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玉川大学・玉川学園学友会寄附講座:歌に出会い、歌をつくることで、私という人間もまたつくられてきた 〜現代歌人 齋藤芳生 〜

2022.12.23

毎年、好評のうちに行われている玉川大学・玉川学園学友会寄附講座。2022年度は、11月26日に大学教育棟 2014で文学部国語教育学科1年生82名を対象に開催されました。今回の講師としてお招きした齋藤芳生さんは、玉川大学文学部を卒業後、小学校教諭、アラブ首長国連邦の首都アブダビでの日本語教員、編集者などを経て、現在は福島県で塾講師をされています。また、現代歌人として、「桃花水を待つ」50首が角川短歌賞を受賞するなど、各方面より高い評価を得ています。

講座は、文学部部長・小田眞幸教授の「有意義な時間を過ごしてほしい」という挨拶から始まり、司会の文学部国語教育学科・酒井雅子准教授によるプロフィール紹介後、齋藤芳生さんにバトンタッチ。「こころがつくる歌 歌がつくるこころ」をテーマに講演はスタートしました。

歌を読む 〜 現代短歌ってなんだろう?

最初のテーマは「歌を読む」。「短歌は教科書で学ぶだけのもの、難しいものというイメージを少しでも壊してほしい」と言う齋藤さんが、自ら選んだ小4から90代までが作者である短歌を紹介、深掘りしながら、現代短歌の特徴や魅力について解説しました。

さみしくて泣きそうなとき勉強で気をまぎらわす20÷3   
(小林理央『20÷3』)

皆さんと同じ世代の小林理央さんが小学校4年生のときに作った短歌です。
「『短歌の中に20÷3なんて算数の式を入れていいの?』と思うかもしれませんが、それでいいんです。なんでもありなのが現代短歌です」(齋藤さん)

「児童、生徒が短歌を作ったとき、『こんなの変だとか、ダメだとか絶対に言わないでほしい』」と、国語科の教員を目指す学生たちにメッセージを送りました。なぜなら現代短歌は、それぞれの作者が自分の心の動きに沿って意向を凝らしたり、言葉を紡いだりするもの。「こうでなければいけない」という決まりがないからだとその理由を教えてくれました。

歌を詠む ~ つらい経験も、今の自分の糧に

次のテーマは、「歌を詠む」。齋藤さんと短歌との出合いや関わり、そしてキャリアなどについて話を進めます。

「私が短歌を作り始めたのは玉川大学2年生のときでした。俵万智さんの『サラダ記念日』などの歌集を読んで、私にも作れると壮大な勘違いをして、NHK歌壇(現NHK短歌)に短歌を投稿してしまったんです(笑)。当時、そこで選者をしていた師匠・馬場あき子が私の短歌を選んでくれました。そこから私の歌人としての人生が始まりました」(齋藤さん)

「三月はゼリービーンズばらばらとこぼれるように降るにわか雨」   
(齋藤芳生「かりん」2000年5月号)

この頃は、「思っていることを『五七五七七』に当てはめると歌になっていくことがただただ楽しかった」と齋藤さんは当時を思い出します。しかし、大学卒業後、故郷である福島県で、小学校の教員をしていた6年間は、ほとんど歌が作れなかったと言います。

「学級経営も職員室での人間関係も、私が想像していた以上に大変でした。子どもたちが帰るまでトイレにいく時間もないほど忙しい、余裕のない生活。もっと広い世界をみてみたいという思いもあり、とうとう教員を辞める決心をしたんです」(齋藤さん)

教員を退職して、師であり日本の短歌界の第一人者である馬場あき子さんの下で、再び歌を作り始めます。

摘花作業の始まる朝よ春なればふるさとは桃花水にふくるる   
(齋藤芳生『桃花水を待つ』2010年)

「『桃花水』という言葉を聞いて心が動きました。つらいことがあっても、春になれば花は必ず咲きます。そして毎年、花を咲かせるにはたくさんの人の力が必要なんです。この人の存在に気づくことができて、歌が変わりました」(齋藤さん)

そして現在、齋藤さんは生まれ故郷の福島で、学習塾の講師をする傍ら、精力的に短歌を作っています。

みちのくの春とはひらく花の渦 そうだ、なりふりかまわずに咲け   
(齋藤芳生『花の渦』2019年)

「子どもたちはまさに花のようです。一度きりの人生だからこそ、なりふり構わず咲いていい。そう思っています」(齋藤さん)

いろいろな場所に出かけ、さまざまな経験してきた人生の前半戦。「それはそれでなかなかおもしろかった」と齋藤さんは振り返ります。そして現在の学習塾の講師という仕事に、これまでの経験の全てが活かせていると実感しているのだそうです。学校の教員は辞めてしまったけれど、「子どもと関わることが好きだった」と気づけたのもまた歌の力でした。

質疑応答:先輩の歌、生き様から学生たちは何を感じたか

実は最近、TwitterやInstagramなどのSNSで、若者たちの間にちょっとした現代短歌のブームが起きているそうです。齋藤さんの話を聞いた若者、学生たちはどんなことを感じたのでしょうか。

学生たちからは、短歌について、齋藤さんのキャリアについて、さまざまな観点から質問がありました。その質問一つひとつに、齋藤さんは言葉を選びながら、丁寧に答えてくれました。そのなかから、短歌に関する質問、キャリアに関する質問と回答を一つずつ紹介します。

Q.短歌を作るとき、どのように言葉を選んでいるのでしょうか?
A.短歌に限らず、他の人、できれば自分とは違う年代の人が書いた作品をたくさん読むことです。
古典に触れてみるのもいいでしょう。短歌というジャンルにとらわれず辞書や歳時記を読んでみると、現代ではあまり使われていない言葉に出合えることもあります。「桃花水」という言葉もそうやって見つけました。

Q. 日本語教師をするのになぜアブダビを選んだのですか?
A. たまたま日本語教員の求人サイトで、日本での小学校教員経験がある人を募集していたからです。お給料も良かったし、日本企業からの派遣という形だったので、安心だったこともあります。カルチャーショックもありましたが、日本とは違う文化、多国籍の人々のなかで教育を見つめられたのは貴重な経験だったと思います。

最後に、今回の寄附講座を終えた齋藤さんから学生たちへメッセージをいただきました。

「学生たちに伝えたいのは、『たくさん悩んでください』ということ。私が教員を辞めた頃はいわゆる就職氷河期でしたから、教員を辞めたらもう人生が終わりかもしれないなんて思っていましたが、実際には終わりませんでしたからね(笑)。何度も失敗を繰り返しながら、それでもいろいろ掴めてきたものもあります。だから心配しなくて大丈夫。今、学習塾で子どもたちに教えるときも、これまでのさまざまな仕事から得られた知識がとても役に立っています。だからどんなに失敗したとしても、『無駄になることなんて一つもない』と心から思います」

大学卒業してからずっと、ご自身のアイデンティティを探しながら、失敗や苦労を重ねてきたという齋藤さん。その先に、今の現在歌人としての活躍があると知ったことは、これから進路を考える学生たちにとって大きな励みとなりました。

齋藤芳生さんプロフィール

1977年生 福島県福島市出身。玉川大学文学部教育学科卒業
小学校教諭・日本語教員(アラブ首長国連邦、アブダビ)・編集者などを経て現在、塾講師。

<受賞歴など>

  • 2007年
    第53回 角川短歌賞「桃花水を待つ」50首
  • 2011年
    第17回 日本歌人クラブ新人賞 歌集『桃花水を待つ』
  • 2020年
    第7回 佐藤佐太郎短歌賞 歌集『花の渦』

2022年4月より現在、NHK出版『NHK短歌』にて「短歌のトリセツ 齋藤芳生の短歌入門」連載中

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