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玉川豆知識 No.186

聖山で行われていた演劇公演

学内で一番標高が高い聖山において、大学の演劇部の学生たちによる『真夏の夜の夢』(シェイクスピア作)などの演劇公演が行われていました。真っ暗な聖山、授業終了後の稽古は、鉄製パイプを組み立てて照明器具を吊るすことから始まりました。

1.聖山での演劇公演

豊かな木々の中を礼拝堂に向かって階段をのぼって行き、さらにその礼拝堂を通り過ぎると聖山にたどり着きます。学園史料室にある1881(明治14)年測量の古地図では、聖山の標高は107.19メートル。学内で一番標高が高いのが聖山です。さらに玉川学園町の丘陵の中でも一番高い丘で、玉川学園開校以前は丹沢の尾根の間から富士山も望めたそうです。

その聖山で1970年代および1980年代、大学の演劇部による演劇公演などが行われていました。例えば、シェイクスピア作『真夏の夜の夢』やギリシャ劇ソフォクレス作『オイデプス王』。聖山の素晴らしい自然を活かし、聖山中央の丸い芝生に舞台を設定。その前に椅子を並べたり、階段状の観客席を設置したりしました。

1970(昭和45)年、『オイデプス王』
1986(昭和61)年、『真夏の夜の夢』
1986(昭和61)年、『真夏の夜の夢』
『真夏の夜の夢』の稽古風景

2.『真夏の夜の夢』の聖山公演

1973(昭和48)年の大学演劇部による『真夏の夜の夢』の聖山公演に出演された卒業生に当時のことを聞いてみました。

確か公演は6月頃だったと記憶しています。聖山での稽古、とても寒かったのを覚えています。公演の本番も、公演に向けての稽古も、授業が終わった放課後。すぐに日が落ちて聖山は真っ暗に。そのため、照明が必要。照明器具だけでなく、それを吊るすやぐらの設置も。当時文学部第2校舎(後の大学2号館)の5階に演劇研究室があり、そこから照明器具ややぐらを組むための鉄製パイプを聖山まで運びました。それが何とも重いこと。しかも校舎にはエレベーターはなく、階段を使って1階まで運び、正面玄関とは反対側の扉を出て、そのまま聖山へと上る。そして稽古終了後は、やぐらを解体し、照明器具と鉄製パイプを演劇研究室に戻す。学生たちはこれを毎日繰り返していました。
聖山では音を出しても、叫んでも近所迷惑にはなりません。近くに音楽研究室もあり、聖山で楽器を鳴らし演奏の練習を行っている学生の姿をよく目にしたものです。もちろん私たち演劇部の部員たちも大きな声で発声練習をしていました。また、芝居のための体力をつけようと、聖山の中央にある芝生の外周をよく走ったものです。なお、聖山の中腹にある礼拝堂でも、演劇公演がよく行われていました。
自然に囲まれて、それをも活かした聖山での芝居は、劇場のステージの上での芝居にはない魅力がありましたね。

1975(昭和50)年、
『真夏の夜の夢』の稽古の様子
照明器具をつるしたやぐら
1975(昭和50)年、『真夏の夜の夢』

1973(昭和48)年の『真夏の夜の夢』の公演を写真で紹介します。

3.写真で見る聖山公演

参考

2022年9月、文学座所属の原康義氏(NHK連続テレビ小説『藍より青く』に主人公の息子役で出演)が、日生劇場での中村芝翫氏、南果歩氏主演の『夏の夜の夢』(シェイクスピア作)に出演し、ピーター・クインス役を熱演。原氏は今から40年以上前の本学在学中に、聖山公演の『真夏の夜の夢』に出演し、同じピーター・クインス役を演じています。

  • 『藍より青く』の平均視聴率は47.3%、最高視聴率は53.3%

参考文献

  • 小原國芳監修『全人教育』第256号 玉川大学出版部 1970年

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