玉川豆知識 No.72

“本当に良いもの”を作りたいから誕生した「印刷部」

玉川学園にはかつて印刷部という部門があり、学内の印刷物のほとんどを制作していました。学校組織の中に印刷部門を設置するのはとても稀なことです。そこには“本当に良いもの“を作りたいという思いが込められていました。

1.草創期の玉川塾の特色である「労作教育」の中核を担った印刷部

印刷部は、1929(昭和4)年、玉川学園が創立された同じ年の7月21日に施設が完成しました。小原國芳にとって印刷業務は、学校にはなくてはならない仕事として考えられていました。南日本新聞社編『教育とわが生涯 小原國芳』(玉川大学出版部発行)に、少年時代の思い出として次のような記述があります。

「半紙を買って黙々と写本を始めた。三日間でみんな写した。表紙の厚紙も手製で作った。ウコンという南方特有の植物の根から、黄色い汁をとって表紙を染めた。和とじにして先生のところへ持って行った。」

また、労作教育の母体については次のように記しています。

後年、小原の教育哲学のもととなった「労作教育」は、「少年時代に手がけた染め物、写本、製本の苦労と喜びがその母体であった」

機関誌『全人』814号「故きを温ねて」(玉川大学出版部)の中で國芳が印刷部についてこう語っています。

「印刷部に至りては、活字造り、組み、紙型作り、印刷、折り、製本、装幀などと、いろいろな物理、化學、技巧、美術、國語、計算、さまざまの貴い學習が出來る」

と労作で出合う学習事例をあげています。非常に学習効果の高い印刷業務。ここから学内で教材などを手作りで制作する文化が始まったと言えます。

1930(昭和5)年の印刷部
1942(昭和17)年頃の印刷部での労作

2.塾生たちが支えてきた印刷部

塾生の労作教育として始まった印刷部。当時の様子がいくつかの記録に残っています。機関誌『全人教育』臨時増刊 第359号の「玉川学園草創期(その3)」(玉川大学出版部)に塾生会議労作部門創設後1年間の記録が掲載されており、その中で印刷部が次のように解説されています。

1959(昭和34)年頃の印刷部

1959(昭和34)年頃の中学部印刷室(文選作業)

1959(昭和34)年頃 製本作業

印刷部-活字鋳造、植字、製版、紙型、刷り、簡単な製本まで出来た。雑誌、ビラ、パンフレット、名刺などを作ったが、数名の塾生は職人もおどろく程のすぐれた技術を持ち、一日四時間の労作で充分の成果があったという。
(略)
印刷部は指導者の職人さんが退職し、塾生六人だけで運営するようになった。ある時はテフーの印刷機が二日間徹夜で町田警察署の「健康週間」のビラを刷りあげ、単行本では玉川文庫を四・五冊やった。「ペスタロッチーを慕いて」をやった。「母のための教育学」の改版をやった。「あれもやった。これもやった。忘れてしまった。」という位の大活躍だった。

また1948(昭和23)年、当時専門部の学生であった加藤恒則さん著「ペスタロッチーの生涯」作成記にも、

学園の印刷部が今度は文部省師範教育課長玖村先生の『ペスタロッチーの生涯』を作成することになった。作る前は出来るかなと案じたが、印刷部諸兄が「よしやろう」と一致団結毎日夜おそくまでがんばりました。
(略)
それぞれ係での奮闘、さては東京銀座、築地、神田と走りまわって活字の心配、毎日夢中でした。ある日は徹夜してまで張切り、日本文化のためと思えば労苦も忘れ、かえってやりがいがあります。遂に見事難関と思われた本、菊判二百八十四頁を完成させました。出来た時の喜び、ホントに涙のでるほど嬉しかったです。

と記されています。当時、印刷は活版印刷の手法で行われていました。日本語は文字数が多く、文字組みなどは高度な技術が必要とされました。文選という作業では、原稿を見ながらそれに合わせて一文字ずつ活字を拾います。しかも文字が逆さになった状態で置かれています。現在のパソコンソフトは、A4サイズ1枚(1,440文字)だと、簡単に入力できますが、当時はその文字数を、一つひとつ活字を探し組み合わせていきましたので、その作業は1日を費やすこともあったようです。非常に難しく根気のいるものだったと想像でき、情熱をもって教材制作をしていた様子がうかがえます。また当時から、インターンシップ(職業体験)教育が行われていたと言えるのではないでしょうか。

3.専門職者(教職員)で運営した時代

戦後の学園の出版活動の拡大や学内印刷需要の増大にともない、印刷部は労作の場としての性格を他に譲り、1953(昭和28)年専門職者(現在の事務系職員)による運営に移行しました。当時制作された物は、「全人教育」に掲載する身辺雑記の文字組版、事務帳票・名刺・ハガキの文字組版・印刷など学校運営に必要不可欠なものばかりでした。1981(昭和56)年頃から、カラー印刷や大量の印刷物へも対応し、各種教材や教科書副教材などの制作で教育現場を支えてきました。

4.現在の印刷部門

労作の1つとして始まり、学校印刷の第一線を走り続け約85年続いた印刷部門は、2000(平成12)年から業務提携し協同運営をしてきた富士ゼロックス株式会社に2015(平成27)年、完全業務委託をし、DTS(ドキュメントテックステーション)が誕生しました。DTSは学内に設置されていることから、これまで同様、教職員や生徒・学生からの様々な要望に応えるため、コミュニケーションを取りながら、玉川の伝統である“本当に良いもの”を提供する姿勢を継承し教育現場を支えています。

近年のDTSに関する教育活動報告はこちら

DTSで制作した教材等

参考文献

玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
南日本新聞社編『教育とわが生涯 小原國芳』 玉川大学出版部 1977年
岡田陽著『玉川学園草創期(その3)』(小原哲郎監修『全人教育』臨時増刊 第359号 玉川大学出版部 1978年に所収)
小原哲郎監修『全人教育』第400号 玉川大学出版部 1981年
『玉川教育-1963年版-』玉川大学出版部 1963年
『玉川学園の教育活動 玉川大学の教育活動 玉川大学大学院の研究活動』 2007年
白柳弘幸著『故きを温ねて』(小原芳明監修『全人』No.814 玉川大学出版部 2017年に所収)