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玉川豆知識 No.113

玉川学園とバチカン、そしてローマ教皇

2019(令和元)年11月23日、ローマ教皇が来日。ローマ教皇の来日は38年ぶり2度目とのことですが、その以前、今から50年前に本学の学生・生徒・教職員が、バチカンにおいてローマ教皇に謁見しています。本学とバチカンとの関係はほかにもあります。大学教育棟 2014にある「聖体の論議」と高学年校舎のアトリウムに設置されている「アテナイの学堂」は、バチカン宮殿の署名の間に対面して描かれている壁画を陶板にしたものです。

1.玉川大学演劇舞踊団のヨーロッパ公演旅行

1968(昭和43)年4月20日から6月21日までの約60日間にわたって、玉川大学演劇舞踊団(大学生21名、中学部生1名、教職員7名)は、第2回国際青年演劇祭への出演をきっかけに、アラスカ、デンマーク、ドイツ、スイス、イギリスで23回の公演。舞台公演の披露はもちろんのこと、学生交歓やヨーロッパ文化に触れることも目的であり、公演後イタリア、ギリシャの見学旅行も日程に組み込まれました。

玉川大学演劇舞踊団がヨーロッパ公演に出発

第2回国際青年演劇祭への出演にあたっては、ベルリンの国際青年演劇祭(略称インタードラマ’68)当局から正式な招待状が送られてきて、国内では外務省、国際文化振興会等の賛同のもと、駐日ドイツ大使館、ローマ法王庁大使館(現在の教皇庁大使館)等の積極的な支援を受けました。

2.ローマ教皇謁見

無事にすべての公演を終えた玉川大学演劇舞踊団はイタリア、ギリシャへ見学旅行。イタリアではパリに行けなかったかわりにローマで5泊できることになりました。そして、その間に急遽、ローマ教皇謁見が実現。ローマ教皇パウロ六世に謁見できるようになった理由が、「全人」第228号の「玉川大学演劇舞踊団報告」にある「ローマ教皇謁見」(文学部芸術学科の西岡徳美)に次のように記述されています。

六月十五日、突如ナポリ行きが中止となり、教皇謁見がきまった。
昨年、僕達が上演した「受難の聖史劇」をごらんになった駐日ヴァチカン公使の特別な計らいで、それが実現する事になったのだ。

ローマ教皇パウロ六世謁見の実現にあたっては、バチカン公使の特別の計らいがあったわけですが、実は、小原國芳学長が自らバチカン公使館までローマ教皇謁見の実現に向けた交渉に出かけていたのでした。

ローマ教皇と玉川大学演劇舞踊団員

6月15日、ローマ教皇謁見は、次のように行われました。謁見室に招かれた玉川大学演劇舞踊団一行は、ローマ教皇を「カンタテ・ドミノ」を歌いながらお迎え。真っ白な衣に身を包まれた教皇は歌が終ると席に着かれてお話を始められました。そのことが、同じく『全人』第228号の「ローマ教皇謁見」に次のように記されています。

「今の歌はすばらしい。どうもありがとう」。みんなホッとなごんだ気持になる。
「どこでラテン語を習ったのですか」と、なおも歌に関心のある御様子。
「学校で習いました」とお答えすると、ニコッと微笑まれて「若い世代のあなた方が来てくれて、今日は特にうれしい。二カ月間のヨーロッパ公演を成功のうちに終えられ、最後にここへ来てくださって私はたいへん喜んでいます」
ただ単なる儀礼的な謁見ではなく、教皇は私たちのことをよく知っていてくださるのだ。教皇はなおも語られる。
「私はつねづね日本の芸術文化には特別の尊敬を持っています。その芸術を学びつつあるあなた方は、同時に神に仕える道を歩む人であってほしい」
慈父が子に話すような、あたたかく、ゆっくりとした語調だ。

その後、教皇は玉川大学演劇舞踊団のメンバー一人ひとりをご自身の前に招かれて、記念のメダルを渡され、握手をしてくださいました。さらに、もう一曲歌をという教皇のご希望に応えて、玉川の校歌を合唱。歌が終ると教皇を囲んで記念写真を撮って、教皇謁見が終了しました。

ローマ教皇と握手を交わす学生たち

6月20日付のローマのロセルヴァトーレ・ロマーノ紙に「教皇より日本の大学の教授と学生へのメッセージ」というタイトルの次のような記事が掲載されました。

私は心から玉川大学ヨーロッパ派遣演劇舞踊団の皆さまを歓迎いたします。各地での公演を通して皆さまは日本の文化をヨーロッパの若人に紹介するとともに、ヨーロッパの歴史や習慣について学ぶ機会を持ち、国際的理解と友情を深めようとなさっていました。私はあなた方がこの特記すべき活動で、芸術的にも道徳的にも大成功を収めたことを喜んでおります。そして皆さまが今後学問において進歩をとげると同時に、幸福な人生を送るように願うものであります。
玉川大学の教授と学生の一人一人にそして皆さまの家族や日本にいられる友人、知人の上に神のお恵みがありますように。

3.「聖体の論議」と「アテナイの学堂」(アテネの学校)の壁画の陶板

バチカン宮殿の署名の間には対面して描かれている壁画があります。「聖体の論議」と「アテナイの学堂」です。その両方の壁画の陶板が本学にあります。「聖体の論議」は大学教育棟 2014の4階の玄関を入ったところに、「アテナイの学堂」は高学年校舎のアトリウムにそれぞれ設置されています。

大学教育棟 2014の「聖体の論議」
高学年校舎のアトリウムの「アテナイの学堂」

「聖体の論議」は神によってもたらされた心の「真」を描いた作品です。また、「アテナイの学堂」は学問を通し真理を追究する古代の哲学者・科学者・芸術家など古今東西の知識人が集う学堂を描いたもので、全人教育の目指す価値の一つ「真」を示しています。宗教は学問と対立するものではなくその延長線上にあると言われていますが、この2つの壁画を見比べることで「真理」への理解がより深まるという思いから、本学ではこの2つの壁画を陶板絵画として設置しているのです。

大学教育棟 2014の「聖体の論議」
高学年校舎のアトリウムの「アテナイの学堂」

また、ELF Study Hall 2015のTAMAGO Lounge(以前の文学部第3校舎読書室)に「アテナイの学堂」のレリーフが飾られています。文学部芸術学科の学生と教員が3年の歳月をかけて完成させたもので、幅6.3m、高さ4.25mもある超大作となっています。

TAMAGO Loungeの「アテナイの学堂」
TAMAGO Loungeの「アテナイの学堂」

参考:バチカンについて

バチカンとはバチカン市国と、ローマ教皇庁によって統治されるカトリック教会と東方典礼カトリック教会の中心地、いわばカトリックの総本山の総称。1929(昭和4)年、玉川学園が開校した同じ年にバチカン市国として独立しましたが、国土面積は約0.44km2と世界最小。東京ディズニーランド (約0.52km2)よりも小さいことになります。この狭い国土の中にサン・ピエトロ大聖堂、バチカン宮殿、バチカン美術館、サン・ピエトロ広場および寺院などがあります。

参考文献

  • 岡田陽編『ヨーロッパ公演旅行記』 玉川大学出版部 1968年
  • 小原國芳監修『全人教育』 玉川大学出版部 1968年
    第225号、第226号、第227号、第228号
  • 西岡徳美「ローマ教皇謁見」(『全人』第228号 玉川大学出版部 1968年 に所収)
  • 玉川学園・玉川大学の教育活動 玉川学園 2005年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年

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