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玉川豆知識 No.167

旧制大学として最後に認可された玉川大学

1946(昭和21)年10月1日、玉川学園は大学令による玉川大学を設立するために、『玉川大学設置認可申請』の書類を文部省に提出。翌年2月24日に大学設置が認可されました。学部は文農学部、学科は文学科と農政学科の2学科。さらに大学予科と研究科を併置しました。

1.玉川大学の設置

終戦を迎えた1945(昭和20)年8月15日、玉川学園は、幼稚園(1947(昭和22)年3月まで閉校)、初等部、中学校、女子高等学校、専門部(女子高等部を含む)、工業専門学校を設置していました。総合学園として理想的な一貫教育を望んでいた玉川学園創立者小原國芳は、さらに最高学府たる大学の設置を目指していました。そして1946(昭和21)年10月1日、玉川学園は大学令による玉川大学設立を申請。1947(昭和22)年2月24日に大学設置の認可を受け、同年5月21日に開校式を行いました。

玉川学園創立20周年、玉川大学創設、新教育30年、小原先生還暦を祝う記念祭の記念式典

前年に開会された帝国議会において学校教育法が可決成立する見込みとなったこともあり、旧制大学令に基づく大学認可は玉川大学で終了となりました。つまり玉川大学は旧制大学として、日本で最後に認可された大学となったのです。学部は文農学部で、文学科と農政学科の2学科からなり、大学予科と研究科も併置するという組織で構成されていました。

旧制玉川大学の設置について、『玉川大学教育学部全人教育研究センター年報』2017第4号の『旧制玉川大學設置認可申請』に関する史料紹介の解説に次のように記されています。

1942(昭和17)年5月に認可を受けた興亜工業大学(現千葉工業大学)は玉川の丘を離れ、それに代わる教育機関として玉川工業専門学校が1945(昭和20)年3月に認可を受けた。しかし、その学校を昇格させて再度、大学の申請をしたのではなかった。「新日本建設ノ根源ハ第一二教育ニアリマス」と述べ、戦後の混乱した世の中を、教育を通して立て直したいとして文農学部を置く大学を申請した。

『玉川大学教育学部全人教育研究センター年報』

開設する学科としては、当初、哲学科、文芸学科、農政学科の3学科を計画していました。しかし申請中に文芸学科(芸術学専攻、体育専攻)の設置を取り止め、哲学科を文学科に変更。そして、文学科の中に、哲学、倫理学・教育学、心理学、文学の4つの専攻を設けることとしました。

旧制玉川大学の設置計画について、小原國芳は『全人』 第17巻第3號の「編輯室」で次のように述べています。

幼稚園から大學まで!ホントの完成敎育、連絡敎育というのが成城以來の念願でした。
  (略)
今度は、玉川財團の中に大學を建設すべく、終戰後イの一番に苦勞をはじめました。
役所でも、いろいろと御同情して頂き、殊に新敎育三十年の歴史を認めて頂き、特に、文科は圖書も豐富ですし、音楽や體操の長年の實績もあり、一方、農場や山林もありますので、文農科大學ということでお許しを頂きました!
内容は哲學科、文藝科、農政科として、

哲學、宗敎、敎育、心理、音楽、文學、舞踊、體操、純農、農藝化學、農業工學、農村文化指導等行く行くは水産とも計劃して居ります。

玉川大学開校式で読まれた高橋誠一郎文部大臣の祝辞は、玉川教育の位置づけと玉川大学の設置の意義を明確にするものでした。

今や学制の改革をはじめとして新教育の実現に必要な施策が着々と進められているのであって、固有の理想と学風とをもつ私学に対する要望は、いよいよ切なるものがある。この時にあたって、二十年来塾生活と労作とを旨として、個性を尊重し、自由教育、全人教育を実行して日本の教育革新に貢献して来たこの学園において、さらに大学を新設し、幼稚園より大学まで、一貫した教育の実施を見るに至ったことはまことに慶ぶべきことである。
  (略)
過去の体験によって作り上げた教育の方針と方法とに基づいてますます大学の設備を充実し、真理の探究と技術の修練とをもって有為な人物を養成するならば、日本及び世界の発展に寄与するところ決して少なくないことを信ずるのである。

1947(昭和22)年3月、初めて公にされた「玉川大学要覧」において玉川大学の教育方針が明確に示されています。そこには、玉川大学が玉川学園の建学の精神を継承し、全人教育を基調として個性を尊重し、自学と労作を教育活動の中核としながら、学問の神髄を究めるとともに、生産に直結しながら、しかも大自然を舞台とした研究と塾教育の伝統を展開する、などを基本精神とすることが宣言されています。

2.設置認可申請書

財団法人玉川学園(現在の学校法人玉川学園)は、1946(昭和21)年10月1日に『旧制玉川大学設置認可申請』の書類を文部省(現在の文部科学省)に提出。その申請書には以下に示す10点の書類が添付されていました。

  • 玉川大学設立趣意書
  • 玉川大学設立要項
  • 学則
  • 収支予算書
  • 教員配当表
  • 教室配当表
  • 学長認可申請書
  • 大学並予科教員認可申請書
  • 寄附行為一部変更認可申請書
  • 法人ニ関スル調

玉川大学設立趣意書には、教育信条が次のように記されていました。

本学園ガ開校以来掲ゲテ参リマシタ教育理想ニ御賛同下サイマセ
 (一)全人教育(調和的人格ノ陶冶)
 (二)個性尊重ノ教育(天分伸長ノ教育)
 (三)自学自律ノ教育(労作教育・創造工夫ノ教育)
 (四)能率高キ教育
 (五)学的根拠ニ立テル教育
 (六)自然ノ尊重
 (七)子弟間ノ温情
 (八)小規模ノ教育(小人数ノ教育)
 (九)塾教育(家塾訓練)

このことについて、前述の『玉川大学教育学部全人教育研究センター年報』2017第4号の同解説には次のように記述されています。

これらは後の玉川教育十二信条の一部と重なるが、教育目標の筆頭に「全人教育」が置かれた初めてのことでもあった。戦時下にあっては「国士養成」「新国士養成」が筆頭として置かれていたからである。軍国主義が闊歩する時期に、不本意であっても自由主義的な響きを持つ「全人教育」「個性尊重」等の目標を筆頭に置くことは困難なことであった。「玉川大学設立趣意書」にて「全人教育」を筆頭に掲げたことは、本学の、即ち小原國芳の新教育こそ真(まこと)の教育として、教育にかける信念や意気込みの表れと言えるべきことであった。

さらにその解説は、次のように続きます。

(一)と(二)の間に「労作教育」、(三)と(四)の間に「反対の合一」、(五)と(六)の間に「第二里行者 人生ノ開拓者」、(八)に抹消線が引かれ、(九)の後に「国際教育」と、それぞれ鉛筆書きされている。先の九項目は、この書き込みを加えると、1960(昭和35)年に著された『玉川教育』に載る玉川教育十二信条と合致する。この書き込みは、唯一残されている本史料に書き残されているため、小原國芳によるものと想像するに難くはない。本史料から、軍国主義が払拭された新しい時代に入り、「全人教育」「個性尊重」等を堂々と広められるという小原國芳の万感交到る思いを知ることができる。

なお、旧制玉川大学の学生生徒数(定員)は以下の通りです。

 学生生徒数(定員)
大学予科 360名
文農学部文学科 240名 360名
農政学科 120名
玉川大学予科入学式 1947(昭和22)年

教員には、初代学長の田中寛一、二代目学長の波多野精一、日本の宇宙開発・ロケット開発の父と言われた糸川英夫、玉川学園校歌を作曲した岡本敏明、「城ケ島の雨」「どんぐりころころ」の作曲家梁田貞をはじめ、清水清、上村哲彌、田中末広、須藤兼吉など錚々たる人たちが名を連ねていました。

3.開設科目

設置認可申請時の学則に記載されている開設科目は以下の通りです。

文学科哲学専攻
必修学科目 哲学概論、西洋哲学史、東洋哲学、印度哲学、支那哲学、歴史哲学、認識論、倫理学、論理学、心理学、社会学、教育学、美学、演習
選択学科目 民族心理学、宗教学、教育史、美術史、東洋史、西洋史、希蠟語、パーリ語、羅甸語、独逸語学、仏蘭西語学、英吉利語学、支那語学、支那文学、法制大意、経済原論、農学通論、農業政策、農政学、農史
文学科倫理学・教育学専攻
必修学科目 倫理学概論、倫理学(国民道徳、東洋倫理学史、西洋倫理学史、倫理思潮)、実践倫理、哲学概論、西洋哲学史、東洋哲学、印度哲学、支那哲学、宗教学、社会学、教育学、倫理学、心理学、美学、演習
選択学科目 教育学(教育史、実践教育学、各科教授法論、教育行政)、西洋哲学、支那哲学、印度哲学、認識論、民族心理学、歴史哲学、心理学、教育史、宗教学、美術史、独逸語学、英吉利語学、仏蘭西語学、支那語学、希蠟語、羅甸語、法制大意、農学通論、農業政策、農政学、農史
文学科心理学専攻
必修学科目 心理学(概説、民族心理学及社会心理学、実践心理学、実験)、西洋哲学史、支那哲学、印度哲学、論理学、倫理学、社会学、教育学、認識論、美学、演習
選択学科目 心理学(個性心理学、変態心理学、宗教心理学、経済心理学、)西洋哲学、歴史哲学、宗教学、美術史、音楽史、生理学、生物学、精神病学、言語学、教育行政、英吉利語学、独逸語学、仏蘭西語学、法制大意、経済原論、農学通論、農業政策、農政学、農史
文学科文学専攻
必修学科目 比較文学論、比較言語学、比較宗教学、人類学、民族心理学、美学概論、世界文化史、自然科学概論、科学史、国文学、各国文学(英米文学、支那文学、露西亜文学、仏蘭西文学)、言語学概論、語学(英米語、支那語、露西亜語、仏蘭西語)、演習
選択学科目 哲学概論、西洋哲学史、東洋哲学史、倫理学概論、日本思想史、社会学原論、音楽史、心理学、日本美術史、西洋美術史、東洋美術史、宗教学、文芸思潮論、考古学、法制大意、経済原論、農学通論、農業政策、農政学、農史
農政学科
必修学科目 作物及園芸学、栽培学、養蚕学、畜産学、林学、農業気象学、農業経済学、応用微生物学、食品製造化学、農産製造化学、無機製造化学、分析化学、生物化学、農業政策、農業経営学、農業社会学、農業組合論、農政学、農業史、農業市場論、農業土木学、農業機械学、演習、実習、実験
選択学科目 農業細菌学、農業薬剤学、測量学、遺伝学、地質学、造園学、燃料化学、繊維化学、論理学、倫理学、美学、機構及機械学、電気学一般、工作法、法制大意、経済学原論、哲学、教育学、心理学、美術史、世界文化史、音楽
玉川大学第1回卒業式(1952年3月10日)

参考文献

  • 旧制玉川大學設置認可申請』 財団法人玉川學園 1946年
  • 小原國芳「玉川大學認可」(『全人』第17巻第3號編輯室 玉川出版部 1947年 に所収)
  • 小原國芳監修『全人』 第17巻第3號 玉川出版部 1947年
  • 小原國芳監修『全人教育』 第17巻第6號 玉川出版部 1947年
  • 『玉川大学教育学部全人教育研究センター年報』2017第4号 玉川大学教育学部全人教育研究センター 2017年
  • 『玉川大学教育学部全人教育研究センター年報』2017第5号 玉川大学教育学部全人教育研究センター 2018年
  • 白柳弘幸「史料(旧制『玉川大學設置認可申請』書)紹介解説」(『玉川大学教育学部全人教育研究センター年報』2017第4号 2017年 に所収)
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年

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