玉川豆知識 No.124

中南米現地日本語教師の受け入れ等により国際協力事業団(JICA)から表彰

本学は中南米の現地日本語教師の受入機関として、教師の研修をはじめ日本語の専門家派遣、ならびに中南米向けの日本語教材開発などを行ってきました。その国際協力における貢献により、外務省所管の国際協力事業団(JICA)から表彰されました。

1989(平成元)年8月2日、学校法人玉川学園は、外務省所管の国際協力事業団(JICA)より、国際協力功労による表彰を受けました。受賞趣意書に記載されている受賞理由は次のとおりです。

昭和54年以来、北・中南米の現地日本語教師の受入機関として、教師の研修だけでなく日本語の専門家派遣、並びに北・中南米向けの日本語教材開発に貢献してこられた。また、帰国研修生に対し、通信誌『PUENTE』の発行、日本語学習用教材を寄贈し、アフターケアに尽力されている。

このような本学の活動が始まったきっかけについて、『全人教育』No.376に掲載された「日語教育指導調査団報告」に次のような記述があります。

故小原國芳総長は、昭和三十年と三十五年の二回、ブラジル、アルゼンチンなど南米諸国を歴訪し、壮大なる新天地と、それに挑む日系移住者達の活躍にいたく感動され、帰国後折あるごとに海外雄飛の夢を学生達に熱心に説かれた。
以来、玉川っ子達にとって南米とはごく親しい憧憬の地であり、海外移住の夢も決して他人事とは考えぬ気風が自然な習性となった。
それから二十年――昭和五十四年八月、小原哲郎学長の南米に活躍する卒業生達の激励訪問をはじめとして、中南米日語教師研修団十名の受入れ、国際協力事業団より日語教育指導調査団派遣の要請など、故総長の教えがにわかにここに甦える思いのする出来事が相ついだ。
 (略)

本学の具体的な活動例は以下のとおりです。

1.中南米日本語教師本邦研修の受け入れ

玉川大学で日本語教育の再研修を受けるための第1回中南米日本語教師本邦研修は、1979(昭和54)年の6月27日から9月23日までの約3か月間に実施されました。参加者は現地日系子弟のための日本語学校の先生方で、ブラジルから4名、アルゼンチン2名、パラグアイ、ボリビア、ペルー、ドミニカから各1名の合計10名。基礎学習から始まり教育方法についての学習、さらには研修旅行や学校参観もプログラムに含まれていました。

1981(昭和56)年9月11日、第3回現地日本語教師本邦研修に参加の10名の先生方の修了式ならびに送別会

第4回の中南米日本語教師本邦研修は1982(昭和57)年の6月22日から9月16日までの約3か月間実施されました。参加者は現地日系子弟のための日本語学校の先生方で、ブラジルから5名、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、ペルー、ドミニカから各1名の合計10名。平均年齢は44歳。研修は3つの期間に分かれ、第1期は、日本語、現地授業研究、全人教育、音楽、美術、体育、リトミック、視聴覚、習字、児童心理等の研修ならびに玉川学園の幼稚部、小学部、中学部等の見学。第2期は、本学通信教育部のスクーリングへの参加。第3期は、郷土訪問のほか、まとめの研修。

1982(昭和57)年9月16日、約3か月間の研修を終えた中南米現地日本語教師団の三角点(経塚山)での記念植樹

第5回の中南米日本語教師本邦研修は1983(昭和58)年の6月21日から9月16日までの約3か月間実施されました。参加者は現地日系子弟のための日本語学校の先生方で、ブラジルから6名、アルゼンチン、パラグアイ、ペルーから各2名、ボリビア、ドミニカから各1名の合計14名。これまでの4回はすべて10名の参加でしたが、今回は4名の増員。研修は3つの期間に分かれ、第1期は、日本文化研修および特別講義期間。第2期は、本学通信教育部の夏期スクーリングの授業の受講を中心とした教育方法学学習期間。第3期は、国際協力事業団の計画による京都・奈良方面の視察、および郷里訪問、さらにこれまでの研修のまとめといった自主研修期間。

現職日本語教師および日本語教師後継者の本邦研修を受け入れ始めてから11年目の1989(平成元)年の研修では、3か月の短期研修生と、1か年の長期研修生を合わせた30余名に対して、独自のプログラムを提供。主として教育全般、日本文化、日本語および日本語教育についての研修を行いました。さらに、幼稚部から大学までの教育の実際に参加させるなど、総合学園の利を生かした内容も提供しました。

1989(平成元)年までの玉川の丘で学んだ研修生の数は234名に達し、その内訳は次のとおりです。

国名人数国名人数
ブラジル 130 アルゼンチン 25
パラグアイ 22 ペルー 17
ボリビア 13 ドミニカ 7
コロンビア 4 ウルグアイ 3
メキシコ 3 カナダ 10

2.日語教育指導調査

国際協力事業団より、海外移住者の子弟の日語教育に関する実情を調査し、それをもとにして今後の指針を具申するための調査団の派遣を要請された本学は、文学部教育・芸術担当部長の岡田陽、教育学科主任兼国際教育室長であった橋本道、文学部教授で児童言語研究を専門としていた上原輝男の3名を南米に送り出すこととしました。昭和54年10月3日、3名は国際協力事業団の生活環境課長とともに成田空港を出発。一行は、ベネズエラ、ペルー、ボリビア、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、カナダと巡り、日語教師研修会や中南米派遣指導教師合同研修会などに参加するとともに日語教育の実情を視察。そして、1か月間の視察を終えて11月3日に帰国しました。

3.現地への講師派遣

玉川学園では、日本語教育にかかわる現地への短期・長期の講師派遣依頼に極力応じています。例えば、『全人教育』第432号に次のような記載があります。

 (略)
今回、再び国際協力事業団から、日経子弟の日本語教育について、ブラジルへ三か月の短期派遣を依頼された。アルゼンチンへの二年四か月の長期派遣から帰国してから、四年ぶりである。
 (略)
サンパウロ十九時十五分着。いよいよ、三期にわたる行動開始だ。第一期は、すぐサンパウロ市をあとにして、近郊都市のスザノ、モジ地区めぐり。そのあと西へ千二百キロのドラードス、カンポグランデ地区めぐり。第二期は、サンパウロ市に約一か月、日語校めぐりや、各種研究会に出席。第三期は、ブラジル最南端のポルトアレグレに飛び、周辺地区めぐり。終って反転北上し、リオデジャネイロ、ベロオリゾンテ、首都ブラジリアまで飛び、それぞれ日語校めぐりや、研究会に出席。
 (略)

4.「PUENTE(架け橋)」の編集・発行

玉川での研修を終えた人々への情報交換の一助として、国際教育室(現在の国際教育センター)では、海外日本語教師通信誌「PUENTE」の編集・発行を行っていました。同誌は、教育や日本語にかかわる論稿と研修生名簿で構成されており、研修の継続と玉川同窓生の意識を喚起させてくれるものとして、まさに誌名のとおりに、互いの架け橋として、大いに歓迎されていました。

5.教材や資料の開発・寄贈

北・中南米における日本語教育の主たる対象が「子供」であるため、現地ではそのための教材や資料の不足が、深刻な問題となっていました。また、単に語学的指導にとどまることなく、人間形成に寄与するに足る教材類が切望されていました。
その点で『玉川児童百科大辞典』をはじめとし、『楽しく覚える漢字の本』『日本ことわざ物語』『玉川学校劇集』『愛吟集』『例話大全集』(以上、玉川大学出版部刊)などの広範な寄贈は、大変喜ばれました。さらに現地に適した日本語教材書や、副読本の作成への協力が要請されてもいました。

玉川児童百科大辞典

6.研修・参観等の受け入れ

玉川学園では、北・中南米からの留学生や帰国子女の受け入れはもとより、単発の研修依頼や交換留学生の受け入れ、参観等にも積極的に対応しました。例えば、1987年の取組について、『全人教育』第468号の「日本語は文化の懸け橋」に次のように記されています。

 (略)
留学生や帰国子女はもとより、単発の研修依頼、交換会や参観等にも積極的に対応している。今年も、たとえば大学ではパラグアイからの二か年にわたる研修生の受け入れ、高等部交換留学生十二名に対する日本語指導、ブラジルを始めとする日本語教師の三日間前後の研修プログラムが組まれている。
さらに、移住事業や日本語教育にかかわる各種機関からの現地への長期・短期の派遣依頼や、現地側からの要請にも進んで応じている。これまで、学長をはじめとする玉川同人の多くがその招聘に応じ、北・中南米各地の日本語教育の指導に当たってきている。
私も今年一月、一か月にわたって、第一回中南米日本語教師合同研修会に、国際協力事業団からの派遣講師として、参加する機会を与えられた。
 (略)

参考文献

  • 小原哲郎監修『全人教育』 玉川大学出版部
     第370号(1979年)、第399号(1981年)、第411号(1982年)
  • 岡田陽、橋本道、上原輝男「日語教育指導調査団報告」(『全人教育』第376号 玉川大学出版部 1980年 に所収)
  • 正善達三「中南米日本語教師の民族舞踊――通大祭前夜祭――」(『全人教育』第410号 玉川大学出版部 1982年 に所収)
  • 正善達三「エル・プエンテ――祖国との“かけ橋”/第五回中南米日本語教師本邦研修生を迎えて」(『全人教育』第425号 玉川大学出版部 1983年 に所収)
  • 正善達三「日系子弟の日本語教育を考える――ブラジル巡回三カ月――」(『全人教育』第432号 玉川大学出版部 1984年 に所収)
  • 長野正「日本語は文化の懸け橋――日系人のための日本語教育――」(『全人教育』第468号 玉川大学出版部 1987年 に所収)