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故きを温ねて 84

運命は内からも働く。自己の運命の開拓者であってくれ

夏期スクーリングでの理科実験風景。1951(昭和26)年7月
通大開設当時の教科書『一 般教養心理学』『児童心理学』。教育博物館所蔵

太平洋戦争終結の翌年3月、米国教育使節団が玉川学園を訪問した。学内の視察後、小原國芳と忌憚のない意見が交わされた。その後の使節団報告書に「all honor to these pioneers!(これらの先導者に栄誉あれ)」と書かれ、これは君のことだと知らされた。
戦後の教育改革で、小学校教員養成は一般大学でも行うことができるようになり、新制玉川大学文学部教育学科、通信教育部はいち早く認可を受けた。先導者、パイオニアの名に恥じない行動力であった。通信教育(通大)による教員免許状の取得は日本で初めてのことで、前例がなく大変な困難が伴った。それはレポート提出やスクーリングに参加する学生たちも同様であった。
「いろいろ、苦悶もあろう。生活の苦しみ……思わぬ天災、語学のつらさ……だが、一切を達観して不平を克服してくれ。運命は内からも働く。自己の運命の開拓者であってくれ」(『玉川通信』1957年1月)と、小原は学生たちを激励した。自らも苦学した経験があったからこそ湧き出る言葉だった。
コロナ禍はいつまで続くのかわからない。勉学を継続することの困難さは学ぶすべてに同等だ。初期の通大を担った三井浩教授は「スクーリングの時は自分の持っている全時間、全力をこれに注いだ ……教授、学科長、受付、庶務、小使い、何でも余念なくやった」(『玉川学園五十年史』)と述べている。今こそ各自ができる精一杯の取り組みをし、試行錯誤しつつ新しい学びを開拓する時なのだろう。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2020年12月号(No.855)より

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