玉川豆知識 No.127

学校劇『すずらんの鐘』が映画化、玉川の丘を舞台に、生徒たちが多数出演

「玉川学校劇集」の中の岡田陽作『すずらんの鐘』が映画化され、1952(昭和27)年4月に公開されました。監督・脚本は若杉光夫で、本学キャンパスを舞台に、生徒たちが多数出演しています。

1.学校劇『すずらんの鐘』が映画化

公開時のポスター

1952(昭和27)年4月、「玉川学校劇集」の中の岡田陽作『すずらんの鐘』が映画化され、公開されました。監督・脚本は若杉光夫で、この『すずらんの鐘』が監督第一作目。若杉は、1950(昭和25)年には黒澤明監督のもと、助監督として『羅生門』の撮影に加わっています。また、『すずらんの鐘』公開後には、玉川大学で「演劇論」の授業を担当しています。

  • 映画『羅生門』は、三船敏郎が主演し、日本映画として初めてベネチア国際映画祭金獅子賞とアメリカのアカデミー賞名誉賞を受賞した作品。

映画化および本学での上映について、『全人』第37号(昭和27年9月5日発行)の「編集室」の中に次のような記述があります。

八月七日 かねてお知らせ致しましたように、岡田陽先生の玉川学校劇集の中の『すずらんの鐘』が玉川学園の生徒と合唱団の出演で映画化されましたが、この夜スクーリング生や住宅地の方々のために講堂に於いて上映されました。

2.玉川の丘で撮影され、生徒たちが多数出演

『全人』第34号(昭和27年6月5日発行)の小原國芳の「身辺雑記」に次のような記載があります。

岡田君の『すずらんの鐘』が昨年中、日本の学校で一番演ぜられたというので、新教育映画会社の手で撮影することになって、丁度、桜満開の学園の桜並木、池、丘、竹林、杉の森、雑木林、芝生、畑、…を利用して、小、中、高、大学までの、みんなの出演。殊に、美しいコーラスが方々ではいって、とても、いいものが出来ました。

  • 『すずらんの鐘』が昨年中、日本の学校で一番演ぜられたと上述されていますが、女優の吉永小百合もデビュー前の11歳の時に、学芸会での劇『すずらんの鐘』で主役の母ウサギを演じています。
撮影風景:本学の生徒たちが多数出演

【参考】『すずらんの鐘』のストーリー

森の中。色とりどりの花の中にひときわ美しく、大きなすずらんの花が見える。ハトが8羽、歌ったり、踊ったり、楽しくおしゃべりをしたりしている。そこへ母兎がやってくる。嬉しそうな母兎の姿を見たハトたちが「何かいいことがあるんですか」と聞いてみる。母兎は、「今日は私の可愛い坊やたちの誕生日なのですよ」と答える。ハトたちはおめでとうの言葉を連呼するとともに、誕生日プレゼントとして、すずらんの花を折ってきて「すずらんを窓のそばに置いておくと、風が吹くたびにカランカランと、とても美しい音色で鳴りますよ」と母兎に渡す。
ハトたちと別れた母兎は、罠に足を挟まれてしまう。私の力ではどうしようもできない、このままだと死んでしまう。母兎は、ハトたちにもらったすずらんをカランカランと鳴らして助けを待つ。その音色を聞いてやって来たタヌキの先生は生徒たちに、「兎はカチカチ山で私たちの御先祖様の背中に火をつけたりした悪者です。可哀そうだけれど、助けるわけにはいきません」と言って去って行く。次にキツネたち、続いてブタの兄弟、そしてコマドリがやって来るが母兎を助けることはできない。コマドリが3匹の仔兎たちを呼びに行くが、到着したときにはすでに母兎は息を引き取っていた。
そこに現れたのが女神。女神は、「あなた方の目や耳や毛皮をくれたらお母さんを生き返らせてあげましょう」と仔兎たちに難問をぶつける。母思い、兄弟思いの仔兎たちの回答に、女神は「あなたたちの心をためしただけですよ」と言って、母兎を生き返らせてくれる。

関連サイト

参考文献

  • 小原國芳監修『全人』第34号 玉川大学出版部 1952年
  • 小原國芳監修『全人』第37号 玉川大学出版部 1952年
  • 岡田陽・落合聰三郎編『玉川学校劇集 3』 玉川大学出版部 1971年
  • 岡田陽・岡田純子編『演劇と舞踊―玉川教育―』 玉川大学出版部 1964年
  • 岡田陽著「學校劇脚本(高學年用)すゞらんの鐘」(『全人教育』第十八巻二月號 玉川大学出版部 1948年 に所収)