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故きを温ねて 74

夢を實現せんがための斷えざる努力

一画多い「夢」の字を揮毫する小原國芳。1971(昭和46)年1月
現職大学教員が高等部3年生時(1982年)に製作した「大癋見面」

今日、社会、経済、国際関係など世の中の変化が目まぐるしく、科学技術は日進月歩で進化している。そうした中、子どもたちに自らの将来をどのように捉えさせるか、学校がどう対応し支援するかということは、教科教育同様に大切なことになっている。
玉川学園の創立は1929(昭和4)年。小原國芳は大きな借金を抱えて学園を創立した。それは真(まこと)の教育を行う学校を作りたいという、夢の実現のためであった。小原は「私の最も好きな言葉にビジョンという言葉と夢といふ言葉がある」と述べ、そのためには「試驗の爲の勉強ではなくて、大望を抱き、夢を實現せんがための斷(た)えざる努力」(『敎育問題研究』同年5月)が必要と述べている。夢を持つだけではなく、夢の実現に向けて絶えず学び続けることを児童生徒学生卒業生に求めた。
昨年のコスモス祭、全人教育研究センター企画展に、現職大学教員が高等部3年生の時に製作した「大癋見面(おおべしみめん)」の展示があった。説明文には、小学部6年生の時に仮面を造り、中高6年間の自由研究などでも研究と製作を続けた。彫刻の技術のみでなく、日本の宗教や民俗や芸能にまで関心を広げ、大学教員として民俗学研究に取り組むに至ったことが書かれていた。自らの興味関心を探求し続けたことが、現在の職業に結びついた。
玉川の卒業生には自由研究などで取り組み続けてきたことを職業とし、またライフワークとしている方々が多いのではないかと思う。これこそ小原が抱いた夢の学校であった。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2020年1月号(No.845)より

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