャンパスとサンセットイエロー(キバナコスモス)という2種類の黄色いコスモスが約70万本。秋の公園を黄色で埋めつくしています。見頃は10月上旬からです。その他、名古屋港ワイルドフラワーガーデン・ブルーボネットの薄黄色のものや、広島の備北丘陵公園の黄色いコスモスがよく知られています。玉川産の黄色いコスモスが全国各地で開花し、人々の心を和ませる秋の風物詩となってくれていることは何より嬉しいことだと思います。

昭和記念公園の黄色いコスモス

参考

コスモス(cosmos)とは、一般的に、宇宙を秩序ある、調和のとれたシステムとみなす宇宙観を意味します。「秩序、整列」を意味するギリシア語のκόσμοςという言葉に由来し、カオスと対をなす概念です。現代英語では、Universeの類義語として使われ、ロシア語では単に「宇宙」を意味しています。

玉川学園の創立者 小原國芳は著書『全人教育論』(玉川大学出版部発行)に真・善・美・聖・健・富の6つの価値を創造することが教育の理想だとし、「この6つの文化価値が、秋の庭前に整然と花咲いとるコスモスCosmosの花のように、調和的に成長してほしいのです」と著しました。今では、コスモスの花は教育の理想として例えられるだけでなく、玉川学園にとって大変身近な花になっています。

なお、1963(昭和38)年から始まった玉川大学の大学文化祭は、1968(昭和43)年からコスモス祭(コスモス・フェアー)と呼ばれるようになりました。

また、『全人』No.710(玉川大学出版部発行)の「玉川の丘、再発見!」(第5回)に次のような記述があります。

本年(2007年)、上野の国立科学博物館で開催された「特別展 花FLOWER」の「花をつくる」という展示コーナーで、佐俣教授の研究功績について、「コスモスの改良に熱意を燃やし、それにまさしく一生をささげられた。このような人々の努力により、日本はまさしく花の色の研究や改良について、世界を一歩リードする国のひとつとなった」と紹介されていた。

東宮御所へ献上する黄色コスモスを移植する小学部生
(1998年)

参考文献

  • 小原哲郎監修『全人教育』第471号 玉川大学出版部 1987年
  • 小原哲郎監修『全人教育』第473号 玉川大学出版部 1987年
  • 小原哲郎監修『全人教育』第477号 玉川大学出版部 1987年
  • 小原哲郎監修『全人教育』第486号 玉川大学出版部 1988年
  • 白柳弘幸「玉川の丘、再発見!」(『全人』第710号 玉川大学出版部 2007年 に所収)
  • 『玉川学園の教育活動 玉川大学の教育活動(2008~2009)』 玉川学園 2008年

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