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故きを温ねて 58

小原國芳のおもてなし

お客の間で生徒たちと面会する小原國芳。机には果物が盛られている。1958年5月頃
改築と改装を経た今も残されている、お客の間の障子

1977(昭和52)年2月、学園内聖山中腹にある小原國芳邸の大改築が終了。この改築には当初、小原はあまり乗り気ではなかった。その理由を小学部(当時)などの校舎が木造のままであったので、自分が良い家に住むわけにはいかないなどと述べていた。しかし、高齢で入退院を繰り返していたため、卒業生らが寄附を募り改築を小原に決断させた。

改築の相談時、お客の間(応接間)の欄間や障子をそのままに使うことを小原は希望した。理由を問うと「お客の間があまりに変わってしまうと、遊びに来た卒業生ががっかりするだろ」と。

大改築後、お客の間を訪れる卒業生たちは皆「久しぶり」「懐かしい」「昔のままだ」と相好をくずした。そのたびに、「どうだ!」と応える亡き小原の得意顔が見えるような心持ちであった。2017年3月に終了した小原記念館改装でも、欄間や障子は残された。

生前、小原は卒業生の訪問のある日はお菓子などの用意を十分していたそうだ。そうした風景は、初めて教員となった香川県師範学校教員時代まで遡る。下宿に遊びに来る教え子たちに、遠慮なく茶菓をふるまっていた。そのため菓子屋さんに借金ができたほどであった。

鹿児島県師範学校生の時に出会った宣教師ランシングから、聖書の「人にして欲しいと思うことを人にもせよ」(ルカ伝6章)の教えを、小原は公私に受けた。小原の人をもてなす姿勢は、その恩送りだったのではないだろうか。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2018年7/8月号(No.829)より

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