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玉川大学の変遷 Ⅰ 1947(昭和22)年~1958(昭和33)年

2017.05.11

1929(昭和4)年に玉川学園が開校。それから18年後、旧制最後の大学として玉川大学(文農学部文学科、農政学科)が誕生。1949(昭和24)年には新制大学として文学部(教育学科、英米文学科)と農学部(農学科)を開設。その翌年の1950(昭和25)年には通信教育部が設置認可された。

1.玉川大学の誕生

終戦まもなくの1946(昭和21)年10月1日、財団法人玉川学園は、大学令による玉川大学設立を申請した。そして、1947(昭和22)年2月24日に、旧制最後の大学として玉川大学の設置が認可された。それまでの玉川学園は、幼稚園(1947年3月まで閉校)、初等部、中学校、女子高等学校、専門部女子高等部を含む)、工業専門学校の各部により構成されていた。なかでも最高学部として戦後の混乱を乗り切るために、工業専門学校の学生たちは大きな力となっていた。ただ、終戦後の新しい日本を建設するためには産業立国と教育立国を目指さなければならないと考えていた玉川学園創立者小原國芳にとっては玉川大学の設置が長年の夢であった。玉川大学が設置されたことで、玉川学園は幼稚園から大学までを擁する総合学園となった。

新教育の実現完成を目標とする玉川大学はこうしてスタートし、1947(昭和22)年5月21日に開校式が行われた。学部は文農学部で、文学科と農政学科の2学科からなり、大学予科と研究科も併置するという組織で成り立っていた。教育方針については、1947(昭和22)年3月発行の「玉川大学要覧」に次のように記述されている。

<全人教育と個性尊重>
単なる知識人、せまい技術家たるをもって満足せず、いわゆる4H、頭(head)と胸(heart)と手(hand)と健(health)のそろった人間、言いかえれば、精深な学問と高い道徳、宗教的信念と清純な情操とをかね備えた人間を養成したい。

<自学と労作教育>
自啓自発、自学自律、創造発明、和親協力の精神を啓培するため学園創立以来自学と労作を教育の中核としている。自ら作り、自ら試み、自ら体得することにより真理探求の学徒たるとともに実践力ある文化の指導者たらしめたい。

<生産教育>
労作することによって活きた知識を獲得し、その結果生産されたものは学生の研究の資となる。言いかえれば生産と学問と教養の一致する境地が本学教育のねらいである。

<大自然と塾教育>
相模丘陵の大自然の中に広い校地をもっている本学園は、事情の許すかぎり、全塾制度をとり、自然に則し、師弟同行、長幼相助の24時間教育を理想としている。

玉川大学はこの教育方針が示すように、玉川学園の建学の精神を継承し、全人教育を基調として個性を尊重し、自学と労作(労作教育)を教育活動の中核としながら、学問の真髄を究めるとともに、生産に直結しながら、しかも大自然を舞台とした研究と塾教育の伝統を展開する、などを基本精神とすることを宣言している。

新たな日本のかたちがようやく見えてきた終戦直後の時代であり、多くの物事に急激な変革が求められていた。教育においても文部省(現在の文部科学省)が1946(昭和21)年12月30日に、いわゆる「6・3制教育体制」を発表、翌1947(昭和22)年3月31日に教育基本法と学校教育法が公布されることとなる。これに伴い玉川大学も新制大学へと切り替えていくこととなった。したがって、旧制玉川大学が実際に教育活動を行ったのは短い期間であった。だがそこには、終戦を迎え「教育こそが未来の日本をつくるのだ」という、國芳をはじめとした学園関係者の強い思いが表れている。

旧制玉川大学第1回入学式玉川大学第1回卒業式

2.新制玉川大学の誕生

戦後、アメリカの占領政策に基づく学制改革に伴い、日本にも6・3・3・4制が採用され、玉川大学も新制度に切り替えられることとなった。そして1949(昭和24)年2月21日に新制玉川大学が認可された。旧制玉川大学が文農学部の1学部のみの体制だったのに対し、新制玉川大学は文学部と農学部の2学部制をとった。また文学部は教育学科と英米文学科の2学科が設置された。新制玉川大学は旧制玉川大学や旧制玉川工業専門学校からの編入学も認められ、1949(昭和24)年4月8日、國芳の誕生日に入学式が行われ、多くの学生が新制玉川大学の学生となった。

文学部は教育学科と英米文学科で構成されているが、ことに教育学科の設置は玉川大学にとって大きな意味を持っている。それは、新教育を主張して30年、教育行脚として日本全国で講演を行ってきた國芳の多年の悲願である、新教育に基づく私立大学による義務教育の教員養成が、日本で初めて誕生したからである。教育においては音楽と体育の科目化と必修化に力が入れられていること、および理論と実践の調和的発展をめざして、一方において労作、教育実習を重視するとともに、他方において哲学、倫理学、美学、宗教哲学を重視している。特に教育実習に関しては、幼稚部、小学部、中学部、高等部がキャンパス内にあるというメリットを生かしたさまざまな活動が行われた。一方の英米文学科は、国際的に重要な役割を持つようになった英語力を養成し、これを基礎として英米の文学と文化の研究を行い、豊かな語学力と教養を備えた国際人の育成を目標にしたが、これは玉川学園の教育12信条、特に国際教育の精神に基づくものである。

1959(昭和34)年頃の教育学科使用校舎
1959(昭和34)年頃の英米文学科使用校舎
1959(昭和34)年頃の農学部校舎

農学部は文部省所管の新設認可制であったため、校舎、教員、各種備品、図書などに基準があり、設置関係者の立案には苦労が多く、特に教員の資格審査が文部省側の委員会で実施されたので、講師陣の構成は予想以上に難しかった。それでも農学部長の宗正雄を中心に、多くの優れた講師が農学部に集まった。農学部農学科の教育は開校当初から専門研究室を中心に、その地域性、環境などの諸条件を生かしながら、師弟同行の研究体制の下に活発に進められた。学園全体の教育信条の中に、実践、労作が重視されているところからも当然であるが、農場実習は積極的に実施され、農産物の生産にも努力が払われてきた。このような「晴耕雨読」の基本精神が強く打ち出され、しかもその中に音楽、体操などの情操教育がしっかりと盛り込まれていた。

3.通信教育部の開設

スクーリングによる授業

1945(昭和20)年以降は戦後の混乱期にあって、日本中で教員が不足していた。とりわけ深刻だったのが小学校。教員免許を持たない者を教壇に立たせなければならない場合も多くあった。教員免許を取得したいという希望を持っていても、大学に通う金銭的、時間的余裕のない若者が多かった時代である。そんな時代にあって、教育立国論を獅子吼(ししく)して全国各地を教育行脚し講演していた國芳は、教員の再教育の必要性を痛感し、旧制玉川大学や玉川工業専門学校の教授陣による「教育大学」を開設した。そして、1947(昭和22)年5月10日、玉川学園礼拝堂において「教育大学」の入学式が執り行われた。これは、わが国の教員養成史上、全く類例のない画期的な構想であった。この玉川の教育展開とは別に、文部省は通信による教育をアメリカから移入し、制度化を検討していた。玉川でも通信教育の研究が進められ、1948(昭和23)年4月には「通信教育部」が設置されている。そして、教育大学の充実のため、各地分校での出張講義とともに、教科書にもとづく通信指導が行われるようになった。

1950(昭和25)年3月14日、通信による教育が日本で初めて文部省により正式に認可された。認可されたのは、玉川をはじめ、慶應義塾、中央、日本、日本女子、法政の6大学の通信教育部。その後通信教育部を設置する大学は徐々に増加していくが、特に2000(平成12)年以降急激に増え、2012(平成24)年には45大学を数えるに至っている。通信教育部が設置された1950(昭和25)年は、前述のとおり、まだ戦争の傷跡が色濃く残っている時代で、学校教員が圧倒的に不足していた。國芳の「すぐれた教師が日本の教育を支える」という信念の下、玉川大学は文学部教育学科の通信教育課程として日本初の小学校教員免許を取得できる通信教育部をスタートさせた。2002(平成14)年4月、さらなる充実を図るため、通学課程と同時に、文学部教育学科を教育学部教育学科に改組。教員養成を明確に打ち出した。そして、今なお、玉川は小学校の教員免許が取得できる数少ない通信教育部を設置している大学として高く評価されている。

  • 現在、通信教育部は、教育学部教育学科 通信教育課程と称しています。

参考文献

  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園50年史(写真編)』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園編『玉川教育: 玉川学園三十年』 玉川学園 1960年
  • 玉川大学通信教育部編『玉川の丘-玉川大学通信教育部 部報』第1号 玉川大学通信教育部 1951年
  • 玉川大学通信教育部編『玉川の丘-玉川大学通信教育部 部報』第5号 玉川大学通信教育部 1951年
  • 日経BP企画編『玉川学園創立80周年記念誌―そして未来へ』 学校法人玉川学園 2010年

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