玉川豆知識 No.118

ウィーン青少年音楽祭で総合優勝、さらにそれに匹敵する大きな収穫とは?

1984(昭和59)年7月、玉川学園高等部吹奏楽部は「ウィーン青少年音楽祭」に日本代表として参加。総合優勝の意味を持つウィーン大賞を受賞。あわせて学校の部で第一位となり、ORF(オーストリア国営放送)特別賞も獲得。さらに生徒たちはこの演奏旅行で、優勝に匹敵するぐらいの大きな収穫を得たのでした。

1.玉川学園高等部吹奏楽部がウィーン青少年音楽祭に日本代表として参加

玉川学園高等部吹奏楽部一行50名は、7月7日からオーストリアのウィーンで開かれる「ウィーン青少年音楽祭」に日本代表として参加するために、引率の教職員6名とともに、7月5日に成田を出発しました。約17時間という長旅でありましたが、生徒たちは疲れをみせず無事にウィーンに到着。宿舎はウィーン音楽大学の学生寮。この学生寮は、ウィーン市のほぼ中心部に位置し、元は尼僧院でした。

本学吹奏楽部がウィーン市街をパレード

本学吹奏楽部は、翌日の午前、オープニングセレモニーのリハーサルに参加。参加27団体がシェーンブルク宮殿の前庭に集合。リハーサルのため、服装も演奏もいいかげんな団体が多く見られましたが、本学吹奏楽部の生徒たちはきちんとユニフォームに着替えて、本番のつもりで演奏しました。ちょっとしたハプニングもありました。自動車の故障で楽器の到着が遅れ、届いたのがリハーサル直前。また、急な雨でリハーサルが途中で中止に。

それでも午後4時、オープニングセレモニーは予定通り開催されました。シェーンブルク宮殿の前庭には、ユニフォームに身を固めた参加団体の1,200名が集合。各参加団体の紹介も含めて、正門から宮殿前までの約200メートルを順番に行進しました。本学吹奏楽部は6番目。プラカードを先頭に団旗、国旗、オーストリア旗、大会旗、玉川学園旗が続き、その後を生徒たちが行進。そして、全参加団体が、オーストリア国歌をはじめ課題曲、「ラデッキー行進曲」など数曲を合同で演奏。その後正門まで退場パレードを行いオープニングセレモニーが終了となりました。

オープニングセレモニーでのパレード

その夜はウィーン市長の招待による晩餐会と市が主催のダンスパーティーが開催され、本学吹奏楽部一行は二手に分かれて参加。生徒たちはダンスパーティーへ。ダンスパーティー会場のソフィエンザールには参加団体の生徒たちが集っていました。バンドの演奏にあわせて、他国の生徒たちは楽しく踊っていましたが、玉川の生徒たちは気おくれしてその輪に入れません。しかし、やがて時間が経つに連れて踊りの輪にも加わり、他国の生徒たちとの交流を深めていきました。

本学吹奏楽部は、ウィーン青少年音楽祭の事務局からの依頼を受け入れて、ウィーン滞在中に市内およびその近郊で何度か単独演奏会を行いました。最初に訪れたのは、ウィーンから車で約1時間半の距離で、ハンガリーとの国境の近くに位置するルッツマンスブルクという小さな村。本学吹奏楽部が100mぐらいの村のメイン通りをパレードしただけで、彼らの到着が村中に知れ渡りました。村の人口の半分ぐらいの約300名が演奏会場である集会場に参集。集会場は倉庫のような質素なところでしたが、村の人たちが熱心に聴いてくださって、また本学吹奏楽部の何人かが民族衣装を着るなどして、楽しく、そして気持ちよく生徒たちは演奏をしていました。

ルッツマンスブルクでの演奏会

次の日はウィーン近郊のバーデンという町を訪問。古い城を利用して建てたホテルの庭での演奏会でした。

バーデンでの演奏会
バーデンでの演奏会

2.コンテストに出場

コンテストはコングレスハウスで開催されました。本学吹奏楽部の出番は、最終日の4番目。会場は演奏スペースと審査員席でほぼ占められ、客席は1階後方にわずかと2階のみでした。課題曲は「デューク・オブ・ケンブリッジ」と「キング・コットン」。自由曲は「祝典序曲」と「バッカナール」。課題曲2曲と「祝典序曲」は順調に演奏が終了。いよいよ最後の曲「バッカナール」の演奏。出発前の演奏会でこの曲をうまく演奏できなかったこともあり、生徒たちの緊張は最高潮に。しかし、全員が練習の時とは別人のように、素晴らしい演奏を披露。生徒たちは充実感、満足感で目を真っ赤にしていました。

コンテストはコングレスハウスで開催

昼食後、休む間もなくスタジオに移動してORF(オーストリア国営放送)の公開録音。事前のテープ審査で選ばれた8団体が参加。この日は、ハワイの団体と本学吹奏楽部の出演日。コンテストに続いて2回目の演奏のため疲れが心配されましたが、ここでも生徒たちは快調な演奏を披露。

3.マチネーコンサート

宿舎に戻ると、マチネーコンサートへの出場を知らせる電報が届いていました。マチネーコンサートは上位の団体が出場する演奏会。その演奏会に出演するため、次の日、本学吹奏楽部はウィーンから約3時間かかるレオンフェルデンへ移動。ソフィエンザールが会場。先日のダンスパーティーと同じ会場で、当日は演奏会場に大変身。学校4団体、一般3団体が出演。本学吹奏楽部は最後に演奏することに。最後に演奏する団体は、審査員の指揮で2曲演奏すると突然の知らせ。その2曲は、審査委員長のノースロップ氏の指揮での「キング・コットン」と、イギリスの審査員エバンス大佐の指揮による「ラデッキー行進曲」。そのため、指揮をする二人の審査員も加わっての練習を実施。

ウィーン青少年音楽祭の表彰式の前に行われたマチネーコンサート

いよいよ本学吹奏楽部の出番。宮沢在オーストリア日本大使夫人と諏訪文化担当官夫妻が臨席の中での演奏。息詰まる雰囲気の中、生徒たちは素晴らしい演奏を披露。無事に演奏を終えた生徒たちは休む暇もなくそのままステージ上に残り、表彰式に参加。まずはORFの公開録音に出演した8団体の表彰。そしてORF特別賞の発表。なんと本学吹奏楽部の名前が呼ばれました。つづいて学校の部、一般の部のそれぞれの順位発表。本学吹奏楽部は学校の部で第一位に。さらに最後に発表された総合優勝を意味するウィーン大賞も本学吹奏楽部が獲得。大歓声の中、何の賞も獲得できなかった団体も立ち上がっての祝福に、生徒たちは感激の涙を流していました。

左からORF特別賞、総合優勝のウィーン大賞、ウィーン青少年音楽祭優勝の各トロフィー

4.音楽を通して気持ちが通じ合う

表彰終了後、本学吹奏楽部は総合優勝の感動の余韻が残る中、再び「キング・コットン」と「ラデッキー行進曲」を演奏。つづいて大会委員長が「言葉は通じあえてもなかなか気持ちは通じ得ないが、みなさんは音楽を通して見事に気持ちが通じ合えた」と総評。記念撮影後、玉川学園校歌を合唱。素晴らしい歌声が会場いっぱいに響きわたりました。

宿舎に戻ると事務長のビスター氏が次のようなエピソードを語ってくれました。「昨年、この宿舎に日本の団体と一緒にイギリスの団体が宿泊していたんだ。イギリスの団体は日本に負けないようにと一生懸命に練習したそうだが結果は思うようにならず、失意のまま先に宿舎へもどって来たよ。でも彼らは入口に整列し、帰って来た日本の団体を拍手で出迎えたんだ」と。

午後4時、ステファン教会前広場までの約1キロを歩くクロージングパレードが行われました。本学吹奏楽部は12番目にスタート。そしてパレードを終えて広場に集まった参加団体は、最後に一緒に演奏。そして音楽祭の幕を閉じました。

ウィーン青少年音楽祭が終わり、本学吹奏楽部はウィーンを後にしてハンガリーの首都ブダペストに移動。再びウィーンに戻った後は、インスブルックへ移動。インスブルック市主催の日本週間の最初の演奏者に本学吹奏楽部が選ばれ、市の中心のマリアテレジア通りにある記念塔の前まで約200メートルの距離をパトカー先導でパレード。そして記念塔の前で演奏を行いました。夜は市民ホールにて演奏会。

5.思わぬアクシデントを乗り越えて

湖上オペラが人気で、ザルツブルクと同様に音楽祭で有名なブレゲンツが本学吹奏楽部の最後の演奏場所となりました。ところが思わぬアクシデントが起こりました。連絡のミスで午後7時開演予定のはずが午後5時開演に変更。その変更の知らせを本学教員たちが聞いたのが、生徒たちを午後4時まで自由行動に出した後。時間変更の交渉を行うが、開演時間は変えられないとの回答。生徒たちが自由行動から戻ってくる午後4時から開演までの1時間の間に、楽器を運搬し設置するとともに、着替えもして、チューニングを行うことは難しい。良い演奏には充分な準備が必要。教員たちは中止という決断も含めて生徒たちに相談。すると生徒たちは、演奏できるように何とかしようと。生徒一人ひとりに相当の決意がみえ、教員たちは、「この瞬間、音楽はできあがった」と思ったそうです。実際、1時間という限られた時間で諸々の準備を完了させた生徒たちの意気込みはコンテスト以上で、短時間の準備でも素晴らしい演奏を披露しました。生徒たちにとっては貴重な体験となり、この演奏旅行での大きな収穫の一つとなったことでしょう。

6.優勝に匹敵する大きな収穫

演奏終了後に、本学吹奏楽部の演奏に感動した年輩の婦人が、年金生活であまりお金をもっていないけれど、素晴らしい演奏を聞かせてくれたお礼がしたいと申し出て来られました。そして、四角にたたんだ100シリング紙幣を指揮者である木村先生に渡されました。金額にすればわずかの額ですがこの気持ちは何万円にも価すると感激された木村先生は、指揮棒にサインをしてその婦人にプレゼント。夫人は「一生の宝にします」と大感激。

遠来の友をあたたかく迎え盛大に祝福してくれた他国の参加者たちとの交流、アクシデントを乗り越えるために発揮した決意と行動力そしてチームワーク、より良い音楽を演奏する喜びなど、生徒たちは優勝に匹敵する大きな収穫を得ることができました。

参考文献

  • 小原哲郎監修『全人教育』第435号 玉川大学出版部 1984年