玉川豆知識 No.93
映画『窓から飛び出せ』の撮影の大部分は玉川の丘で
1950(昭和25)年3月に公開された映画『窓から飛び出せ』。女優香川京子のデビュー作としても知られている作品。その撮影の大部分が玉川の丘で行われました。礼拝堂、聖山、玉川池など当時の玉川の丘が大画面に浮び上ります。
1.映画『窓から飛び出せ』
新東宝製作・配給の日本映画『窓から飛び出せ』は、1950(昭和25)年3月26日に公開されました。モノクロ作品で上映時間は1時間20分。後援、学校法人玉川学園。昭和初期から戦後にかけての日本映画の黄金期に人気を博し活躍した大日方傳(おびなたでん)が主演。また大日方傳が初めて製作した作品であり、原作も担当。監督は島耕二。出演は当時若手俳優だった小林桂樹をはじめ、戦前から活躍していた藤原釜足、轟夕起子、杉狂児、汐見洋、岡村文子、鳥羽陽之助、この作品がデビュー作の香川京子などでした。香川京子は久我美子の代役での幸運なデビューとなりました。また、大日方の息子2人と娘2人も出演しています。
映画『窓から飛び出せ』は、二組の家族の交流を描いた心温まる作品です。徳山周介(大日方傳)は農業と畜産業を営み、父の理太郎(汐見洋)、弟の勇二(小林桂樹)、妻の藤子(轟夕起子)、4人の子供(うち3人が大日方の息子と娘2人)の8人という大家族で暮らしていました。隣家の藤枝家は、船長だった夫を海での遭難事故で亡くした千栄子(岡村文子)と娘の茉利子(香川京子)、足に障がいがありリハビリを続ける息子の道夫(大日方の息子)の3人家族でした。その徳山家と藤枝家の交流を通して、家族の大切さ、人の優しさが画面いっぱいに映し出されます。
2.玉川の丘が舞台
映画『窓から飛び出せ』の大部分の撮影は玉川の丘で行われました。玉川学園の生徒たちも出演しています。1950(昭和25)年1月半ばから撮影開始。大日方傳は撮影所のセットを使用せず、オールロケで撮影しました。そして自然豊かな玉川の丘と自分の家を撮影場所に選びました。そのことが、『全人』昭和25年4月20日発行号に掲載された岡田陽が書いた「映畫『窓から飛び出せ』を觀て」に次のように記述されています。
一切撮影所のセットを使わず、大部分を玉川の丘で、自分の家を中心に撮影するという大膽な企劃をたて、傳さん自身、原作、製作、主演という一人三役を兼ね、子供達は總出演、奥さんは五十人もの撮影關係者の兵站を一手に引受けるという一家こぞつての大活躍であつた。映畫というものは構成が複雜なだけに、素人が見ると、馬鹿々々しくなる位、手數のかかる能率の惡いものである。二ケ月間惡戰苦闘の後、映畫は完成した。
(略)
「愛情と合理の中に平和がある」
これは傳さんの生活信絛であり、この映畫のサブタイトルである。







1950(昭和25)年当時の懐かしい玉川の丘の風景が、いろいろな角度から美しく映画の大画面に映し出されています。当時を振り返ることができる貴重な映像です。
なお、1950(昭和25)年4月8日、小学部・中学部合同の入学式が行われ、その終了後に本学の礼拝堂において、映画『窓から飛び出せ』が上映されました。
- 上記に掲載しました写真は当時の玉川の丘の様子を写したもので、映画に出てくる場面の写真ではありません。
参考
「映画『窓から飛び出せ』を鑑賞し、このまちの60年前を推理する」というイベントが、2010(平成22)年11月3日に町田市玉川学園のさくらんぼホールで開催されました。主催は芝生(しばお)の会、共催は玉川学園町内会と玉川学園地区まちづくりの会。第1部が映画『窓から飛び出せ』の鑑賞、第2部が「みんなで推理する『このまちの60年前の風景』」でした。
参考
「玉川池」「聖山」「礼拝堂」「動物の飼育」「クリスマスキャロル」「第九合唱」を懐かしい写真で紹介します。
玉川池








聖山


礼拝堂


動物の飼育




クリスマスキャロル


第九合唱


参考文献
- 岡田陽「映畫『窓から飛び出せ』を觀て」
(『全人』昭和25年4月20日発行号 玉川大學出版部 1950年 に所収) - 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年