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故きを温ねて 82

いはんや、お國のためなんだ

女学生が出演した内閣情報局の映画『愛國の花』の一場面。中央は小原國芳長女の藤井百合
大日本軍政部発行の教科書『ニッポンゴ マキ一』(1942年)。教育博物館所蔵

1941(昭和16)年 12月、太平洋戦争が始まる。その後、軍は石油資源等確保のため蘭印など南方地域を占領した。
翌年、内閣情報局から玉川学園へ南方民族に「日本の少年少女の生活と音楽」を紹介する映画の撮影協力の依頼が入った。内閣情報局とは戦中、戦争遂行に向けての世論操作などを主任務とした内閣直属の情報機関であった。
学内や撮影所にて「中学生は『吾等の團結』女學生は『愛國の花』初等部生は『アイウエオ』の歌」(『全人』117号)を混声四部合唱で歌い、大映が学生の労作、野営、生花、茶道などの様子を約1カ月間撮影。映像と音声を同期したトーキー映画『日本の唄』を完成させた。
教育博物館所蔵16ミリフィルムをDVD化した資料に「吾等の團結」の歌声が残されている。1分ほどだが78年前のものとは思えない野営の映像と美しい音声が再現する。この種の映画は日本文化の紹介を通し、占領地の人心を安定させる「宣撫(せんぶ)工作」が目的であった。
南洋への訪問経験がある小原國芳は目的を承知していたと思われる。だからか、撮影について「いはんや、お國のためなんだ」「いわんや……」などと、自分に言い聞かせる一文を重ねている。
本学はキリストの教えを大切にし、全人教育を掲げ、教育実践などに努めてきた。しかし、そうした自由主義的な教育方針は、軍部に好まれなかった。学園存続のため、情報局の依頼を断る術はなかったのだろうと想像する。戦争遂行という国をあげての巨大な渦に巻き込まれていった、歴史の一コマであった。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2020年10月号(No.853)より

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