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故きを温ねて 97

敎育硏究所の誕生

第4回労作教育研究会(1932年6月)。礼拝堂階段にて話をする小原國芳の後ろ姿
1932年6月『労作教育研究会講習要項』冊子。京都帝国大学教授西田幾多郎の名が特別講師として載る。教育博物館所蔵

玉川学園が開校した1929(昭和4)年の8月、『學園日記』(第二號)に「敎育硏究所の誕生」という記事が載る。「敎育原論はもとより、各科問題、制度や經營、設備や社會敎育、數へきれないほどの重要問題が未解決」であると訴えている。署名記事ではないが、小原國芳のものと思われる。
創立時、児童生徒塾生教職員129人の小さな学校は、日本の教育の抱える様々な問題に取り組もうとしていた。そのために教育書籍や古い教科書・教具の収集、教育諸問題の研究成果の刊行、教育相談などを行うと述べている。
開校4カ月後に労作教育研究会を行い、ハンネス・シュナイダー来日時にスキー講習会、ニルス・ブック来日後にデンマーク体操講習会を開催。研究会には徳富蘇峰や北原白秋らを招き、教員の再教育を目指した。国内はもとより台湾などからも教員たちが参加した。
太平洋戦争末期の1944年、教育研究所は教育書だけでも4、5万冊が集められ、明治維新前から明治時代の稀少本も入手した。このような成果があげられたのは、「職員全部は硏究員として愈々(いよいよ)大馬力」(『全人』戦中最終号)であるからと小原は言う。小原が唱えた「全人教育」「理想の学校」を目指し、教職員と学生生徒も含めたワンチームで取り組んでいたからだろう。
1979年、既設の教育研究所(後の全人教育研究所)、体育研究所、ミツバチ科学研究所を擁し、現在の大学研究所体制のもとになる玉川学園学術研究所が設置された。

(文=白柳弘幸 教育博物館)
『全人』2022年2月号(No.868)より

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