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玉川豆知識 No.185

前例なしに飛行機は飛んだではないか――初代パイプオルガン

「宗教教育」にパイプオルガンは欠かせないという強い信念を持っていた小原國芳は、1930(昭和5)年の欧米教育視察の際、オルガン製作世界一の会社であるシカゴのキンボール社を訪ね、直接交渉の末、パイプオルガンを購入。その組み立てには、中学生である数名の本学塾生が参加。そしてその荘厳なパイプオルガンの音色は、今もなお玉川の丘に響きわたっています。

1.パイプオルガンとの出会い

礼拝堂に備えられたパイプオルガンは1931(昭和6)年8月7日に設置されました。この当時、パイプオルガンは、上野の音楽学校(現在の東京芸術大学)や三越など日本にまだ4台しかありませんでした。玉川学園創立者の小原國芳は牛込の成城時代の1925(大正14)年頃から、パイプオルガンを教育の場に用いることを夢見ていました。そして1930(昭和5)年の欧米教育視察の際、アメリカの教会でパイプオルガンの厳かな音を聴き、「宗教教育」にパイプオルガンは欠かせないという強い信念を持ちます。

小原は、オルガン製作世界一の会社であるシカゴのキンボール社を訪ね、直接交渉の末、パイプオルガンを購入。購入するにあたって小原は、同社製造のオルガンを実際に教会に見に行き、その上で型を選定。このパイプオルガンは最新型の一級品であったと言われています。パイプオルガンの大きさについては、『玉川教育-玉川学園三十年-』に次のように記されています。

大きさは三越のと同じ。三越のは劇場用。玉川のは礼拝用、学校用。

初代パイプオルガン

また、パイプオルガンを購入するにあたってのキンボール社との交渉のことが、小原國芳著『教育一路』(1976年発行)に次のように記述されています。

欧米旅行で荘厳なパイプオルガンの響きを聞きつづけた私は、玉川学園の丘の上の礼拝堂に、なんとしてもパイプオルガンを置きたい、と思いました。思い込んだら実行の私。米国へ回った時、世界一のキンボール社へ談判に行きました。
「なんとか、十年年賦で売らないか」
「そんな前例はない」と大笑い。
「飛行機は前例がなくても、飛んだじゃないか。アメリカでも前例前例というのか」
「わかった。せめて三分の一は前金で払ってくれ。あとは三年の分割払いでよろしい。だが正金銀行の重役の保証がほしい」
「承知した。こちらにも一つ頼みがある。東洋におけるエージェンシーを私にくれないか」
「日本では最初の申し込みだからよかろう」

2.玉川の丘にやって来たパイプオルガン

購入したパイプオルガンは、国際汽船により1931(昭和6)年7月25日に横浜港に着き、7月27日に玉川の丘に運ばれました。がっしりとした木箱に詰められたパイプオルガンを開梱し、5センチ程度のものから1メートルもあるパイプや、大小さまざまのチャイムを組み立てました。この組み立ておよび調律作業は、アメリカキンボール社から派遣されて来たロング・モアー技師と中学生である数名の本学塾生が片言の英語でやり取りしながら酷暑の中で行われました。そして、8月7日についに組み立て設置が完了。パイプオルガンが設置されたのは、聖山の中腹に新築されたばかりの本間記念講堂(現在の礼拝堂)でした。そのことが、藤井百合著「玉川学園における2台のパイプオルガン―比較考察及び歴史的背景―」(『玉川学園女子短期大学論叢』第8号 1983年発行)に次のように書かれています。

ロング・モアーは彼等の能率の良さにアメリカでは3年仕事をした位の能力があると褒めていたが、中学生達にとって、まさに良き労作教育の実践の場でもあった。オルガンのコンソール(演奏台)はステージに向って左手横に、パイプはステージの裏にパイプ室とモーター室を作り、そこに納められた。パイプ室とステージの仕切りは巴模様にデザインされた木枠飾りを用い、そこを通して音が聞えるようになっている。この大きな木枠飾りは仏具屋に特別注文して作らせている。コンソールへの送風管は、ブリキで作ったが後に良質の送風パイプに変えられた。木枠飾りと送風管が日本で作られたのである。

パイプオルガンの組み立て
パイプオルガンの組み立て
パイプオルガンのパイプ室

このパイプオルガンは、アメリカのシカゴ市のW・W・キンボール社製で、製造番号は7097。ストップ12、パイプ数794本、チャイム20本、二段鍵盤、フルペタル付、Cスケールの礼拝用オルガン。アクションは当時最先端の構造である電空式で、パイプ全体がスエルボックスに入り、飾りパイプはついていませんでした。

初代パイプオルガンとパイプ室(後方)

その当時のパイプオルガンのことが『學園日記』第26號(1931年発行)に次のように記載されています。

本間先生記念講堂に入って見ると普通のものよりちょっとしか大きくないオルガンが、チョコンとただ一つ置いてある。鍵盤を押すと、講堂の後ろから、朗々たる音が講堂内は愚か、近隣の學園住宅まで響き渡る。好奇的な氣持で、その仕掛を見ると、驚く勿れ、大小長短数百本のパイプが、構成派の舞臺ででもあるかのやうに立並んでゐる。
パイプオルガンが發明された當時は、フイゴが澤山並べてあって、演奏者は、そのフイゴの上を飛び廻って、演奏したものださうな。新しいパイプオルガンの前に立つと、さうした時代のことが思ひ出されて、今更今昔の感を深うせざるを得ない。

パイプオルガンが玉川の丘に運ばれてきてから約1か月半後の9月13日には、午前10時より、招聘来日中のニルス・ブック率いるデンマーク体操チームの初来園を歓迎しての「ブック氏歓迎会」が本間記念講堂で行われました。その歓迎会の後、引き続き同講堂にて「パイプオルガン初奏会」を開催。演奏は真篠俊雄。バッハの『トッカータ』と『フーガ』で開始され、奥田良三の独唱と続きました。その荘重な音色と迫力は満堂の人々を魅了したといいます。その演奏のことが『學園日記』第27號(1931年発行)に次のように記されています。

真篠先生が立派なおからだで、けふを晴のパイプ・オルガンの前に立ち、バッハの「ドッカッタ」と「フーゲ」をお彈きになって、滿堂の人々を醉はしめました。次は奥田先生の、テノール「ラルゴ」「アリア」の男性的な聲に、相手の聲が堂を揺がし、次にも一度、オルガンで、バッハの二曲が同じく真篠先生によって彈かれ、續いてまた、奥田先生の獨唱「アリア」「マルタ」が終り、拓殖さんが來賓を代表してユーモラスな挨拶を述べられ、東京圖書局長さんの發聲で、日・丁兩國の皇帝陛下萬歳を三唱して、これでパイプ・オルガン初奏の會を、めでたく閉ぢました。

3.パイプオルガンの修復

しかしながら初演奏から一週間経たない9月18日の地震によって、天井の漆喰壁が崩れ落ち、パイプオルガンは大きな被害を受けることになります。この破損に際して、設置のときに組み立て作業を担当した塾生たちが、15日間にわたり修復作業を実施。その後もアクションの皮やフェルトが虫の被害にあったり、気候の差で木部に狂いが生じたこともありましたが、代々学生、生徒たちの手によって修理、調整、調律が続けられていきました。

1980(昭和55)年にも修復が行われ、その年の9月20日に修復試演会が開かれました。1990(平成2)年3月、初代パイプオルガンの演奏台は引退(パイプ部分はその後も現役)。そっくりな形の新品に変っています。山口高弘著「初代のパイプオルガン」(『全人教育』第620号/2000年発行)にそのことが次のように述べられています。

礼拝堂の初代のパイプオルガンが引退し、同じような形の新品に変ったことをご存知ですか。
実は今から10年も前の平成2(1990)年3月に取り替えられていたのです。現在のものは色は少々明るくなりましたが、化粧直しされたのかと思うほどそっくりに作られています。
引退したオルガン(正しくは演奏台)は、現在教育博物館で展示され、訪れる卒業生たちとの出会いにその余生を送っています。

同じような形の新品に変ったパイプオルガン
教育博物館に展示されている初代パイプオルガンの演奏台
パイプオルガン演奏台の説明文

さらに2011(平成23)年の東日本大震災の後、2012(平成24)年に礼拝堂についても耐震性を高めるために大改修工事が実施され、その際にパイプオルガンの修復も行われました。そしてこのパイプオルガンは、礼拝堂において今なお変わらぬ美しい音色を響かせています。

修復されたパイプオルガン

4.写真で見るパイプオルガン

参考

1978(昭和53)年、創立40周年記念事業で、同窓会から新仕様のバロック式パイプオルガンが贈呈され、礼拝堂に設置されました。従来のロマンティックオルガンとバロックオルガンという構造を異にする二つのオルガンが同じ場所に設置されたのは日本では玉川学園だけでした。5月21日、同窓会総会での故小原國芳夫妻の追悼礼拝で、この新しく設置されたパイプオルガンによる演奏が行われました。この日以降、各部の礼拝時に、ウィーン聖シュテファン大聖堂オルガン奏者のペーター・プランアフスキーや、オルガン建造者である辻宏らを招き、新設パイプオルガンの演奏を実施。この新しいパイプオルガンは、2000(平成12)年3月21日にチャペルが完成した際に、そちらに移設され、現在に至っています。

礼拝堂に設置されたバロック式パイプオルガン
礼拝堂に設置されたバロック式パイプオルガン
チャペルに移設されたバロック式パイプオルガン

関連サイト

参考文献

  • 小原國芳著『教育一路』 日本経済新聞社 1976年
  • 小原國芳監修『學園日記』 玉川學園出版部
      第26號、第27號(1931年)
  • 藤井百合著「玉川学園における2台のパイプオルガン―比較考察及び歴史的背景―」(『論叢』8号 玉川学園女子短期大学 1983年 に所収)
  • 山口高弘「教育博物館館蔵資料紹介(108) 初代のパイプオルガン」(『全人教育』第620号 玉川大学出版部 2000年 に所収)
  • 白柳弘幸「玉川の丘めぐり② 礼拝を支え続ける『パイプオルガン』」(『全人』第740号 玉川大学出版部 2010年 に所収)
  • 玉川学園編『玉川教育-玉川学園三十年-』 玉川大学出版部 1960年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年

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