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故きを温ねて 55

朝から辨當携へて、學園の丘から野に

経塚山の斜面にて昆虫採集をする小学生、1955年頃。正面奥、聖山の中腹に礼拝堂が見える
幼稚部で木の葉の造形を楽しむ園児。
1955年頃

朝から辨當(べんとう)携へて、學園の丘から野に、森から谷へ、隣(とな)つてる土地の田に池に、畦道に」(『玉川塾の敎育』)と小原國芳が述べたのは1930(昭和5)年のことであった。

玉川学園創立期の教育目標には既に「自然尊重の敎育」(『同』)が掲げられていた。小原が生涯をかけて取り組んだ新教育運動では、子どもの本性が正常な発達を遂げるために自然環境を重要視したからである。それは自然豊かな薩摩半島久志で育った小原自身の体験とも重なっていたからだろう。

昭和の初めの頃、小原が夢みた理想の教育を実現させるために「齒車と喧燥と、電車と自動車と、煙突と塵埃の都市」から離れた郊外の校地を探した。そして全くの雑木林や田畑地や荒地であった現在の地を玉川学園創設の地とした。

幼稚部や小学部(当時)の古い『教育課程』を紐解くと、5歳児造形では「木の葉、木の実、木の枝を並べて自由製作」、1年生算数「おちばひろい」では「百まで唱える、数える」、2年生理科「夏の虫」では「虫などを採集して調べる」などと載る。各科で玉川の丘の自然環境を生かした学習が行われている。こうした時、弁当と水筒を携え「丘めぐり」と呼ぶ野外学習が常に行われていた。

「遠足の小学生徒有頂天に大手ふりふり往来とほる」(木下利玄)という名歌がある。
今、春4月である。「遠足の」を「丘めぐり」の言葉に置き換えたい光景がそこかしこに見られる季節になった。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2018年4月号(No.826)より

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