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故きを温ねて 83

世界の共同舞臺に立つて文化建設

上野の東京国立博物館を見学する小学部(当時)の児童。1968年3月
本資料は1893年発行のもので活版印刷。教育博物館所蔵

小原國芳は1887(明治20)年に生まれた。その10年前、小原の父は国内最後の内戦と言われる西南戦争に西郷軍の一兵士として従軍した。
小学校高等科1年(今の小学5年生)の時に『日本外史』を学んだと『小原國芳自伝1』に載る。『日本外史』は頼山陽(らいさんよう)が漢文で著し、天保年間(1830~1843)に出版された。源平の合戦から徳川氏の武家政権までの歴史書で、幕末から明治にかけて広く読まれた。同書は数多く出版され、少年國芳がどの刊本を読んだかは分からない。
西郷について語る人は、小原の父をはじめ小原の周囲に大勢いたと思われる。『日本外史』を通して世の栄枯盛衰を知り、西郷の生涯や士族の没落を感じただろう。明治維新という政権交代による新しい歴史がつくられる中で、多感な少年時代を過ごしたと想像する。
そのためだろうか、歴史学習については棒暗記や年代の暗記を諫(いさ)め「偏狹な國家主義や安價な道德鼓吹(こすい)にならぬやうに」と警鐘している。さらに「政治史、戰爭史、偉人史、中央集權史」だけではなく「文化史、民衆史、地方史」もとりあげ「世界の共同舞臺に立つて文化建設の爲に共に働き人類の幸福に資する」(『母のための敎育學』)ことが歴史教育の大目的だと述べている。
『母のための敎育學』初版は大正デモクラシー期の1925年で、約百年前の著作になる。民衆史や地方史が学問として登場するのは戦後のことだ。戦前、こうした指摘を小原がしたのは大学で哲学に深く取り組んだからだろう。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2020年11月号(No.854)より

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