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故きを温ねて 63

二十四時間敎育を理想

太鼓櫓の近くに建てられていた女子塾、1937(昭和12)年頃。のちに竜胆(りんどう)塾とも呼んだ
塾生が生活していた怡東(いとう)塾の見取り図。1929年頃。中央の書斎より右側は教員家族の生活の場、左の1 室が塾生の部屋であり、教場であった。教員の名を冠した塾が多かった

戦前の玉川学園案内図などに小原塾、桜州塾、東山(とうざん)塾、明倫塾、海棠(かいどう)塾、暁峰(ぎようほう)塾などの塾の名のつく建物施設が20近く載る。
創立期の塾には、教員の自宅に2、3名が分宿する学僕。7、8名が先生の自宅で生活する塾生、自治的生活をする寮生がいた。学僕と塾生は「全く家族として、子守も掃除も、お使も風呂焚きも、ルス番も送迎もし」「殆ど家族同樣」(『玉川塾の敎育』)であった。
小原國芳は香川での教員時代、寄宿舎の宿直時は学生たちと語り明かし、下宿先に遊びにくる者たちと共に食べ共に歌った。「私は、何だか、敎育といふものは八時以前と三時以後にホンモノがあるような氣がします」とよく述べた。塾教育を重視したのは、これらの経験や自身の少年時代の親燈学舎の体験からだろう。
戦後、大学令による最後の認可を受け玉川大学が設置された。初めての「玉川大學要覽」中に「大自然と塾敎育」として「相模丘陵の大自然の中……自然に則し、師弟同行、長幼相助の二十四時間敎育を理想」と載る。現在、幼稚部園児から大学生までが、緑豊かなワンキャンパスで1日の大半の時間を過ごす。さながら教育村と言ってよい。
授業外に朝な夕な各部の活動があり、大学の教育学術情報図書館の窓は夜遅くまで明るい光を放っている。近年、玉川教育12信条のひとつ「塾教育」を「24時間の教育」へと変更した。その変化を見通していたかのような「玉川大學要覽」の文言に驚かざるを得ない。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2019年1月号(No.834)より

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