玉川豆知識 No.135

玉川大学管弦楽団がオーストリアにて、ヤーパン・ターゲ、ザルツブルグ音楽祭、ハイドン・フェスティバルに出演

1982(昭和57)年7月19日に玉川大学管弦楽団99名が成田を発ちオーストリアへ。オーストリアで開催された「ヤーパン・ターゲ」、「ザルツブルグ音楽祭」、「ハイドン・フェスティバル」という3つの催しに参加し、8月1日に帰国しました。

1.玉川大学管弦楽団がオーストリアへ

世界的に有名なザルツブルグ音楽祭事務局より、玉川大学管弦楽団に対して、1982(昭和57)年ザルツブルグ音楽祭の開会式への招待の手紙が届きました。その招待を受け、7月19日に玉川大学管弦楽団99名が成田を発ちオーストリアへ。団長は学生部長の相原幸一先生、副団長は管弦楽団の部長で指揮者の藤本晃先生、この他、演奏指導や通訳、渉外などのために宮城勝久、石橋哲成、向山光則、川崎公子、稲葉興己の諸先生方が参加。そして、玉川大学管弦楽団は、下記の通り、「ザルツブルグ音楽祭」のオープニング・コンサート、この年からチロル州インスブルックで日本文化紹介のために開かれている「ヤーパン・ターゲ」、ハイドン生誕250年にあたりゆかりの地アイゼンシュタットで開催中の「ハイドン・フェスティバル」という3つの催しに参加し、8月1日に帰国しました。

2.ヤーパン・ターゲで演奏

インスブルック市のホールにおける演奏

玉川大学管弦楽団一行は、成田を飛び立ち、ミュンヘン経由でオーストリアのチロル州インスブルックに到着。インスブルックではこの年から日本文化を紹介するための「ヤーパン・ターゲ」が開催され、玉川大学管弦楽団は7月22日の夜に、市のホールで演奏しました。プログラムは、モーツァルトの「魔笛」序曲、ハイドンの交響曲第100番「軍隊」、ブラームスの交響曲第1番、そして外山雄三の日本民謡を基調とした「管弦楽のためのラプソディー」。演奏会終了後に聴衆から「今夜の演奏会の録音テープがほしい」という声も聞かれ、公演は成功裏に終わりました。

3.ザルツブルグにて、クルッケンハウザー教授を訪問

つづいて、モーツァルトやカラヤンといった音楽家を生み、また「北のローマ」とも呼ばれているザルツブルグへ移動。ザルツブルグはミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台としても知られています。

ザルツブルグ音楽祭のオープニング・コンサートの前夜、近くに住む、玉川大学名誉教授であり、“オーストリア・スキーの父”と言われたシュテファン・クルッケンハウザー教授を、相原団長以下3名で訪問。クルッケンハウザー教授は、玉川大学管弦楽団のオープニング・コンサートへの出演を大変喜んで下さいました。

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4.ザルツブルグ音楽祭のオープニング・コンサートに参加

ザルツブルグ音楽祭は、1877(明治10)年から1910(明治43)年にかけて行われた「モーツァルト祭」が原型で、1920(大正9)年以降世界中から著名な音楽家を集めて、盛大に催すオーストリアの国を挙げての音楽祭。ただ、あまりにも有名になり、入場券入手が極めて困難となっているため、音楽祭の前夜に無料でコンサートを開き、広く一般の市民に聴いてもらうという主旨で始まったのが、オープニング・コンサートです。

聖ペーター教会エルツァプタイの中庭における演奏

7月24日、午後4時30分、オーストリア国ルードルフ・キルヒシュレーガー大統領が軍隊の栄誉礼を受けてレジデンス広場に到着。そして、ドーム広場において音楽祭を祝う劇「イェダーマン」が上演されました。いよいよザルツブルグ音楽祭の幕開けです。

午後7時より、市内の7つの会場で、合唱、中世ドイツ音楽、若者向けのジャズ、子供劇場が始まり、玉川大学管弦楽団もその中で、古典音楽と日本の音楽を演奏。まず、モーツァルトの「魔笛」序曲、2曲目は外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」、そして3曲目がブラームスの交響曲第1番でした。

聴衆からの大きな拍手とアンコールの声に応えて、再び日本的な響きをもつ「管弦楽のためのラプソディー」を演奏しましたが、それでも拍手はなりやまず、とうとう宮城先生が舞台に上がり、先生の指揮で「さくら」と「そうらん節」の合唱を披露。聴衆は思わぬアンコールに熱狂。なりやまぬ拍手の中、「別れの歌」を歌いながら舞台を下りた学生に、今度は握手ぜめの状況が待っていました。

翌25日は日曜日で新聞は休刊。26日の「ザルツブルグ・ナハリヒテン」の朝刊には「ザルツブルグ音楽祭・オープニング」のニュースが大きく掲載され、その中で「特別の喜びを、聖ペーター教会、エルツァプタイの中庭に作り出してくれたのは、東京から来た玉川大学学生オーケストラの若いアマチュアの音楽家たちであった。彼らは力一杯に、驚嘆すべき腕前をもって本物のコンサートプログラムを演奏してくれた」と紹介されました。

5.大統領に謁見

7月24日、レジデンスでは、キルヒシュレーガー大統領とハスラウエル州知事招待の晩餐会が開かれていました。前もって、大統領と知事に玉川大学からのお土産を差上げたい旨を伝えておいたところ、「今だったら・・・」という伝言が入りました。

キルヒシュレーガー大統領と握手を交わす学生代表

相原団長と指揮者の藤本先生、学生代表3名他計7名は、厳しく警備された中をレジデンスに入りました。招待客の間をぬって、一番奥の広間へ行くと、大統領と知事がわざわざ入口近くへと歩み出て来て下さり、大統領からははるばる日本から来てくれたお礼と「良い演奏だったそうですね」とお誉めの言葉を戴きました。また相原団長が、招待して下さったお礼と、長い伝統と尊敬すべき文化を有するオーストリアの大舞台で演奏ができ、大統領閣下にまで直接お会いすることができて光栄の至りだという挨拶をしますと、大統領は力強く握手を返されました。

学生代表が、大統領に「鍛銅番鶉(たんどうつがいうずら)」(土屋俊典作・文学部芸術学科1974年卒)、知事に「瓢箪釜(ひょうたんがま)」(根来琢三作・文学部芸術学科1979年卒)を差上げると、一人ひとりに握手をして下さいました。

6.ハイドン・フェスティバルで演奏

7月27日、ザルツブルグを後に、ハイドンの生誕地アイゼンシュタットへ。この年はハイドンの生誕250年の記念すべき年。市当局などの主催者がこの一年をハイドン・フェスティバルと定めて、数々のコンサートを開催していました。そのコンサートに玉川大学管弦楽団も参加し、演奏することになりました。

28日午後7時30分より、市の中央にあるエステルハズイ宮殿のハイドン広間において演奏会が始まりました。いよいよオーストリアにおける最後の演奏会。藤本先生の指揮のもと、ハイドンの交響曲第100番「軍隊」を演奏。つづいて、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」、そしてブラームスの交響曲第1番。アンコールを求める拍手と歓声に応えて、最後にもう一度「管弦楽のためのラプソディー」を演奏しました。

ハイドン広間にて演奏
おしみなく拍手をおくる聴衆
市長主催のレセプション。宮城先生の指揮で合唱を披露(7月28日)

7.最後の訪問地である音楽の都ウィーンから帰国

翌29日の午前中に最後の訪問地である音楽の都ウィーンに移動。中央墓地を訪ね、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ヨハン・シュトラウス等の墓にお参りをしました。

そして31日、オーストリアでの全日程を終え、ウィーン空港からロンドンを経由して帰国の途につきました。成田着は8月1日。3回にわたる演奏会は大成功を収めました。

参考文献

  • 小原哲郎監修『全人教育』第409号 玉川大学出版部 1982年
  • 小原哲郎監修『全人教育』第410号 玉川大学出版部 1982年