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故きを温ねて 75

終わりまで忍ぶものは、救わるべし

礼拝堂で挨拶する小原國芳。1947年12月1日
記念会当日、聖山で行われた野外記念パーティー

1947(昭和22)年12月1日、「新敎育三十年・玉川學園創立二十年・玉川大學創設・小原先生還暦記念會」が礼拝堂で行われた。翌2日は神田にある共立講堂で、音楽・演劇・体操の発表会が開催され、三笠宮、李王両御夫妻が来臨された。太平洋戦争終結2年後のことであった。『全人敎育』(第十八巻第一號)に、記念会で述べたと思われる小原國芳による「挨拶」と題する一文が載る。
そこには数々の困難も赤裸々に語られている。経営難にあった時に学校買収を持ちかけられ、自身は小学部だけを担当し教育研究所長になる相談があったこと。創立時の借金が返せないため、学校経営は他に任せ、教育のみに力を注ぐ決心をしかけたことなどである。
一文には記念会に出席された恩師、先輩、成城と玉川両学園の教え子、保護者の方々、在校生への感謝の言葉も溢れている。そして、20周年を迎え、聖書の「終わりまで忍ぶものは、救わるべし」(マタイ10章22節)の言葉を有り難く味わっていると述べている。
来賓として出席された内務政務次官の長野長広は、時代の流れの「環境より一歩踏み出して、つまり、パイオニヤとして指導しますことは、決して常人の行いうるところではない」と述べ、福沢諭吉や大隈重信が実業界や政界からの支援を受けて創立した中、小原は困難の中で教育事業を起こしたことを称え、福沢大隈の両雄に並び立つと賛辞を呈した。参加者は心に深く感じ入ったことだろう。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2020年2月号(No.846)より

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