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故きを温ねて 93

植林とは山に木を植えるほか心へ木を植える

1929年の玉川学園開校当時の駅前通り(現在の北口付近)から学内を望む
大学教育棟2014横から眺められる町田市街

1929(昭和4)年の玉川学園開校頃の写真を見ると、学内の木々は今ほど豊かではない。開校翌年発行の『玉川塾の敎育』で、小原國芳は「學園内にだけでも、まだまだ植林する餘地は澤山」などと述べている。小原による植林は成城学園開校時もおこなわれ、教え子で作家の大岡昇平は「現在の校門前の銀杏と大島桜は同時の植樹」(『成城だより』)などと回想している。小原は成城と玉川の住宅地住民に生け垣を勧め、学生たちは町の植樹をおこなった。それは今、両学園と2つの街のレガシーになっている。
第二次大戦中、学内の森は荒廃した。戦後、小原は「植林とは山に木を植えるほか心へ木を植える」(『全人』22號)などと話し、農学部教員の計画をもとに各部労作、卒業記念、入学記念として学内各所での植林を進めた。
近年では草創期の桜木などは寿命で空洞ができ、大型台風襲来時の倒壊が危惧されるようになってきた。そのため線路沿いの木々などの間伐作業をおこなっている。同時に、学友会和歌山支部から寄贈された野生の新品種「クマノザクラ」の苗木を育てている。災害防止対策を進めるとともに、玉川の森を豊かにする創立者の初志は今も引き継がれている。
間伐作業の結果、聖山側の道路から線路向こうの大グラウンドでの野球部練習風景が見え、大学教育棟2014横から町田市街を遠望できるようになった。玉川の丘という言葉がここほどよくわかる場所はない。学内の空が高く広くなったように思われた。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2021年10月号(No.864)より

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