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故きを温ねて 89

全人教育の原点

『幼き日』の表紙。小原國芳が自ら描いたふるさと久志の風景。1930(昭和5)年の初版本のときからカラー版であった
1969年初版時の『全人教育論』表紙

今年は小原國芳が「全人教育」を創唱し100年を迎える。その主張は依然として色あせない。色あせないどころか、今日の教育事情をみると「全人教育」はますます必要とされているように思う。教育の問題は常に古くても新しい。「全人教育」は国語や算数といった教科教育、幼児教育から社会人教育にも通用し、男女の別も問わない。
その思想のもとをたどると、生まれ故郷である薩摩半島南西端、久志での生活の影響が大きいと思われる。日々母の仕事を手伝い、教科書を写し製本するなど、毎日の生活が労作教育の場であった。小原の自伝『幼き日』『少年の頃』には玉川教育12信条につながる思い出が多々読み取れる。「自學・自習・勞作・實習などを高唱」したのは少年時代の体験からであったと語っている。とりわけ郷中(ごじゆう) 教育といわれる健児の社での鍛錬は、実(じつ) をとるものであった。
著書『全人教育論』では「宗教と教育」を冒頭にあげた。少年時代に余りにも早すぎた父母との別れがあった。加えて広島高等師範学校時代の親友が、京都帝国大学在学中の小原が私生活に悩み「夜半悶々遣瀬(やるせ)無(な)く、われ知らず下宿を飛出して比叡山頂に泣き明かした」
(上田八一郎『漫思凡考』)と述べている。そうした苦悩を救済したのがキリスト教の信仰であった。そのため自己形成上においての宗教を重視したのだろう。
「全人教育論」は机上の空論ではなく自らの体験をもとにしていた。だからこそいつの世にも通用する普遍性を持つのだろう。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2021年5月号(No.860)より

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