玉川豆知識 No.88
再建された小原國芳像
1932(昭和7)年に玉川学園キャンパス内の聖山に、小原國芳の胸像が設置されました。戦後、その胸像は盗難に遭い、ついに戻ってきませんでした。そのため、美術の山田貞実教授と美術部の学生たちにより現在の胸像が再建されました。
1.盗難に遭った胸像

2.再建された胸像
その後、1956(昭和31)年に小原國芳の胸像が再建されることになり、美術の教授であった山田貞実と大学美術部の学生たちによる3カ月におよぶ大労作により胸像は造られました。制作日程が大変短かったため、放課後や授業の合間を利用して、約1カ月間連日連夜、土を運び、土を盛り、土を刻んで不眠不休の努力が続けられました。






3.「小原先生の古稀を祝う会」で胸像のお披露目

新たに造られた小原國芳の胸像は、1956(昭和31)年4月29日に行われた「小原先生の古稀を祝う会」でお披露目されました。朝9時より、中学部校庭にて学生・生徒・児童・園児によるお祝いの会を開催。その中で胸像の除幕が行われました。その後午前11時より、礼拝堂において、来賓、父母、卒業生、旧職員などを迎えての祝賀会。午後3時より、聖山にて昼食会。この日から以前の台座の上に再び小原國芳の胸像が置かれました。




4.胸像の除幕式
完成した小原國芳の胸像の除幕式が、1957(昭和32)年2月28日に聖山で行われました。聖山に約1,700名の児童、生徒、学生、教職員、関係者が集まっている中、小原國芳が拍手に迎えられ登壇。校歌の後、開会の挨拶、そして制作の経過報告が行われました。校歌の指揮も、挨拶も、報告も、担当したのは大学生。ついで、胸像制作の中心となった山田貞実の話。その後、いよいよ除幕式。6歳になる洋介君と4歳になるまや子ちゃんという國芳の孫にあたる二人の手によって、胸像を覆っていた幕が取り払われました。大歓声と拍手の中、國芳は満面の笑みを浮かべて感謝の言葉を述べました。つづいて、榎本英米文学科長のお祝いのことば、田中教育学科長のお祝いの和歌朗詠、最後に落合農学部長の発声による「小原先生バンザイ」の唱和がありました。
この時のことが『全人』第92号(玉川大学出版部発行)につぎのように記述されています。
まっ白に雪をいただいた丹沢連峰を真正面にのぞむ玉川学園の聖山。風はまだすこし肌寒いが、空には一点の雲も見えない二月二十八日午前十一時。礼拝堂のかげから、つぎつぎと元気な顔をかがやかせて、小学生から大学生まで、全学園の玉川っ子がここを目ざして集まってくる。
昨年春、心ない闖入者(ちんにゅうしゃ)の手によってこの丘のシンボル小原先生の胸像がはこび去られて以来、玉川のたれもが、聖山をおとずれて空白となった台座を目にするにつけ、何か心のよりどころを失ったさびしさを味わってきた。
そうしたみんなの気持があつまって、「また小原先生の胸像をここに建てようではないか。それには、今度はどんな名彫刻家の手になるよりも、われわれじかに手をとってお教えいただいた学生の手でつくりあげるのが最も意義のふかいことではなかろうか」という声となり、美術の山田教授を中心とする大学生たちの苦心の労作のすえ、ここに前にもましてりっぱな小原先生の胸像が完成したのである。





5.聖山礼拝
小原國芳の胸像のある聖山には、毎朝塾生たちが集まってきて「聖山礼拝」を行っていました。國芳も聖山礼拝に参加し、まるく円をつくった学生たちの輪の中に入って、祈り、讃美歌を歌い、こころを穏やかにして一日を迎えていました。

6.現在の胸像

聖山は玉川学園町の丘陵の中でも一番高い丘で、玉川学園開校以前は丹沢の尾根の間から富士山も望めました。開学当初の聖山は、木々が密集した狭い空間でしたが、学生たちの労作によって徐々に木を切り、草を刈り、芝生を植えて、訪れた誰もがこころを穏やかにする場所となりました。やがて、芝生のところには木や草が植えられ、礼拝堂との間に池が整備されました。そのような聖山の移り変わりの中で、西の山々に向かって設置されていた小原國芳の胸像も、聖山の南を向く場所に移されました。
これは礼拝堂の方から聖山に上って行ったときに、胸像にすぐに挨拶ができるようにという理由から現在の位置に移されたそうです。
今後、創立90周年記念事業として、聖山一体を玉川学園の歴史を知る保存エリアと位置づけ、キャンパス周辺の眺望が望める開放的な樹林地として植生を整え、卒業生や児童・生徒・学生が集う場所として整備していきます。そうなると聖山を訪れる人の数も多くなることでしょう。その人たちを、静かな聖山にたたずむ國芳の胸像が優しい笑顔で迎えてくれます。
7.写真で見る胸像











参考文献
- 小原國芳監修『全人』No.81 玉川大学出版部 1956年
- 小原國芳監修『全人』No.92 玉川大学出版部 1957年
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』玉川学園 1980年