玉川豆知識 No.120

憂鬱(ゆううつ)な時代を捨てて寺子屋の再興

1929(昭和4)年、小原國芳が理想とした「労作教育の使命を果たすこと」「徹底した真人間の教育を行うこと」を重んじた教育を行う「夢の学校」が誕生。「憂鬱(ゆううつ)な時代を捨てて寺子屋の再興――現代教育に反旗を翻(ひるがえ)す勤労を掟(おきて)の玉川学園」と新聞に掲載されました。

調和のとれた人間形成を目指す学校を、自らの手で、一からつくりたい――小原國芳が「夢の学校」建設に着手したのは42歳のとき。それまでは、成城教育の充実、発展、完成、延長に取り組んでいましたが、当時の成城学園が第一義としていたのは、帝国大学への入学を前提とした予備教育、すなわち受験教育でした。対して、小原國芳が理想としたのは、「労作教育の使命を果たすこと」「徹底した真人間の教育を行うこと」を重んじた教育。結果的には、彼が思い描いた「夢の学校」は成城学園から独立し、1929(昭和4)年、玉川学園として産声を上げることとなりました。

小原國芳が思い描いた「夢の学校」とはどのようなものであったのでしょうか。それは要約すれば、全人的な人格を育む、私塾のような場所。「マコトの教育」とは、すなわち、画一教育、詰め込み型の受験教育ではなく、宗教・芸術・道徳・哲学・労作教育を柱にし、調和のとれた「全人」を目指す教育でした。

玉川学園の誕生について、「憂鬱(ゆううつ)な時代を捨てて寺子屋の再興――現代教育に反旗を翻(ひるがえ)す勤労を掟(おきて)の玉川学園」と題して東京日日新聞(現在の毎日新聞東京本社発行による毎日新聞の前身)が掲載。その記事の反響により、20社近くの新聞社や雑誌を発行する出版社などが取材に訪れ、玉川学園の誕生の記事を掲載。次のようなセンセーショナルな見出しが紙面に並びました。

  • 「自然のふところで寺子屋式の玉川学園、先生と塾生が起居を共に労作に汗を流して」
  • 「松風淋しい山中に風変わりな学校 教育界の異端児が創立」
  • 「貧しい家の子をも大学まで進ませる 親達に見せたい健気(けなげ)な学風 勤労と研学の玉川学園」
 

1929(昭和4)年の創立当時は教職員18人と生徒111人。合わせても、わずか129人という小さな学校でした。創成期には教職員と生徒が寝食をともにし、一日の授業を終えると労作に明け暮れました。やぶを開墾して畑をつくり、薪を割り、道路を整備し、運動場を建設。教師と生徒が一丸となって、「夢の学校」を自らの手でつくり上げていきました。

玉川学園創設にあたって、塾教育が大きな目的の一つでした。1948(昭和23)年発行の『玉川塾の教育』で、小原國芳は次のように述べています。

「私は、何だか、教育というものは八時以前と三時以後にホンモノがあるような気がします。・・・(略)・・・塾教育は実に、心から心への教育即ち人格から人格への教育です。言い換ると、之は内面からの教育です。かかる教育を受けたものの社会は互に理解を深くし、同情を厚くすることが容易だと思います。故に塾教育こそホントの社会改造の道だとも首肯されます。」

小原國芳は全国各地を教育行脚し、「教育立国」の夢を伝え、「全人教育」の理想を語りました。その後「夢の学校」は拡大を続け、幼稚園から大学・大学院までを擁する総合学園へと発展を遂げました。

参考文献

  • 小原國芳著『教育一路』 玉川大学出版部 1980年
  • 小原國芳著『玉川塾の教育』 玉川大学出版部 1948年
  • 南日本新聞社編『教育とわが生涯 小原國芳』 玉川大学出版部 1977年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年