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玉川豆知識 No.136

小原國芳がペスタロッチ賞を受賞

1957(昭和32)年2月16日、広島大学教育学部が主催した第36回ペスタロッチ祭において、小原國芳は日本教育界の功労者に贈られるペスタロッチ賞を受賞。ペスタロッチは、ルソーの教育思想を受け継ぎ、近代の教育思想家であるフレーベルやヘルバルトなどに影響を与えました。小原國芳が主唱した全人教育も大きな影響を受けています。

1.ペスタロッチ

ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチは、1746年、チューリッヒの生まれ。スイスの教育実践家であり近代教育を拓いた人物と言われています。ルソーの教育思想を受け継ぎ、近代の教育思想家であるフレーベルやヘルバルトなどに影響を与えました。孤児や貧困の子供のための学校を設立したり、教員養成のための学園を開設したり、数々の教育事業を実践。多くの著書を刊行したこともあり、ヨーロッパやアメリカにペスタロッチ運動が広がっていきました。

小原國芳は、著書『ペスタロッチを慕いて』の中で、ペスタロッチについて次のように記しています。

あの徹底的な理想主義者、精神主義者でありながら、農園経営をはじめ、孤児院に、著述に、雑誌に、小学校に、さまざま実際家として一生苦しんだ人です。知と行とは並行して進まねばならぬとして、理論と思想と学問の必要と同時に実践と行動と勤労とを貴んだ人です。

子供たちの直観や自発性を大切にした思想は、日本の教育にも受け継がれています。そして小原國芳が主唱した全人教育にも大きな影響を与えました。『全人』第852号の「故(ふる)きを温(たず)ねて」につぎのような記述があります。

小原の魂の父とも言えるペスタロッチへの思いは、玉川学園開校前年に発行の『ペスタロッチーを慕ひて』に凝縮されている。小原の唱えた全人教育はペスタロッチの「教育思想の内容として3H即ちHead、Heart、Hand頭と胸と手の三つの教育」の調和的発達の考えを元にし、それらに加えて真善美聖健富の6つの価値を調和的に身につけた人間形成をめざしたものであった。
全人教育の思想のルーツはルソー、カント、ペスタロッチ、ナトルプらに連なる。明治になり、先哲らの思想がわが国にひろまった。小原がいつペスタロッチに出会ったのか、残念ながら『自伝』などからは見いだせない。

ペスタロッチは、1827年、82歳のときブルックにおいて死去。ペスタロッチの墓石には、次のような墓碑銘が彫刻されています。

ハインリヒ・ペスタロッチーここに眠る。
1746年1月12日チューリッヒに生れ、1827年2月17日ブルックに没す。
ノイホーフにおいては貧しき者の救助者。
「リーンハルトとゲルトルート」の中では人民に説き教えし人。
シュタンツにおいては孤児の父。
ブルクドルフとミュンヒェンブーブゼーとにおいては国民学校の創設者。
イヴェルドンにおいては人類の教育者。
人間! 基督者! 市民!
すべてを他人のためにし、
己には何物も
恵みあれ彼が名に!

2.小原國芳がペスタロッチ賞を受賞

1957(昭和32)年2月16日、小原國芳は日本教育界の功労者に贈られるペスタロッチ賞を受賞。広島大学教育学部が主催した第36回ペスタロッチ祭でのことです。『全人』第758号の「玉川の丘めぐり」に次のような記述があります。

ペスタロッチー没後100年の1927年2月、國芳は「ペスタロッチー全集」全6巻(イデア書院)刊行開始。創刊時、國芳は「先生の生涯は學べば學ぶほど夢の人でした。夢を現実に生きた人でした」(『イデア』第48号)と、ペスタロッチーへの敬愛を述べた。ペスタロッチーも國芳も夢見る人であった。
1952年、『西洋教育宝典全26巻』(玉川大学出版部)の中で「ペスタロッチ全集」を再刊。1957年、こうした功績や全人教育実践が認められ、國芳は広島大学よりペスタロッチー教育賞を受けた。受賞後「愛の権化だったペスタロッチー先生のあの神様そのままの教育愛に私どもが遥かに及ぶべくもないことは当然であります。でも!及ぼう及ぼうと精進して居ます」(『全人』1957年3月)と述べた。その精神は今も玉川の丘に受け継がれている。

広島大学教育学部長の皇至道氏よりペスタロッチ胸像を受ける小原國芳

このペスタロッチ祭において広島大学から贈られたセメント製のペスタロッチ胸像は、現在玉川大学教育博物館に保管されています。

3.スイス大使一行を招いてペスタロッチ祭を開催

1960(昭和35年)2月17日、玉川大学文学部教育学科主催のペスタロッチ祭での講演を兼ねて、スイス大使マックス・トレンドル博士一行が参観のために来園。学園内を参観し、小学部運動場の国旗掲揚塔にひるがえるスイスと日本の両国旗の下で記念撮影を行いました。

小学部運動場の国旗掲揚塔の下で記念撮影

ペスタロッチ祭は、開会の挨拶、スイス国歌やスイス民謡、そして歓迎の歌の合唱の後、トレンドル大使の40分にわたる記念講演が行われました。会場となった礼拝堂は、ペスタロッチ祭のためにさまざまな準備が施されていました。『全人教育』第128号にそのことが次のように記されています。

会場の礼拝堂の入口は、額に入った十幾種のペスタロッチの肖像、家族、師、後援者、友人、ヘルバルト、フレーベル、少年時代のドゥ・ガンなどのペスタロッチ学徒の四十数枚の肖像、さらに所せましと置かれたザイファルトを初めとする五種のドイツ語版の全集、二種の日本語訳の全集および研究書などで飾られていた。ステージの正面には日本、スイス国旗が掲げられ、その下に大きなペスタロッチ夫妻の肖像が安置され、その両側にはペスタロッチの活躍を示す大きなスイス地図と彼の系譜が立てられていた。更に場内の両側にはシュタンツ、ブルクドルフにおけるペスタロッチ、美しいスイスのカラー写真がかけられていた。

礼拝堂のステージ

礼拝堂入口にて、ペスタロッチに関する
学生の卒業論文を見られるスイス大使

因みに、1982(昭和57)年、幼児教育や初等教育を研究対象とする「日本ペスタロッチ・フレーベル学会」が設立され、翌年の8月に第1回の大会が玉川大学を会場として開催されました。

参考文献

  • 小原國芳著『ペスタロッチを慕いて』 玉川大学出版部 1969年
  • 小原國芳監修『全人教育』 玉川大学出版部
        第31巻第3号(1957年)、第128号(1960年)、第222号(1968年)
  • 小原哲郎監修『全人教育』第419号 玉川大学出版部 1983年
  • 白柳弘幸「玉川の丘めぐり」(『全人』第758号 玉川大学出版部 2012年 に所収)
  • 白柳弘幸「故きを温ねて」(『全人』第852号 玉川大学出版部 2020年 に所収)
  • 玖村敏雄著『ペスタロッチの生涯』 玉川大学出版部 1960年
  • ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ著、田口仁久訳『ペスタロッチ 幼児教育の書簡』 玉川大学出版部 1983年
  • ザイファルト著、市村秀志訳『ペスタロッチにふさわしき妻 アンナ』 玉川大学出版部 1957年
  • 日本ペスタロッチー・フレーベル学会編『ペスタロッチー・フレーベル事典』 玉川大学出版部 1996年

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