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故きを温ねて 40

博物館も建設したい

1969(昭和44)年8月16日、教育博物館の前身である教育博物資料室が大学図書館(当時)内に開館
2005(平成17)年11月、小学部(当時)への出張授業。館蔵の『解体新書』通して江戸時代の文化を学ぶ

「明治初年や維新前の古い敎科書や諸種の珍本を寄贈して下さる方々があります。どうぞ續々お願いたします」という記事が本学機関誌『學園日記』2号に載った。教育研究所を開設し、教育研究のための寄贈のお願いで、創立4カ月後の1929(昭和4)年8月のことだ。

終戦の年の9月1日付文書には、学校再開とともに「図書館の充実を図りたい、博物館も建設したい」と、小原國芳の熱い思いが述べられていた。本学は創立以来個性尊重、自学自律の教育を唱え続け、自ら学ぶ児童生徒の教育に力を注いだ。鍬を持ち歌うことも、机上での学習も労作とし、ホンモノを通して得られる学習理解や生活経験を大切にしてきた。

「博物館も建設したい」と小原が強く考えたのは、母校広島高等師範学校の教育環境の影響ではないかと思われる。小原が在学する以前から「敎育參考室」が設けられ、卒業後の1915(大正4)年には本格的な「敎育博物館」が開館した。その目的は「學用品の見本を陳列したり生徒の成績を陳列する體の通俗的敎育博物館とは性質を異にし」「敎育の學理及び實際に關する諸般の硏究をなす」(『創立四十年史』廣島文理科大學)ためであった。近年の博物館教育の目標が早くも掲げられている。同じ思いを小原自身も温めていたのではないだろうか。

終戦の日から1カ月も経ずに「博物館も建設したい」と述べていた夢を叶えたのは、24年後の1969(昭和44)年8月16日のことであった。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2016年12月号(No.811)より

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