【Part2】包括連携協定締結10周年を記念し、南さつま市で式典を開催。さまざまな交流が行われ、実りある4日間となりました。
玉川学園創立者・小原國芳の故郷である鹿児島県南さつま市。玉川学園は南さつま市と2012年に包括連携協定を締結。その連携協定締結10周年を記念して2022年に式典を計画していましたが、コロナ禍という状況を鑑み延期。今年8月に、ようやく開催する運びとなりました。
式典の前後にもさまざまな行事が開催されることとなり、玉川学園からは理事長・理事をはじめ、K-12の部長・教員、大学の部長、教育博物館の教授陣、またK-12からは玉川学園ハンドベルクワイア、大学からは玉川大学合唱団の生徒・学生が参加。支援スタッフも含めると80名を超える関係者が現地を訪れました。ここでは4日間の行程の後半をご紹介いたします。
DAY3:坊津久志のメインストリートの一部が「玉川学園通り」と命名。久志住民との交流に歓喜
8月20日(日)の早朝、ハンドベルクワイアと合唱団は小原國芳・信夫妻が眠る地に墓参りをし、讃美歌と祈りを捧げました。




そしてこの日は包括連携協定10周年を記念して、小原國芳生誕地公園の前の道が「玉川学園通り」と命名されることになり、その除幕式が行われました。玉川学園通りは海沿いを通る国道226号線の一本山側の道で、久志のメインストリートの一部です。玉川学園久志高等学校があった頃には教員用の宿舎や旅館があり、賑わっていたそうです。また当時はクリスマスの時期に、高等学校の生徒たちが皆で讃美歌を歌いながら通りを歩く「キャロリング」をしていたことになぞらえ、この日は生徒や学生が讃美歌87Bを歌いながら行脚しました。



玉川学園通りを紹介するプレートの除幕式は南さつま市の本坊輝雄市長や小原芳明理事長らによって行われ、本坊輝雄市長は「東京には玉川学園前駅はあるけれど、『通り』はないとのことでした。世界に一つだけの通りが國芳先生の生誕地に誕生いたしました」と紹介すれば、小原芳明理事長も「何より故郷を想っていたおやじさんが喜んでいることでしょう。今後はこの通りを盛り上げていくよう、考えていきたいと思います」と挨拶しました。
この後、久志地区公民館で記念の植樹も行われ、玉川大学南さつまキャンパス久志晴耕塾で育てられたライチが植えられました。






記念植樹後、生徒たちは久志地区住民の皆さんとの交流で、漁船に乗り丸木浜の観光クルージングや岸壁での釣りを体験。さらに公民館近くの川で坊津学園の児童たちとともに川エビ獲りにも挑戦しました。そして久志の海で獲れた海鮮物や川エビを使ったバーベキューを久志地区の皆さんが調理してくださり、皆でごちそうになりました。




最後に玉川からの感謝の意を込めて、ハンドベルクワイアと合唱団から心を込めた演奏を贈りました。久志地区住民の皆さんに大変喜んでいただき、30年前の賑わいが戻ってきたようだと涙される方がいたのが印象的でした。




この日は他にも久志晴耕塾見学やタンカンなどを栽培している清原園の視察、理事長による墓参り、久志高等学校跡地の視察なども行われ盛りだくさんの一日となりました。








DAY4:ハンドベルクワイアと合唱団が鹿児島で演奏を披露し、多くの人を魅了
鹿児島を離れることとなった8月21日(月)。鹿児島のターミナルである鹿児島中央駅にある商業施設「アミュプラザ鹿児島」にて、ハンドベルクワイアが11時から、合唱団が13時から演奏を行いました。学外での演奏活動も多い二つのクラブ。両団体ともに全国で演奏を行っていますが鹿児島を訪れる機会は多くなく、この日も学友会鹿児島支部の方々が駆けつけてくださいました。また通信教育課程の卒業生や工学部の卒業生なども訪れ、学生時代を思い返す機会となったようです。








こうして4日間にわたる南さつま市との交流は無事終了しました。包括連携協定締結10周年のみならず、地域の皆さんとの交流を深め、生徒や学生にとってもさまざまな発見があった4日間でした。玉川学園はここで新たに生まれた絆や出会いを大切にし、今後も南さつま市との連携を深めていきます。


