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故きを温ねて 62

自らつかんだ知識は貴い

活版印刷の活字を拾い出す植字労作。昭和初期、創立当時の様子
小原國芳の自伝『少年の頃』。
玉川学園出版部発行(昭和5年7月1日初版)

小原國芳は1887(明治20)年に生まれた。少年時代は、日清戦争と日露戦争に挟まれた戦間期に当たり、国全体で戦意が高揚しつつも、日本はまだまだ貧しい時であった。
少年國芳は、教科書が買えないために写本をした。教科書として使用するためには、書き写した和紙を袋綴じにする装幀の作業が必要になる。表紙を作るのにはなめらかな板を綺麗にして日本紙(和紙)を水貼りし、その上に紙を重ねて糊で貼り、さらに新聞紙で補強し、最後にまた白紙を貼り付け適当な厚さにしたと言う。こうした方法は村役場の小使いさんがやっているのを見て覚えたそうだ。
装幀作業で表紙の角の裁ち方を工夫していた時、折り込む紙片の切り込みは表紙の角を通ればどんな角度であっても良いという発見をした。「ピタゴラスがピタゴラスの原理を発見したほどのよろこび」と自伝『少年の頃』で述べている。本書の初版は1930(昭和5)年で、小原43歳の著作である。小原は「試行錯誤し自らつかんだ知識は貴い」とよく述べたが、この言葉はこうした自らの体験をもとにしたのであろう。
歴史家の磯田道史は、薩摩の郷中(ごじゅう)教育は「きわめて実践的」「実効性を重んじていた」(『歴史の読み解き方』)と指摘している。日々の家庭生活や親燈学舎という集団の中で、体験を通して多くのことを身につけたのだと思われる。
小原は少年時代をふりかえって「私が自學・自習・勞作・實習などを高唱するのは、かゝる體驗に本づくこと決して浅くないのです」と述べている。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2018年12月号(No.833)より

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