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故きを温ねて 87

小原國芳氏の一生の事業を援助

1923年頃、牛込区(当時)に創設したイデア書院の2階にて。前列左から2人目が小原國芳、中央が信夫人。
「イデアidea といふのはギリシア語で、理想といふことです」と創刊号に載る
月刊誌『イデア』創刊号表紙、1923年1月31日発行。玉川大学教育学術情報図書館所蔵

1919(大正8)年11月、小原國芳は広島高等師範学校附属小学校理事(教務主任)を辞し、東京の成城小学校主事に着任、時に32歳であった。
附小時代の『学校教育』誌に「学校劇論」を発表し、国内に学校劇ブームを巻き起こした。学校劇は当時の台湾でも盛んに行われた。成城入り後の1921年8月に「全人教育論」を発表し、11月に機関誌『教育問題研究』を創刊。成城小学校長澤柳政太郎が主導する自由主義教育を世に広めた。こうした出版による広報の成功体験を得たことからから1923年1月末にイデア書院を創設した。
イデア書院については「小原國芳氏の一生の事業を援助する爲……敎育、哲學、藝術、宗敎等に関するものを出版」(『イデア』Ⅰ)などと述べている。そして小B6版30頁前後のコンパクトな月刊誌『イデア』を創刊する。以後『ペスタロッチー全集』全4巻などの学術書も意欲的に発行した。経営の中心になったのは小原國芳夫人である信の弟妹たちであった。後に小原は「私学に身を投じた当初から『出版』と『機関誌』は私学経営に不可欠と考え、実践してきました」(『教育一路』)と述べている。玉川学園創立後は玉川学園出版部を設立。出版事業を学生たちの労作教育の大きな柱にするため「學園の出版部にイデア書院も合體(がったい)」(『學園日記』第四號)した。
戦後、玉川大学出版部となり現在に続いている。イデア書院に始まる出版の初志は教育図書出版の玉川として、現在も脈々と受け継がれている。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2021年3月号(No.858)より

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