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玉川豆知識 No.129

死すとも教壇を離れず

1977(昭和52)年の夏、91歳の小原國芳はドクターストップを振り切って、点滴を受けながら通大の夏期スクーリングの授業に臨んでいました。そのことが、8月2日付の朝日新聞夕刊に「死すとも教壇を離れず」という見出しで掲載されました。

1977(昭和52)年、この年玉川学園は、玉川学園創立者である小原國芳と夫人の信を相次いで失うこととなりました。6月12日に小原信が逝去。愛する夫人が亡くなられた半年後の12月13日に小原國芳が逝去されました。

國芳が亡くなる4か月前の8月、当時玉川学園総長であった91歳の國芳は、猛暑の中、ドクターストップを振り切って点滴を受けながら、通大(通信教育部)の夏期スクーリングの授業に臨んでいました。担当する科目は『教育哲学』と『教育原理』。90分の講義を一日に1回もしくは2回行っています。場所は大体育館。受講生は約800名。その講義の様子が、同年8月2日付の朝日新聞夕刊に「死すとも教壇を離れず」という見出しで掲載されました。そのことが、『全人』第697号の「故(ふる)きを温(たず)ねて(63)」に次のように記されています。

昭和五十二年八月二日付『朝日新聞』夕刊に、上記の文(「死すとも教壇を離れず」)と「点滴受け集中講義」「玉川大学小原総長」の一文が大見出しで掲載された。
「『私はタタミの上では死にたくない。どうか教壇で死なせてくれ』東京都町田市の玉川大学でいま行われている通信制教育学科(通信教育部)の夏期スクーリングで、今年九十一歳になる小原國芳総長が自ら教壇に立っている」と、毎年恒例の夏期スクーリングでドクターストップを振り切って講義する様子が詳細に報じられた。さらに全国から集まった学生に教育哲学を説く写真も載った。
この記事が掲載されるや、国内はもとよりアジア、南北アメリカ、ヨーロッパなどの国々から激励の便りが数え切れないほど玉川の丘に届いた。
    (略)

『全人教育』第343号には、8月2日付の朝日新聞夕刊の「死すとも教壇を離れず」の記事全文が掲載されています。ここでは、その一部を紹介します。

数年前から糖尿病と胆石症をわずらい、これまで九回入院したが、そのたびに主治医も驚く精神力と生命力で回復し、教壇に戻っている。

しかし、九十歳を超えた去年あたりから内臓が全般的に弱ってきており、血圧も二百を超える日がしばしば。講義をおこなうことについてはドクターストップがかけられたが、小原総長は「教壇で死にたい」と聞き入れず、講義を続けた。ほかに、月に七、八回、小学校から大学までの礼拝の講話もおこなってきた。
去る五月二十七日、愛知、三重、岐阜三県で通信教育を受けている受講生たち約五百人が県費で上京してスクーリングにやってきた時、小原総長は二十分間以内で講義を終わるようにという医師の厳命を無視して、ぶっ続けに四時間半の講義をした。この時、「総長だけの体じゃないのだから」と壇から降ろそうとする職員に対し、小原総長はマイクをにぎりしめて放さず、「せっかく遠くから来て下さった皆さんとまだ話したい。止めてくれるな」とがんとして動かなかった。

また、通大の夏期スクーリングで約800名の受講生に対して、國芳が次のように話したと記載されています。

「日本の先生方の大部分は、上の学校に通るかどうか、試験にいい点を取るかどうかを真理の基準にしていますが、これは堕落じゃありませんか。皆さんはどうか真理の前には赤ん坊のように謙虚であって下さいねえ。たのんますぞ・・・・・」

朝日新聞に続いて同じ月に、週刊朝日や日本工業新聞などにもこの様子が掲載されました。なお、國芳の最後のテレビ出演は同年11月。NHKテレビ「スタジオ102」の「朝の訪問」という番組。収録が11月2日に行われ、同月の26日に全国に放映されました。

しかし、それから1か月後の12月13日、小原國芳は天に召されました。各新聞等は訃報の記事を掲載。朝日新聞朝刊では、「最後の私塾創設者小原國芳氏死去」の見出しで報道されました。

前述の8月2日付朝日新聞夕刊の「死すとも教壇を離れず」の記事は、最後に國芳のこんな言葉で締め括られています。

「教育者が教壇で死ぬなんてロマンチックじゃないですか」

関連サイト

参考文献

  • 小原國芳監修『全人教育』第343号 玉川大学出版部 1977年
  • 白柳弘幸「故きを温ねて」(『全人』第697号 玉川大学出版部 2006年 に所収)
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年

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