玉川豆知識 No.108

塾対抗駅伝大会、コースは玉川学園と経堂の往復

1936(昭和11)年に塾対抗駅伝大会が初めて開催されました。コースは、玉川学園から鶴川を経由して経堂までの往復。現在の道路交通事情では考えられないコースでした。

1.玉川学園の塾

玉川学園創設にあたって、塾教育は大きな目的の一つでした。1948(昭和23)年発行の『玉川塾の教育』で、創立者小原國芳は次のように述べています。

私は、何だか、教育というものは八時以前と三時以後にホンモノがあるような気がします。
   (略)
塾教育は実に、心から心への教育即ち人格から人格への教育です。言い換ると、之は内面からの教育です。かかる教育を受けたものの社会は互に理解を深くし、同情を厚くすることが容易だと思います。故に塾教育こそホントの社会改造の道だとも首肯されます。

1929(昭和4)年4月8日の玉川学園開校式の翌日から塾生活が開始されました。先生方と塾生は、日の出とともに起床し、聖山に集まって、祈り、体操し、讃美歌を歌いました。1932(昭和7)年頃になると、教員宅にそれぞれ分かれて生活していた塾生は、全員が男子塾、女子塾というように一つの建物に集まり生活を共にするようになりました。

1937(昭和12)年頃の塾舎は、東の丘に東山塾、明倫塾、清風塾の3つの男子塾、西の丘に青雲塾、松芳塾、朔風塾、芳山塾、梁山塾の5つの男子塾と龍胆塾という女子塾の合計9つありました。その塾舎は塾生の人数が増加するのに伴い変化していきました。

2.塾対抗駅伝大会の開催

1935(昭和10)年1月2日、塾生たちは夜中に玉川学園から江ノ島、そして鎌倉まで歩きました。翌年の4月、今度は歩くのではなく走るという、塾対抗駅伝大会が開催されました。コースはなんと玉川学園のキャンパスから鶴川を経由して経堂までの往復でした。現在の道路交通事情では考えられないコースでした。

1938(昭和13)年5月15日に行われた塾対抗駅伝競走のコースは、玉川学園のキャンパスから登戸までの往復でした。1940(昭和15)年は駅伝大会を2回、開催しました。1月26日のコースは玉川学園のキャンパスから向ヶ丘遊園までの往復、7月19日のコースは玉川学園のキャンパスから登戸までの往復でした。

1940(昭和15)年7月19日の駅伝大会について、『全人』(玉川学園出版部発行)の昭和15年9月号に、女子高等部の友野雄子さんが書いた次のような記事が掲載されています。

七月一九日。今日は朝から塾対抗の駅伝競走があるので、私たちは西生田まで応援に行った。コースは、学園 ↔ 登戸間だ。
駅の前に出ていると、一番は梁山塾、二番は明倫塾、次々と走って行く。この暑い中を走っているのかと思うと何とも言えない気持ちになった。それを見送ってすぐ電車に乗って玉川に着いた。しばらくしてから梁山塾が一番、つづいて明倫、若葉、清風と入ってきた。最後は先生のチーム、美術の牧田先生が裸ん坊に油汗を流して走って来た。

参考

  • 体育祭ではマラソンを実施
    第30回体育祭マラソン

    体育祭では、1929(昭和4)年の第1回からマラソンが行われていました。マラソン開始当時は、玉川学園~南大谷~町田第1小学校~町田高校~玉川学園というコースでした。その後コースは多少変わりましたが、1975(昭和50)年頃まで学外に出るコースで行われていました。やがて学外の道路交通事情により、学内を周回するコースへと変更。そして、体育祭でのマラソンは、2007(平成19)年の第79回を最後に終了となりました。

    第43回体育祭マラソン
    第59回体育祭マラソン(女子)
  • 中学部駅伝大会

    中学部でもかつて駅伝大会が行われていました。駅伝大会が開始されたのは1956(昭和31)年。男女別クラス対抗の形式で開催。玉川学園から登戸までの間をコースとして、学年差なしの距離で行われました。しかし、交通量が増えたことから、1959(昭和34)年からは学内のコースに変更して開催されました。

参考文献

  • 塾編集委員会編『玉川学園 塾の歩み五十五年』 玉川大学・玉川学園女子短期大学塾 1985年
  • 小原國芳著『玉川塾の教育』 玉川大学出版部 1948年
  • 小原國芳監修『全人』昭和15年9月号 玉川学園出版部 1940年
  • 体育祭の歴史編集委員会編『玉川学園・玉川大学 体育祭の歴史』 玉川学園・玉川大学体育・スポーツセンター 2009年