日本のスキーの歴史を塗り替えたハンネス・シュナイダーを招聘 日本とオーストリアの外交関係樹立150周年を記念して
1930(昭和5)年、当時“スキーの神様”と呼ばれていたオーストリアのハンネス・シュナイダーを招聘しました。世界一の教育を子供たちに触れさせるという熱い思いから、1930年3月、シュナイダーが来日、本学と成城学園の生徒に対し、池の平での講習会を実現させました。さらに、スキー連盟の要請も受け、各地で講習会や講演会を開催。素晴らしい技術を披露し、日本のアルペン・スキーは一変しました。シュナイダーがもたらした技術により、日本のスキーは飛躍的に進化し、日本のスキーが形づくられていきました。
日本のスキーの歴史を塗り替えたシュナイダーを招聘してから33年後となる1963(昭和38)年2月、再び玉川学園と成城学園が中心となって、“第二のシュナイダー”、あるいは“オーストリア・スキーの父”と言われたシュテファン・クルッケンハウザーを招聘しました。2月11日、クルッケンハウザー一行が来日。来日に先立ち、オーストリアから招聘のスキー教師により、白馬山麓親ノ原スキー場にて中学部から大学までのスキー学校を開催しました。2月13日には、クルッケンハウザー教授一行が玉川学園を来訪されました。学生、生徒、児童全員が迎えるなか歓迎式典が行われ、クルッケンハウザーに玉川大学名誉教授の称号を贈りました。クルッケンハウザーによる学術講演、一般公開講演、写真展なども実施され、 さらに小原國芳の働きかけにより、東宮御所にてクルッケンハウザー一行の皇太子殿下(現天皇陛下)拝謁の儀も実現しました。
シュナイダーの招聘が、日本のスキー史上における先駆的役割を果たしたとすれば、今回のクルッケンハウザー教授一行の招聘は、日本のスキー技術の変革と統一という面で画期的な意義をもったといえます。
1978(昭和53)年、創立40周年記念事業として、同窓会から新仕様のバロック式パイプオルガンが贈呈され、従来のロマンティックオルガンとバロックオルガンという構造を異にする二つのオルガンが礼拝堂に設置されました。新パイプオルガン完成披露演奏会には、オーストリア中日大使代理のサッチンガー文化報道参事官、ウィーン聖シュテファン大聖堂オルガン奏者のペーター・プラニアフスキーや、オルガン建造者である辻宏らを招いて、新設パイプオルガンの演奏を行いました。当日配付した披露演奏会のプログラムには、オーストリア駐日大使からメッセージをいただきました。オーストリア駐日大使のフランツ・ヴァイデンガー博士は、後日、玉川学園を訪問されました。

このように玉川学園の様々な取り組みの中で、日本とオーストリアの関係を深めていったともいえます。今回、日本とオーストリアの外交関係樹立150周年を記念して、これまでの取り組みを写真で紹介します。
ぜひご覧ください。
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ハンネス・シュナイダー招聘
シュテファン・クルッケンハウザー招聘
ペーター・プラニアフスキー氏による披露演奏会
オーストリア文化フォーラム東京(オーストリア大使館)
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